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AIの危険性はどこにあるのか?

新しいテクノロジーが台頭するとき、必ずそれには負の側面があります。個人的には、「テクノロジーについて何か思考することは人生の時間のうち10分の1ほどで良い」と思いました。

なぜか?

まずもって、AIは便利ですが「能動的かつ僧侶の精神で使うなら便利」と修飾すべきです。AIは使いようによって、はまりようによっては全く便利ではなくなるからです。

その理由はAIを使うときの精神状態にすべて依存します。

AIを受動的に使うだけの者たち

今の世の中において、AIを受動的に使う人のほうが能動的に使う人よりも多いでしょう。しかし、時間の問題でより多くの人がAIについて能動的に利用するようになると思います。その時何が問題なのかといえば「AI中毒」です。

AI中毒はまさにSNS依存の上位互換で、SNS依存のほうがまだましだといえるほどの悪魔性を帯びていると考えています。SNSは一種のデジタルヘロインのように扱われますが、AI中毒はもはやデジタルオピオイドというべきレベルでとんでもない災禍をもたらす可能性があるとみています。

どうやって向き合うべきなのか

これは最初に述べたように「人生の10分の1くらいの時間でしか考えなくていい」と思っています。ほとんどの場合、最近の世の中はテック、テックと、気持ち悪いほどにテクノロジーのことばかり気にしています。もちろん、株価が高い企業がそれらを扱っているからですが、株価が高かろうが低かろうが、それに熱中することはある意味で収穫ですが、ある意味は悲劇です。

何かに没頭することは良いことですが、まずそれよりも冷静になるべきだといま改めて思います。特に「AI」には、です。

ほかにやることが見えた

正直、最近は仕事でパソコンを使っていますが、ほとんどネットを利用してません。そのせいか、旅行に行ったり病院に行ったり、モールに行ったりと、今まで行っていなかったところに行くようになり、価値観がずれ始めています。

これは個人的には割といい兆候だと思います。脱インターネット、脱テックの序章だからです。最後にはだれしも死にますが、一生テクノロジーワールドの世界を見ていたくはないです。というか、勝手に外圧で見ないようになります。そして、いままで気づかなかったことを知り、絶望したり面白がったりするのです。

AIはその一助になることはありますが、全体の10%ほどしか活躍しません。のこりの9割は、それ以外です。

結局のところ、テクノロジーは「何も驚くべきところ」はないように思います。

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