この水はどこから来たのか
お久しぶりです
事務びとです
桜が咲いて喜んでいたのもつかの間、あっという間に暑いくらいの陽気となりました。
GWも近づくと急に暑い日があったり乾燥もしてるしで喉が渇きやすく、お水を飲むシーンも増えてきますよね。
蛇口をひねると出てくお水。
日本ではほとんどが安全な水をどこでも飲めるシステムになっていますが
自分のお家にひかれている水がどこからきているかを知っていますか?
各地の自治体や水道局のホームページなどに掲載されています。
弊社福島事務所のある郡山市は3か所の浄水場から周辺の地域に給水していますが、多くの地域は猪苗代湖と逢瀬川から取水された水を浄水場で処理されて蛇口に届けられています。
福島県はとっても広い県で、郡山市は県の中央に位置します。
今でこそ東北では仙台市に次ぐ商業都市となりましたが、観光資源は多くなくどちらかというとビジネスで人々が行きかう街です。
遠い昔から奥州街道の宿場町だったため、多くの人が訪れる町ではあったと想像します。
しかし水資源に乏しく、農作物が育たない不毛の地と呼ばれ、飲料水の確保でさえ苦労した土地でした。
郡山市に育った人たちは「ファン・ドールン」という人名を記憶している人が多いと思います。
ファン・ドールンさんとは今の郡山があるのもこの方のおかげといっても過言ではない人で治水事業「安積疎水」開削に寄与した人です。
福島県には猪苗代湖とい大きな湖がありますが(タイトルの写真は猪苗代湖です)明治初期、この水を奥羽山脈を越えて安積(あさか)平野(現在の郡山市南部)へ引いて水源とする途方もない計画を推進しようとしました。
明治の安積開拓事業のなかの治水事業が「安積疎水」です。
明治維新で有名な大久保利通も関わった開拓事業で、市内各地でファン・ドールンと大久保利通の写真や銅像を見ることができます。
猪苗代湖から郡山中心地までは直線で25㎞ほどですが、ほぼ山ですから、どれだけの苦労があったことかと思います。しかし、これらの事業は当時仕事や土地を失った元武士たちに土地と仕事を与えることに寄与し多くの移住が実現したとのことです。
安積疎水事業のおかげで発電所も造られ電気も生むことになったのですからありがたや~
安積疎水という先人の苦労のおかげで現在の郡山市があり、開拓者精神が息づいていると郡山市内の小学校では社会科で学習します。ですので郡山の人たちに「ファン・ドールン」が記憶されていくのです。
ところで現在郡山市民は安積疎水の当時の水路から来ている水を飲んでいるわけではありません。
安積開拓事業で建設された水門や取水口を改良利用し近代水道事業で引かれた水が蛇口に届いています。
調べていくと猪苗代湖の水にも利権があったりとなかなか壮絶な歴史があります。
いくら水を引いたからといっても市民への安全な水を供給はそれだけでは行き届きません。幾度も工事をして浄水の技術を取り入れ、それは現在も進行中です。
街の発展に水資源は欠かせません。
今飲んでいる水の歴史を知るとますます大切にしたいと考えるし
安全な水に興味もわくのではと思います。
私も子供が小学生のころに一緒に浄水場を見学したこともありますが
大人になってあらためて見学をすると飲んでいる水へのありがたみも増しますし、水環境への興味もわきます。
社会科見学してみてもいいですね。
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