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地域小規模特認校は、“買い“です。

地域小規模特認校に、校区外から越境して入学しました。地域小規模特認校の概要とかはすっ飛ばします。なぜ選ぶのか、多分一般的ではない視点だと思いますがそれが書きたいので。

はじめに

子育てに正解はない、と言いますが、正確には「みんなそれぞれの手札で生きていくしかないので他人のサバイバルはほぼ再現性がない」です。

その子その子に合った付き合い方をしていくしかない、いろいろな方法は存在するから全部自分で考えずに多様に学んで組み合わせていくと効率よくできたり役に立つことがあるかも、というところです。

息子東大に受からせたわよ!とかいうママの本を買っちゃうお気持ちは可愛いなと思いますがエ?わかって買ってますよね?そうじゃない方は多分本記事とか読まないほうがいいです。

いかなる情報も、使えそうなところを取捨選択して持っていってね。

というわけで、好き勝手書きます。へーおもろ、くらいのノリで読むのが適切です。

教育業界に長く身を置き、何百人もの子どもたちの学習、受験を支援してきました。今は教育福祉の現場にいます。興味関心が高いので色々見聞することもあり、人よりちょっと教育、子育てに詳しいかもしれない人です。

私の育児方針

  • 自我を生やす

  • 知的好奇心を満たす

  • 受験からできる限り逃がす

  • 何をおいても幸福であれば良い

以上です。

受験ではないものを求めるけれど、オルタナティブ教育は高い

何百人もの子供たちの合格を手伝っておきながら何ですが、受験システムに全く興味がありません。むしろ害悪だと思ってます。

自分自身が、いわゆる地方から中央の国立大学に合格をキメた典型的なバリバリ女性であるわけですが、そのゲームがいかに人間の幸福と関係がないのかを自分がよくわかっているというのが一点。

これからの時代、さらに受験・大学が価値のないものになっていくのかはここで論を待ちません。まあ今のところギリ買い、ですが。非認知能力だのなんだの、ふんわりした言葉でみんなが模索していますが、生きる力とか幸福になる力は受験戦争とかしてたら遠のくばかりです。八割くらいの力でいける大学にいけばいいと思ってます。そんなことより自我を生やせ。何が君の幸せで何をして生きるのかをとっとと生やせ。人生を楽しんで歩いていく力をつけろ。人を愛し、幸せにできる人間であれ。

で、とにかく十代の貴重な時間を時代遅れの高等教育(のための中等教育、のための初等教育)に費やしたくない。かといって馬鹿やっていいわけでも怠惰でいていいわけでもない。しかし受験というゲームを引っこ抜くと、いい学校ってどこにもないんですよ。

私は勉強が大好きで大好きで大好きなんです。中学生の時はのび太くんがなんで居眠りをするのか全くわかりませんでした。でも高校になるとほとんどの授業が全くつまらなくなって地獄でした。大学に入ってからは「なんでこれを中学・高校でやってくれなかったんだ!」ってずっと恨んで卒業しました。面白くはなったものの、授業出なくてもレポートはA取れるし、卒業チョロすぎて悲しかったです。入試というもののために三年も無駄にしたのかと思うと本当に恨めしいです。学力は大したことなかったです。受験勉強嫌いなので。

大卒という資格のおかげで就職に有利だったのは実感していますが、結局安牌を取りに行ってつまらない人生になったので意味なかったんじゃないかなと思います。就職したい会社もなかったので二十代半ばまでフラフラしてました。漫画かきたいってのもあったけど。本当にしたいこと、得意なこと、社会の中で自分をどう生かすのかをさっさと突き詰めればよかった。

この辺は中庸なので、アナーキーに生きろと言うわけではありません。ただ自我が生えてないと何もかも無駄。

まあそんなわけで、受験勉強に価値見出してません。ただし、自我が生えてないんだったら黙って詰め込まれとけと思ってます。勉強は大好きです。何回も書くけど。

で、受験勉強をしない学校って探すのすごく大変です。ていうかほぼないです。でも今買いなのはどう考えても受験勉強でない教育を行う学校なんですよ。大学の授業とかぶっちゃけネットで受けられるし本読めばいいしという部分があるので、学校はじゃあ何するところなんだっていう。

唯一近いものだなと思えたのが、オルタナティブ教育を行っているところです。ググったら出ます。まあ数が少ない、宗教色がある、小学校は特に数が少ない、高い、とハードルが高く、そこまでやるべきかかなり悩みました。移住も計画しました。大日向小学校とか公立だしね。イエナプランいいよね。

しかしそこで不意に気づいたんです。我が町にある地域小規模特認校、実質オルタナティブ教育校じゃね??と。

公立教育において唯一能動的に買えるもの=少人数

地域小規模特認校、その名の通り、人数が少ないです。本来ならば統廃合されて然るべきの学校を、市内全域から通ってよし、特色ある地域に根差した教育をすべし、というざっくりいうとそういう設定の学校なので。

で、公教育において(ぶっちゃけ私立だろうと一緒なんですけど)先生も同級生もガチャなんですよ。ただし、少人数クラスは選べるわけです、地域小規模特認校を選べば。

少人数であるというだけで受けられるサービスが間違いなくクオリティアップするんです。だって人数が少ないから。先生の負担が少ないから。どう考えても目も手も行き届く。いっぺんに30人見ろと言われるのと、10人でいいよと言われるの、どれだけ違うか想像に難くないと思います。

そう、1クラス10人いたら多い方です。全校生徒60人くらいです。縦割り活動が盛んで、全校生徒がお互いの名前と顔とをわかっているし相互に関係し助け合っています。超可愛い。

もう一つ、人間関係が複雑化しません。人数が増えれば増えるほど係数が増えてストレスがあがります。あっちに気を遣いつつこっちのことも考えなきゃ、みたいなのが発生しません。これは人間にとってはかなり大きなポイントです。

変なのに当たる確率は一緒です。先生も同級生も。人類はみんな違ってみんなバカなので、お互い様です。でも人数が少ないと、抱え込む余裕ができるし解決も容易です。そこを買うのです。

なんか街の中央、都心部にお受験踏まえて移住する人も多いんですけど、古いなと思ってますぶっちゃけ。まあいうて私は、いざとなったら自分で大学受験まで教えられる(あるいは学習方法を目利きでき調達できる)という自負があるので公教育はとにかく余計なこと(負荷かけること)をしてくれなければ良い!という具合です。

集団生活と社会性は焦らなくていい

人数が多いところでわちゃわちゃしたい、いっぱい人がいるのが好き!とか、その中で紛れておきたい、とか、そういう積極的な理由があるときは人数の多い学校を選ぶのがいいと思います。

そうでなくて、「でも人数が少ないと社会性が育たないんじゃ…」みたいなのは不要です。全校生徒は数十人に上りますし、人間の本能からすれば同世代だけで数十人と言うのは逆に変です。学齢の違う集団の中で生きる方が育つと思います。

あと、私は個人的に社会性というのはあんまり育つもんじゃないと思っています。特に集団が苦手という子が集団の中に無理やり入って「訓練」されたところで、不登校になるか鬱になるかしか見たことがありません。

その子その子の特性に合わせて、手札に合わせてサバイバルしていくのが一番の方法なんであって、どこかの誰かというふんわりした「一般的な人間」というありえない像に向かって、あれもできなくちゃこれもできなくちゃとやるのは無駄だと思います。

集団が好きで得意な子はそれでやればいいし、例えば愛息くんは5〜10人くらいの集団が一番好きなんですけど、その子が得意なサイズというのに合わせていけばいいんじゃないかと思います。500人サイズの子もいるかも知れないし、2、3人がすごく得意な子もいるでしょう。将来的にどういう仕事をどんな形態でやるとうまく行くのか、見極めの指標になるのでよく観察することじゃないでしょうか。成長とともに変化していくものなので、じわじわ増やしていくのは手だと思います。

ちなみに、愛息くんは野球を始めてめちゃくちゃ楽しんでいます。もちろん部も人数が少ないので、一年生から色々挑戦させてもらい、これもすごくよかったなーと思っています。

現在、最高です

いい先生に当たったのが大きいんですけど、元々「集団が苦手」「10人以下だと元気」「発達特性グレー」という特性があることを親子共々自覚していたので、ベストチョイスでした。発達特性は障害にならずにすんでいます。消失気味。

のびのび、仲良く、さまざまな体験をしながら育ち、学校大好き人間になっております。教育内容は公教育なのでごくごく一般的なものです。ていうか教育が学校でだけ行われるものでないのは当たり前なので、私が親として、一人の人間として彼とどう関わるかとか、まずは親先行で多くの人間関係を作ってあげるだとか、そういう部分ももちろん大きく、学力自体は実は非常に高いです。それよりも人間力の上がり方が嬉しいです。幸せそう。最高。

でもとにかく、公教育に余計な負荷をかけられず、快適に過ごしています。

中学以降をどうしようかなーというのが目下の悩みです。小規模特認校はないからな…中学受験するにしても、唯一好きだなと思えたのは武蔵中学くらいなので、本当に悩ましいです。

高校は高専に進学したいと言い出しているので(齢七歳にして…)、高等教育が五年で済む上に専門性もあり面白い分野もある、いいなーと思っています。大学が四年なのはともかく、そのために三年受験で無駄にするの本当に…。

どこに行くにしても中学からは自分で選んで決められるようになっていることが私の中では大事ですが、色々手札は増やしておきたいなと思います。

PTAは当然やる

任意じゃないのは確かによろしくないとは思いますが、私はPTA大好きなので一年目から入ったし色々やってるし六年間奉仕するつもりでいます。

自分の子供がいく学校をより良いものにしていくために、親もできることをやるべきだと思っているからです。

教師・保護者とチームになっていれば大体の問題はちゃんと解決できます。いうて今のところ何の問題も発生してませんが。そもそも発生しないんだ、親がちゃんと繋がってれば。そりゃ苦手な人間もいますが、自分と違う他者を許容できないほど幼くないので。

会合もやることもそれなりにあるので大変じゃないとは言いませんけど、何も努力せずにクレクレ言うてる馬鹿が一番醜悪で害悪だと思ってるので絶対しないし、一所懸命取り組んで学校がどんどん良くなって行くのはすごく幸せで、PTAはめちゃくちゃ楽しいです。

保育園でももちろんやってたんですけど、はちゃめちゃ楽しかったです。色々合ったけど、色々あるのが人生なので、そんなことで一々凹むような脆弱メンタルでは人生楽しめないわけで、そういう背中を子供に見せられないならまあ何しても無駄だと思います。他人の愚痴と悪口が多いとかも。

ネットではネガティブな意見が多いような気がしますが、ネット触ってる時点で人種かなり固定されているので、お気をつけて。核家族と過度の個人化が現代の全ての元凶だと思います。

子供のネット環境どうする問題で、「例えば自傷行為とかの情報に近接してしま
うのが一番よくない」という話が出たんですけど、ネガティブな情報にすぐ近接してしまう(すぐ影響されてしまう)のは大人も一緒です。

自分で選んで、自分から参加する、という生き方

を、親も子供もしていくことができたのが一番の収穫かもしれません。自我が生えるし、とても大きな成功体験です。

行くことを決めたのも、まあ六歳時点なんでそこまで自己決定できるほどの人格育ってないんで、割と補助した部分はありますが、「僕はこっちがいい」と自分で一応決心して納得して選ぶことができました。

同じように、中学、高校、大学、進路は自分で選択できるんだよ、という話をずっとしています。それができるのがいい。

クラスを作っていくのも、自分だよという話もしています。

来年もワクワクです。まあ変な先生に当たるかもしれないし、クラスメイトも日々成長するのでまた様相が変わるかもしれない。そしたらどう切り抜けるか一緒に考えていきます。大丈夫だと思えているので、大丈夫です。

ていうか不登校になっても全然いいと思ってるので、そんなことよりこの調子で自我生やしていこうぜ。

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