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恋と自意識

遠距離恋愛の恋人に「前の人が忘れられない」と言われて別れたことがある。その"前の人"は彼のそばにいる人だった。「俺のこと、裏切者だって思う?」と聞かれて私は「そんな風に思わないよ」と答えた。

だってそんなことどうでもよかったんだ。

別れたことを友達に話すと「えっ、何それ最低!別れて正解だよ、早く忘れな」と言われた。友達は延々と彼の悪口を言ってくれて、私は「それな」と言いながらしかし全然「それな」なんて思っていなかった。

だってそんなことどうでもよかったんだ。

彼に裏切られたことなどどうでもよかった。信じると決めたのは私だ。というかそもそも私は裏切られてなんかいない。好きになるのも好きじゃなくなるのも自分では選べない。彼はなんの約束も破っていない。

私が責めたのは彼ではなく自分だった。

彼に愛されず選ばれなかった自分。彼の中でその"前の人"より劣っている自分。愛される価値のない自分。彼を裏切者だとは思わなかった、男性不信にもならなかった。

ただ、自分を信じられなくなった。

これは非常に不健全な思考だ。こういう場合、友達の言う通り彼を悪者にしてさっさと忘れてしまうのが強くて正しい判断だ。女々しくない女はそうする。でも私は女々しい女だった。女々しい女ってのは女々しい男以上に醜い。加えて私は(女のくせに)理屈っぽかった。他の人を好きになることは責められない、だから彼は責められない、彼が悪くないなら誰が悪い?自分しかいない、という超展開な理屈を勝手に捏ねていた。

信じられるかどうかは相手ではなく自分次第だ。信じる相手が他人であれ、自分であれ。でも自分が他人に見せない弱さ、悪さ、ダメさを自分は知っている。私は人よりかっこつけで、そういうものを正直に曝け出すことが出来ない。だから私の周りの人も私に弱味を見せようとせず、結果として私には周りの人の多くが完璧超人に見えている。自分とは違って十分信じるに値する、頼れるスーパーマンに。そして余計に自分がゴミくずに思えるのだった。

それから一週間、ゴミくずは毎日泣いた。講義室の机でも家のベッドでも突っ伏して泣いた。一番見たくないものは彼の写真ではなく鏡に映る自分の顔だった。全てが不健全な一人暮らしの狭い部屋は、拗れきった自意識で満たされていて苦しかった。
思えば彼といるときの自分が私は全く好きじゃなかった。地に足がついていなくて言動が全部空回りして、とにかく自分を良く見せようと必死で肝心の彼という人を大切にしなかった。冷静になって一つ一つ思い出せば私と彼の価値観は結構ずれていて、なのにそれを擦り合わせるどころかずれていることに気付いてすらいなかった。私が素を出さないから彼も素を出せなかったのかもしれない。
何より私は彼に優しくすることが出来なかった。優しさってのは強さがないと実践できない。自意識の化け物である私は彼の前では普段以上にそれを拗らせ、強がりまくる最弱の生き物となり結果的にめちゃくちゃダサかった。

ただ間違いなくそれら全ての理由は「彼が大好きで仕方ないから」で、その気持ちにだけは何の打算も強がりもなかったのだから素直にそれだけを伝えていればよかったものを。そうすればこんなに後悔することもなかったのに。そのことに気付いたとき自意識はようやく萎んでいき、後に残されたのは見るも無残に潰れきった純粋な恋心だった。

あなたのことを大切にできなくてごめんなさい。本当に大好きだよ。何も変わらなくても、それだけは伝えておけばよかった。

あれから10年近く経った今、私は結婚し彼も"前の人"と結婚した、らしい。幸せでいて欲しいとは思うが幸せにしている様子を見たいとは思えない。私は相変わらず自意識過剰気味だが、夫のことは恋仲になる直前まで恋愛対象としては1ミリも意識しておらず、それどころか“優しくてわがままを言いやすい便利な先輩”くらいに思って甘えまくっていたので、最初から何も取り繕う必要がなかった。何より夫という人は自意識と縁を切ったんじゃないかと思うほど周りからどう見られているかなんてほとんど気にしない人で、私はそれにすごく救われている。かっこつけない上に他人に優しくできる強さがある夫は誰からも愛されていて、私は未だに何故この人が私なんかを好きでい続けるのか理解できていない。私の甘えには口うるさいが弱さを責めることは決してなく、私が笑えば喜び泣けば癒そうとする夫のことを私は、割と本気で神仏の類なのではないかと疑っている。自意識の化け物は神様仏様夫様の不思議な力でなんとか人間の姿を保つことができているのだ。

夫と二人で自撮りした写真を見るとたまに、彼から「一緒に写真を撮りたい」と言われたことを思い出す。写りが悪かったら恥ずかしいと思ってしまった私はあろうことか「ちょっと嫌だな」とだけ答えて断った。彼はがっかりしていた。そんな風に自分ばかり守ろうとする私の自意識は彼をたくさん傷付けた。そして結果的に私自身も傷付けた。

ただひとつだけ彼にしてあげられたことと言えば、「別れたくない」と言わなかったことぐらいだろうか。それだって「さらっと別れる女のほうがかっこいい」とか「悲劇のヒロインも悪くない」とか結局自意識が過剰に働いたからで、だけど心のどこかに「それで彼が幸せになれるなら」って気持ちも確かにあった。好きな人やものの話をする時の幸せそうな彼が好きだった。好きな彼を私は守った。そう思いたい。そう思うことであの頃ぐちゃぐちゃに歪んでしまった自意識と、自意識に殺されてしまった恋心の供養になればいい。

夫との写真や二人暮らしの部屋の鏡にうつる私があまりにも幸せそうに笑うのは、彼らの犠牲のおかげでもあると思うから。

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