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AI画像を評価されても意味はない【Novel AI Diffusion】

さて、またStable Diffusion、Novel AIの話をしていきたいと思います。私はここ1週間でAI画像生成を使い投稿サイトのフォロワーを1000人増やすことができました。そして、これは画像を投稿すればするほど無尽蔵に増やすことができることも確信しています。(今の規制レベルが続けばの話)

AIの話題は2023年を席捲しようとしています。スタンフォード大学では受験時にChatGPTが使われたり、有名雑誌WiredではジェネレーティブAIがメタバースよりも重要になると述べていたり、AIに対する注目視線は日々熱くなり続けています。しかし、その一方でテクノロジーハイプサイクルによるAIへの啓もう的視点というのも醸成されており、画像生成もその一つに含まれます。

しかし、こうしてフォロワーを増やし続けてもその先に何があるのか考えたことはありません。最も、これを学ぶには先駆者の存在を知ることが重要です。さて、私が投稿していたサイトに自分を超えるフォロワーを持つAI投稿者はいることはいました。しかし、彼の投稿内容を見て彼のようになりたいとはあまり思えません。

そもそも、イラストをAI生成してSNSなどで評価されまくるという行為は、そこまで後先に影響があるかといえばないということが言えます。ほとんどの場合、最も評価されている画像の大半はいまだに人の手で作られたものであり、AI画像は慣れてくれば一発で見分けがつきますし、それが永久に評価され続けるにはうまさだけではない何か別の評価ポイントが必要に思えます。

アルゴリズムの影響の方が強い?

実際のところ、AI画像がどれほど素晴らしいものでも、アルゴリズムの影響には勝てないように思えます。

例えば、適当に100枚ほどAI画像を生成して投稿したとします。この行為をPixivDeviantartという別のプラットフォームで行うとして、それぞれに同じ画像100枚を投稿します。

さて、上記のような投稿を行った後、画像に評価がつくとして、最も評価された画像は同じものになるのでしょうか。答えはなりません。また、一方で最も評価された画像に似ている画像であったとしても、もう一方の投稿サイトではまったく別の画像が評価されます。この原因は一つにアルゴリズムの影響も関係していると思われ、素晴らしいイラストが評価数につながっているわけではないということです。

逆を返せば、評価されても記憶に残るものかどうかはわからないというわけですから、AIで作ったイラストそのものが鑑賞の対象になるべきか、もしくはなり得るかといえば、どちらもノーでしょう。AI画像生成は鑑賞するためのイラストではなく、しかし一方でどのような使い方があるのかもまだ不明瞭な発展途上の技術であることを考えるを得ません。

しかし、確かにAIで作った絵を評価されるという体験はすこし奇妙なように思えます。なにしろ、自分でイラストを描いたわけでもないのに、それよりも明らかに多くの評価を受けることができ、より短時間で作り上げられるわけですから、奇妙というほかありません。

評価されても意味はない…のか?

この記事のタイトルは、AI画像を評価されても意味はないというものです。しかし、実際のところ本当に意味はないのでしょうか。評価されるとはいっても、いろいろな意味合いがあります。

  1. AIを使っていることそのものに対する評価

  2. 出力された結果が素晴らしいことで得られる評価

  3. 評価を意図しない形でつけられた評価

基本的な評価の種類は上記の3つになります。AIを使っていることそのものに対する評価とは、例えば「NovelAIを使ってます」や「ChatGPTを使ってます」など、使用を表明することで得られる評価です。これには主にAIそのものに対する知見や

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