見出し画像

<アニサキスと闘う(001)> 食物アレルギーになってしまった日々の生活について書きます。

この話は、今まで食物アレルギーを全く持っていなかった僕が、2021年4月のある日、突然アニサキス・アレルギーが発症し、大好きだった「魚を食べることができなくなった」こと。食と旅を人生の生き甲斐とし、それを仕事にしている僕が絶望した日から闘うと決めた日のこと。僕と同じような症状になった人の役に立てれば。そして、いつ、誰もがなるかもしれない「アニサキス・アレルギー」についてを知ってもらえたら。との思いで書くことにしました。なお、こちらで書いていくことは主治医にも相談のうえとなります。


2021年4月。
AM2:00 寝苦しくて目が覚めた。
暑い...。喉が渇き、なんとなく首元に痒みを感じてベッドから起き上がる。あれ?寝巻きは新しくしていないし、洗濯の洗剤でも変えていないはず。それなのにカラダ全体に痒みを感じる...。

腕をめくると、肘から手首にかけて虫に刺されたかのような腫れがポツポツと、そして赤くただれてきているかのような。お尻から太ももの内側にも痛痒さを感じたのでズボンをおろしてみると、真っ赤に腫れ上がっている。これはただ事ではない。直感でそう思いました。

隣で寝ていた妻を無理やり起こし、全身を見て欲しいと伝える。
すると、腰からお尻にかけて(後ろ姿)も同じ現象だった。

その日のランチとディナーは、都内の日本料理店(どちらも名店として知られる)で会食だった日。「何かにあたった?」「何を食べたっけ?」と携帯で撮影した料理を見返す。仕事柄、お店にも許可を取ったうえで料理写真を全て撮影していたため見返しつつ考える。「あたっていたとしたら気持ち悪くなるよな?腹壊すよな?」そんなことを妻と話しながらも、真っ赤に腫れていくカラダの面積は広くなっていき、どんどん暑くなるわ、首周りがひどく痒くなってくるわ...。これはまずい。

時計をみるとAM2:30 。
夜間診療・緊急で診てくれる病院を探し妻にも手伝ってもらって何とかして1つの病院が受け入れてくれることに。コロナ禍ということで病院も大変な時期だ。運が悪い...。

タクシーを呼んで「昭和大学病院」へ。到着すると点滴、注射、血液検査の結果、アニサキス・アレルギーと診断され、即入院となったのだ。

「アニサキスに胃を噛まれたってこと?それなら、これから取るってことかな?」

「いや、金沢さんは胃アニサキス症ではなく、アニサキス・アレルギーになり、アナフィラキシー・ショックの状態です。」

「アニサキス・アレルギー??アナフィラキシー・ショック??
なんだそれ??

医師からは「仕事柄、非常につらいと思うのですが、数値があまりに高く、64.20でクラス5。今日から「アニサキスという寄生虫が存在しうる食材」を避けて生活しないと、死ぬ可能性すらあります」と言われる。

正直、なんのことだかさっぱりわからず、理解できなかった。アニサキスは海の魚すべてに存在する可能性がある寄生虫のため、これから魚介類全般を口にすることはできない、完全除去!!そう説明されても。。。

厄介なのは、
魚だけでなく、出汁もダメ、エキスもダメ!!ってこと。そうなると、、大好きな鮨、日本料理(和食)、ラーメンだって、蕎麦やうどんだって、料理によってはイタリアンだろうが、フレンチだろうがダメになる....。もちろん焼こうが煮ようが揚げようがダメ!!

まってくれ。。それじゃ、外食なんてできなくなる。好きなお店も行けなくなるだけでなく、仕事柄全国を、アジアを飛び回って取材している僕にとって致命的だ。間もなく42歳になる自分が、これから掲げていた目標が....

入院した1日はまったく眠ることもできず。「食と旅で人生を豊かに」を人生のテーマに掲げている自分にとってまさに絶望状態でした。「なんで俺が...」

「このアレルギーと闘えるのか? 」


(闘う。と決めたからこうしてブログに書いていこうと思ったので、002からは何故闘う。闘える。と思えたのかを書いていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?