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なるようにしかならない

 「なるようにしかならない」と言う言葉が嫌いと言う意見は根強いです。事実、天下のGoogle様で検索してみると、サジェストに嫌いと出てくる程。これは、この言葉に不快感を示す人は少なくないと言うことの現れでしょう。さらに、語義を調べてみると、「なるようになる」に諦念の意を込めたものだと出てきます。それを鑑みると、傍から見たらただの逃げや捻くれていると思われても仕方がないと思います。確かに保守的で言い訳にしか聞こえません。
 では、「人事を尽くして天命を待つ」だったらどうでしょう?言い訳には聞こえませんよね。勿論、努力をしたという前提がついてきますが、それでも言いたい事としては殆ど同じと言って差し支えは無いでしょう。言い方により取られ方が違うという事の良い例ですね。

 私自身、「なるようにしかならない」というのは事実だと思っています。いくら頑張った所で頭打ちになる所は必ず存在します。それでも、限界を超えろと言いますが、限界は読んで字の如く「限りの界」。超えられる訳ありません。若し超えられたらそれは限界ではありません。ただの関門です。それを思うと、何だ彼んだどうにかなっているものも多いことと思います。確かに、悩み考えたり、実際に動いたりしていないような、何もしていない人が「なるようにしかならない」と言うのはちゃんちゃら可怪しいですが、そもそもそういう人は「なるようにしかならない」などと言えませんから、考えないものとします。先ず、言葉を発そうとした時点で思考を廻らせ、一種の結論を出しているわけですから、真の意味では何もしていない人は居ないとすら思っています。

 では何故、嫌いだと思う人が居るのでしょうか。それは単純で、空気を読まずに発言しているからでしょう。別にこの言葉に限らずですが、更にこの言葉はそもそも他人に云々するものでもありません。なので、人に言われて反感を買わないことの方が多いでしょう。例えば、自分と周りが一生懸命頑張っているのに、とあるサボっている人が居たとしましょう。そのサボっている人にそんなことを言われたら腹がたつのは当然です。先程述べた様に、人を云々する言葉でなく、世の常を客観視したときの状況を言う言葉ですから、人に言う事自体が間違っています。これは何度でも言います。この言葉は強ち間違っていないからこそ、他人に言われたら不愉快なのかも知れません。

 何でもかんでも最後は天が決めると言うとスピリチュアル的でなんだかぼやけてしまいますが、最終的には運が物を言います。頑張った上、満足行く結果にならなくても、それはなるようになった結果なのです。結果主義の社会ですが、結果が付いてきたと言うのは運が良かったとも言えます。最近、何かとガシャと言いたがりますが、私達は1秒よりも短いスパンで常にガシャを引かされ続けています。確率は努力など行動で左右されますが、最終的にはそれで結果が決まって行きます。何か頑張って失敗してしまっても自分を責めないで下さい。悪いのは天です。逆に、努力も何もしないと自分が潔しとしない結果を引く確率が上がります。努力は乱数調整みたいなものです。「運も実力の内」と言うのは、「なるようにしかならない」、「なるようになる」という摂理をうまく切り抜けてこれる力があるという意味があったのかも知れません。

 最後になりますが、この言葉はあまり気負わないでね。と言う先人の思いだったのかも知れません。私の拙い「なるようにしかならない」観ですが、これで楽になる人が居れば幸いです。反対に気に食わない人も居ると思います。反論などご感想を頂けると、私としても新しい視点を知ることができ、大きな利益となります。今回は拙文をお読みくださり有難うございました。末筆ではございますが、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。


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