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メモ程度の旅行記#1 お伊勢参りとその他諸々

 皆様お早う御座います。diKnK_kokuryo16です。今回は令和四年4月1日に参宮した様子を書き殴って行きたいと思います。写真をほぼ撮っていない為、文章メインでイメージを掴み難いかもしれませんがご容赦ください。

※写真について 私がミラーレスで撮ったもの、同行者がスマホで撮影したもの、私がスマホで撮影したものが混在しております。アス比や画質がてんでバラバラとなっております。特記がある写真は同行者撮影なので、転載はご遠慮ください。私の撮影した写真につきましては、出処を明記していただければ自由にご使用頂いて構いません。

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謎解きキット。詳しくは述べられないが、結構難しくボリュームもあった。

 前置きをダラダラ続けるのが基本的に嫌いなので早速本編に入ります。いきなり名古屋から始まりますが、それは前日に名鉄の謎解きイベントに参加する為、豫め名古屋入りしていたからです。上の画像は謎解きのキットです。6月までやっているそうなのでまだの方は是非。7月ぐらいにそのことでもう一個書こうかなとも思っております。(7月になって細かい所などは忘却の彼方にあり、記事にするほどのボリュームを担保できなくなってしまったので書きません。申し訳ありません。)

一路、神都・伊勢市へ。

 名古屋のホテルで朝食をとり、準備をしてから駆け足で近鉄名古屋駅まで向かいます。というのも時間がギリギリになりそうだったからです。gdgdですね。そのため乗車した特急の写真はございません。7時50分に名古屋を発つ特急で、伊勢市まで乗車しました。使用車両は22000系だったと思います。違うかもしれません。
 同行者が居たのですが、桑名辺りから中川の手前辺りまで寝ておりました。津辺りでは一時起きていましたが。私は前日に買ったBOSSコーヒーをがぶ飲みして眠気を吹っ飛ばそうとしていました。その後どうなったかは言わずもがなですが。

 乗車中、眠気に襲われて海山道を通過した辺りから松阪までよく覚えていません。津駅を出る時と、中川デルタ線でスーツこと藤田裕人さんの看板を見た事は覚えています。写真もないので、取り敢えず伊勢市駅到着まで飛ばします。

 ということで、特急に乗って来ましたのは伊勢市駅。改札を出て...と言いたいところですが、前日の夜に予定を急遽変更した所為で、手配してあった乗車券が近鉄四日市までとなっていた為、乗越精算をしなければなりませんでした。ここあたりからぽつぽつ写真は撮っているので掲載します。

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伊勢市駅。近鉄とJRの共同使用駅。

 伊勢市駅です。ここから真正面に進み外宮を目指します。伊勢市駅で用を足した癖に、既に尿意が来ています。ただでさえ頻尿なのにあのザマですから仕方ありません。ここからは徒歩が主となりますので、荷物を整理していざ出発。

いざ、外宮へ!

同行者撮影。兎に角寒かった。

 伊勢市に着いたのが10時前だった為、この通り人も疎らです。それにしても寒い。風が強いことも災いして、4月の気温とは到底思えませんでした。歴史的が深そうな建物も多くあり、由緒正しき街に来たのだなと実感しました。流石、神都と呼ばれるだけあります。余り関係ありませんが、東進衛星予備校は何処にでもありますよね。私の地元には東進の本体があります。

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同行者撮影。木製の橋。

 最初は曇天ですが、外宮の前に到着しますとだんだん晴れて来ました。日頃の行いが良いわけではなく、単純にその予報でした。その前に用を足して、清々しい気持ちで火除橋を渡ります。写真は、参拝を終えたときにとったものです。すみません。

先ずは手水を済ませ、正宮から参拝しました。正宮の中で、何か儀式を行っていました。厳粛な儀式を野次馬している輩が多かったですが、余りジロジロ見るものでは無いと思います。そして、風宮を参拝、その次に土宮を参拝しました。階段を登って多賀宮を参拝し、続いて下御井神社を参拝しました。下御井神社は少し奥まった場所にあります。

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境内にあった大きな木。

 境内は立派な木が多く、自身も真っ直ぐ太く生きてゆきたいと思いました。それと同時に、日本人としての自覚をより強く覚えました。いろいろなことを思いながら、三ツ石などを見物し外宮を後にしました。

内宮を目指して...

  火除橋を渡り外宮を出てまた用を足しました。いい加減、凄く自分が恥ずかしくなってきました。それはそうと、内宮に向かうため三重交通のバスに乗車します。バス停は行きに脇を通ったので場所は存じています。勿論バス停に向かうのですが、外宮前バス停近くの広場にはこんなものが。

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ポケモンの描かれたマンホール「ポケふた」。

 ポケふたが伊勢市に設置されていることは存じておりましたが、まさか此処にあるとは...!
 リーシャンとミジュマルですか。かわいい。ミジュマルは三重県の応援ポケモンなので分かりますが、リーシャンは何故なのでしょう。いせ鈴をイメージしているのでしょうか。そういえば、後ろにある幟はトゲピーの柄ですね。
 不意打ちでの出会いとなりましたが、嬉しい限りです。それにしても、かなり汚れてしまっていますね… 屋外なので仕方ないと言えばそうなのですが。

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外宮前バス停。三重交通とCANばすが乗り入れる。

 外宮前バス停で次のバスを待っていると、バス停にいた三重交通の職員さんが、当バス停始発の臨時バスが出ると案内を始めました。近くに駐車してあった車両がバックして来て、客扱いを始めました。停車バス停は、猿田彦神社、神宮会館前、内宮前と絞って停まるそうです。県庁舎前は通過します。と主に地元の方へ向けて案内していました。

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左は三重交通の通常塗装。右は神都バス。

 10分ほどバスに揺られ、無事内宮前に到着。左側に止まっているバスに乗車しました。運転手さんが、他の客とのトラブル対応にあたっていたため、スムーズに降車できませんでした。そして例に漏れずこの時もトイレを求めていました()
 公衆トイレがあったのでそこで用を足しました。観光地はトイレが少ないことが多いですが、此処は言う程少ないわけではなさそうです。。

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所謂、おにぎり。

 内宮は旧一級国道の終点にもなっているんですね。そりゃそうですな。だって伊勢神宮だもの。何も日本最高位の神社ですから。この旅行記を書く時に調べてみた所、大正時代の国道表では国道一号のルートは東京府から神宮だったそうです。道理で今も国道の終点となっている訳ですな。

愈々、内宮へ。

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宇治橋と鳥居。

 あの有名な宇治橋です。今の宇治橋は平成二十一年に架けられました。立派な鳥居と檜で出来た橋。山と桜。日本を象徴するものが此処に詰まっていますね。これは補足情報なのですが、外宮は左側通行で、内宮は右側通行です。

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神苑。雄大である。

 立派な神苑がありました。今の時期は桜が綺麗ですね。写真はありませんが、火除橋は内宮にもあり、それを渡ると手水舎などがある所に行けます。

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五十鈴川。個人的に名前が好き。

 五十鈴川です。ここは御手洗場で、手水と同じく身を清める場所です。川の水は透き通っていました。五十鈴川はいすゞ自動車の由来や、軽巡洋艦の名前にもなっています。その軽巡洋艦は某艦隊をこれくしょんするゲームにも登場していますよね。だからどうしたって言う話ですが。
 御手洗場を後にして、滝祭神を参拝しました。此処からすぐなので迷うことはないと思います。その後私たちは完全に迷子になりましたが。

正宮。階段より上は撮影禁止。大自然の中を強調する為、敢えて広角で撮影。

迷子になりながらもどうにか辿り着く事が出来ました。御稲御倉、荒祭宮と訪れてから、授与所で大角祓と御守を授与して頂き、その後風日祈宮へ向かいました。
 本来、風日祈宮からは御厩、参集殿と向かうつもりだったのですが、どうやら道を誤り御手洗場まで戻ってきてしまった為、神苑からまた参集殿などに向かいました。

御池。桜が綺麗だった。

 カップルが先にいらしたので、男二人で突入するのに少し勇気が必要でした。カップルはすぐに退散してしまいましたが、私達の所為では無い事を祈るばかりです…

神鶏。境内には鶏が放し飼いにされているそう。

 立派な鶏は、神の使いとされている神鶏。そういえば伊勢名物かわあげ君は鶏の鶏皮ですよね。あれ?つまり… 兎に角、深く考えないことにします。
 神鶏に挨拶をした後、坂を登り、子安神社と大山祇神社を参拝。もう一度宇治橋を渡り、内宮を後にしました。

おはらい町とおかげ横丁を抜けて…

おはらい町。春休みの時期なので人でごった返していた。

 昼食やお土産を購入するためおはらい町へ。おかげ横丁にも寄って、猿田彦神社まで歩こうという算段です。桜が見頃なのも相まってたくさんの人が。これではゆったり観光なんぞ出来ませんな。

昼食の伊勢うどん。

 お土産屋に入りつつ、時間も時間でお腹が減ったので腹ごしらえを。朝に伊勢うどんにしようと二人で取り決めしていたため、一番近くにあった店「二光堂支店一楽亭」に入店しました。
 種類が2つあり、上が朝熊、下が五十鈴という名前。端的に説明すると、朝熊はあっさり、五十鈴はこってりと言った感じでした。詳細な説明は、「二光堂さんの公式ホームページ」をご参照ください。私が五十鈴、同行者が朝熊を頂きました。麺がもちもちしており、自分の好きな食感でした。私の頂いた五十鈴の話だけになりますが、タレも濃厚なのにしつこくなく、大変食べ易かったです。

おかげ横丁の入口においてあった招き猫。

 ここまで来たのだからおかげ横丁は外せないだろうと思い、招き猫に招かれるように舞い込みます。趣のある建物が多く、恰も昔から時が止まったようでした。人が多いと風情もへったくれも無くなる場所は数多にありますが、此処はそうではありません。人で賑わっていても十二分に風情があります。川越や京都、金沢など、歴史を感じる建物が多い場所はありますが、鳥居前町と言うロケーションがより一層情緒を掻き立てます。

同行者撮影。伊勢醤油本舗の伊勢醤油ソフト。

 おかげ横丁を散策して居ると、醤油を使用したソフトクリームを発見。時々バニラアイスに醤油をかけて食べることもあるので、間違いないだろうと思い購入。案の定みたらしの様な味で美味しかったです。醤油が良いアクセントになっており、退屈しませんでした。醤油やソフトクリームが嫌いでなければ是非ご賞味あれ。

駐車場。桜が綺麗だから公園と勘違いしていた。

 そのまま道なりに進み、途中で右折し、歩いていると桜が綺麗に咲いていました。そのあと猿田彦神社まで歩き参拝したのですが、写真が一枚も無いため急に宇治山田駅まで飛びます。申し訳ございません。
 ざっくばらんに書くと、参拝終了後に目の前の猿田彦神社からバスに乗り、そのまま宇治山田駅まで乗りました。バスはそこそこ混雑していました。

次の目的地は如何に!

宇治山田駅。皇室の貴賓室も備えられている威厳のある駅だ。

 バスに揺られる事10分。着いた宇治山田駅は、流石としか言いようのない立派な駅舎でした。平成十三年には国の有形文化財に登録されました。直接関係無い話ですが、宇治山田駅の電略は「ウヤ」です。然し、基本的にJRなどウヤは運転休みの略で運休を指す電略として使われています。その為、近鉄では宇治山田駅と区別するために運休を「トケ」と言うそうです。だからなんだよと言う話ですがね。
 今夜に名古屋を発つバスで帰る予定なのですが、まだ14時です。流石にまだ帰りません。今から四日市々へ向かいます。

下車した塩浜駅での撮影。記録程度なのでS式です。すみません。

 さて、宇治山田から四日市までであれば特急で… と言いたい所ですが、残念乍らそうは行きません。実を言うと四日市の一駅手前「新正」で降りる為、塩浜まで急行で行き、そこから普通に乗ったほうが楽ですし安いのでその行き方で行きました。結局の所、特急の時間と折り合いが付かなかったため、四日市まで行くにしても急行で行く事になっていましたが。偶には普通列車で行くのも一興です。ということなので塩浜まで乗りました。乗車した車両は、現在名古屋口でしか使われていない5200系です。

塩浜から乗った列車。例によりまたS式です。

 検車区に引き上げていた車両がやってきました。地元の不動産会社「名泗コンサルタント」の全面広告を纏った車両です。この様なものも良いですよね。何の変哲もない普通列車ですが、地元企業のラッピングはその地域限定ですから。ローカル外食チェーンなどで食事をしたり、ローカルスーパーで地場のものを使った惣菜を買ってみたりするのも好きです。

逆光だが、構図的には悪くないと思う。

 新正駅に到着しました。此処から目的地まで歩いて向かいます。近鉄四日市駅の一個前で利用客数も多そうなのですが、駅が小ぢんまりしていて、ラッシュ時に対応できるのかなと思いました。どうやら改めて調べてみると、一日の利用客数は1000人未満だそうで、普通に間に合ってそうですよね。そりゃそうか。

四日市中央緑地公園の桜。満開以外に似付かわしい言葉が見当たらない。

 歩いて8分程で四日市中央緑地公園に到着しました。グラウンドや体育館が備わった市民公園ですが、遠路遥々東京から来た理由があります。因みにイベント目的や、桜目的ではありません。勿論、ここで開かれる試合に出る訳でもありません。

 では、何故四日市中央緑地公園まで足を運んだのかと言うと… 理由はこれです。

ポケモンの描かれたマンホール「ポケふた」。本日二枚目。

 そうです。ポケふたです。青海波をバックに、ダイケンキとミジュマルが描かれています。青海波が後ろに描かれていますが、ポケモンBW2にはセイガイハシティが登場しましたね。関係あるのでしょうか。
 ところで、ポケふたは日本各地に設置されています。多分これからも増えていくでしょう。三重県内にもこの他に、先程の伊勢市、津市、熊野市、伊賀市、鳥羽市、志摩市に設置されています。

 では、何故四日市々の「ポケふた」に来たのかって?それは、私のハンドルネームを思い出して戴ければ分かると思います。
 私のハンドルネームは「diKnK_kokuryo16」です。最後のkokuryoは国領と言う事が容易に分かると思いますが、問題は前半のdiKnKです。これが答えです。
 勿体振ってぐだぐだ引き伸ばしてもしょうがないなので答えを言いますと、ダイケンキのことなんですね。はい。それで、何故ダイケンキなのかと言いますと、私の一番好きなポケモンだからです。つまりそういうことです。
 ですから、四日市中央緑地公園に赴いた訳です。同行者も文句言わずに着いて来てくれて頭が上がりません。彼もポケモンには興味があるので虚無な時間になっていないとは思いますが、本当にそうでない事を心の底から祈ります。
 それでもたかがマンホールを見るだけなので時間はそれ程必要でないので、写真を撮って数分眺めて休憩したら、次の目的地に向かいます。

公園は国道沿いにあり、車社会であることを窺わさせる。

 公園の前は天下の国道1号。国道1号線上にはバス停も設置されており、勿論の事大きな駐車場を備えています。新正駅からも10分で来れるため、アクセスが凄く良好な公園と言えるでしょう。
 それで、私達は自動車免許は持っていない為、ここからの移動は公共交通機関やタクシーに頼るしか無いのですが、新正駅には戻りません。
 「じゃあバスを使うんでしょ?」
 使いません。別の駅まで歩いて移動します。地元の方であれば、今からどの駅を利用しようとしているか分かると思います。今から乗る「アレ」は鉄オタ目線からでも、折角四日市に来たのだったら乗るべきと考える人もいるかも知れません。

ナローゲージに少しだけ乗る。

日永駅舎。建物は動かせないので逆光。

 と言う事でやって来ました。四日市あすなろう鉄道の日永駅です。元は近鉄の路線でしたが、養老鉄道や伊賀鉄道の様に切り離されました。この路線は762mm軌間のナローゲージと呼ばれる狭い軌間を採用しているため、車両も小さいです。日本での採用例は少なく、ここ四日市もナローゲージの鉄道に乗れる数少ない街です。

ナローゲージの台車。日永駅構内にて。

 もっと分かり易い写真を撮ってくるべきでしたね。この写真では分かり難いかもしれませんが、日本でよく見る1067mmや1435mmよりも小さいことが分かります。
 過去に近鉄は、1435mm (大阪線、名古屋線他)、1067mm (南大阪線、吉野線他)、762mm (内部線 八王子線他 / 現四日市あすなろう鉄道)と言う具合に、3種類の軌間を持つ鉄道会社でした。然し、内部線系統を四日市あすなろう鉄道に分離した為、二種類の軌間を持つ鉄道会社と成り下がりました。二種類の軌間を持つ会社は、JR四国を除く各社 (1067mmの在来線と1435mmの新幹線)、京王電鉄 (1372mmの京王線系統と1067mmの井の頭線)、京阪電気鉄道 (1435mmの本線系統や石山坂本線系統と1067mmの石清水八幡参道ケーブル)などがあります。
 3種類の軌間を持つ鉄道会社は無くなったわけではありません。東京都交通局は今でも三種類の軌間を持っています。(1435mmの浅草線と大江戸線、1067mmの三田線、1372mmの新宿線)

同行者撮影。四日市あすなろう鉄道の路線図。

 今でこそ一駅しか無い八王子線ですが、元々は伊勢「八王子」まで伸びていたそうですが、被災に因る不通を経て、昭和五十一年に廃止されてしまいました。
 私ども、東京多摩地域の者なのですが、日野の隣に八王子があるという偶然に驚きを隠せません。日野も八王子も各地にある事は知識として知っていましたが、まさか隣同士に存在するなんて…!しかも位置関係もドンピシャです。日野の西に八王子。

また逆光。旅行だと光線云々を余り考える余地が無い。

 そんなこんな考えているうちに、列車が西日野方面からやって来ました。この列車、日野から来たんですよね。寧ろ私達は西日野行きに乗らなければならない気がします。兎に角、この写真でも列車自体が小さいことが十分わかると思います。この列車であすなろう四日市駅まで向かいます。それにしても本当に小さいですね。

あすなろう四日市駅の駅名標。

 乗車時間は僅かでしたが、列車内は地元の高校生などで賑わってました。かくいう私も高校生ですが、流石に新学期早々から登校では無いので、「お疲れ様です。」と思いながら乗車しておりました。勿論おサボりではなく、私は学校がないので今四日市に居るのですがね。帰宅部なので、春季休暇中は何も学校絡みの予定はありません!

名古屋へ戻る。

特急列車が来たが、これには乗車しない。

 後の時間は名古屋で潰す予定なので、近鉄名古屋線に乗って名古屋へ向かいます。今まで三重県を通過したことはありましたが、降り立ったことはありませんでした。その為今回が初めての三重県でした。名残惜しいですが、次の急行に乗って帰ります。
 さようなら三重県!また来るね!

名古屋駅に入線してくるひのとり。

 電車内で地元のおばあさんに話かけられました。重い荷物を背負っていたので、態々席を詰めて座れるスペースを捻出してくれたのです。感謝してもしきれません。そうこうしている間に、電車は名古屋に到着。バスの時間まで時間を潰します。

まさかの家電量販店。ビックカメラ。

 取り敢えず、ゲートタワーを散策します。同行者の方は名古屋に来たことがあるので、ゲートタワーまで案内してくれました。
 ビックカメラと三省堂に行きました。赤本コーナーに行くと、名大の赤本が一番目立つ所にあり、地域によってレイアウントが違い面白いなと思いました。
 母のスマホの調子が悪かったので、「暇だしスマホコーナー行くか!」と言う軽い気持ちで覗いていたら、店員さんに話しかけられました。それで名刺も貰ってしまって忍びなくなってしまいました。お兄さん。私、名古屋の者ではないんです…

今度は名古屋駅西店。名古屋にも複数店舗あります。

 お次はビックカメラ名古屋駅西店です。此方では買い物をしました。買ったものはswitchのカセットケース。ポシェットの中のカセット入れが満パンになってしまったのを思い出したので購入。あと、ビックカメラアプリの履歴に名古屋の文字を遺したかったというのもあります。時間と金が許すのであれば、全国ビックカメラ巡りなんてしてみたいですね。私の地元には三店舗ほどあり、幼い頃からお世話になっている店でもあります。

エスカ。ここで夕食を食べた訳では無い。

 夕食はスガキヤで食べる予定なのですが、エスカにあるスガキヤは寿がきやの方なので、ここから一番近いのは太閤のイオンタウンに入っているスガキヤなので、そこまで行きます。お腹が減って仕方ないのでa.s.a.p.で向かいます。
 風か強く寒いなか、知らぬ街を彷徨うのは大変でしたが、無事到着。

同行者撮影。同行者撮影が食べた温玉入のラーメン。 

 同行者は写真の通り、私はまるごとミニセットを注文。ラーメンフォークについて同行者と私とで意見が異なりました。私は割りと画期的で使いやすいと思ったのですが、同行者は使い難くてしょうがないと言っていました。
 腹ごしらえをした後、マックスバリュで麦茶やローカルなカップラーメンを購入し、そのままバスの出る名鉄バスセンターに向かいました。

帰路に就く。

名鉄バスセンターの高速バス発車時刻表

 名鉄バスセンターは外界と繋がっているため普通に寒いです。そのため、確りとした待合室があります。最初、寒いのを我慢して待合室の外で待っていたのですが、業を煮やして待合室に入りました。ファミリーマートが附設されているので迚も便利です。
 話は変わりますが、私はどれに乗るでしょうか?

乗り場の上の電光掲示板。

 正解は、22:30分発の方の新宿行きです。路線は名鉄と京王の共同運行です。私達の乗った便は名鉄運行便ですが、その次の府中経由は京王運行便です。
 名鉄バスには申し訳ないことをしてしまいました。客扱いが始まっていないのに、客室内に入ってしまったのですよね。発車時刻の5分前位だったので、もうとっくに始まっていると思っていました。
 バスに乗り込んだ時、やっと帰れるという安堵と、旅行の終わるあの寂しさが同時に込み上げてきました。どんなに近かろうと、どんなに遠かろうと、旅の最後は名残惜しいものです。

充当車両は名古屋中央営業所の2357号車。13年式の三菱ふそう・エアロエース。談合坂SAにて。

 ここでバスの感想を述べたいと思います。行きの激安高速バス「KBライナー」より、圧倒的に大手のほうが設備が良かったです。割と眠れた気がします。毛布が備え付けられていて、首周りに巻いてかなり楽できました。フットレストがある時点で行きのバスより楽です。それでも、行きに使用した「KBライナー」は激安なのに設備が良いですし、単純な座り心地も悪かったわけではありませんが、やはり高い方が快適なのは確かですね。名鉄 (京王) もKBライナーもおすすめですよ!
 体力がある若いうちなら、バスを使ってどんどん色んな所に行くべきだと個人的には思います。私も25歳位までならバスを選択肢に入れるでしょうし、何より安いので資金繰りが多少厳しいときでも遠出が出来ます。
 バスのステマみたくなってしまいましたが、バスは夜の移動手段として優秀だとは何が何でも伝えたいです。

行先表示器。俗に言うLED方向幕。新宿行きという文字が誇らしげだ。

 途中、恵那峡SA、談合坂SAで休憩がありました。そして私等は名鉄バス新宿線を中央道日野で下車し、そこから私の父に迎えに来て貰いました。因みになのですが、中央道八王子で降車する方がいらっしゃらなかったので、私等ともう一人が最初に下車したことになります。
 こんなクソガキの為に早朝から行動してくれた父を含め、今回の旅行に関わる全ての人に感謝申し上げます。
 今回の旅行は行きも帰りも夜行バスで大変でしたが、それでも面白かったです。二日間、色々なことを学べました。記事にしたのは後半の行程だけでしたが、機会があれば前半の行程も記事にしたいなと思っております。
 拙い文章だと思いますが、最後までお読み頂き有難うございました。今後も旅行記的な何かは書いていきたいなと思っておりますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

令和四年4月5日 diKnK_kokuryo16



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