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今見ても新しい『機動戦士ガンダムSEED』の演出

劇場版のガンダムSEEDを見てきた。素晴らしい作品だった。このために、シリーズを見返していて良かった。劇場版自体のレビューはまた別の記事で。今日は、TV版の思い出を書いていこうと思う。改めて見返して、色々と思うところはあった。

オモチャも、キャラも、とんでもない人気を誇ったガンダムSEED。沈みかけていたガンダムブランドを、一気に復活させた。やっぱり今見返しても、売れるだけの理由があるパワフルな作品だなと思う。機体、キャラ、ストーリー。本当に絶妙なバランスだった。

そんな魅力たっぷりな作品だが、個人的にSEEDで一番すごいところって、「リアルっぽさ」だと思っている。

「リアル」なのではなく、「リアルっぽい」ことだ。巨大な人型ロボットが活躍するという、根っこはSFエンタメ作品。ミリミリとリアルな描写がされても、視聴者はそれを求めているわけではない。

「それっぽさ」を適度にまぶしながら、設定自体は大胆に、斬新に、エンタメとして振り切って描写する。その思い切りの良さと演出の細かさがSEEDの最大限の魅力だ。今見ても、古臭さとか全く感じない。

OSの起動時の「GUNDAM」の表示。

発進時の電光表示。

そして発進する機体から伸びてちぎれるケーブル。

どれも、ちょっとした演出である。だけど、こうしたちょっとした演出に男の子はテンションがあがっちゃう。フィクションの世界だけでも、この世界なりにルールがあって、そこにキャラやロボが存在することを確かに感じられる。

フリーダムのロックオン描写とか、劇場版になってもほとんどいじられてなかった。もう20年近く前の作品と同じ描写が、今でも通じるのである。それくらい、SEEDのこうした描写は、ずば抜けて先を行っていたと思う。

見返していて、色々と思う所はあった。でも一番感じたのは、今見ても全く古さを感じないこうした素晴らしい演出だった。

他にも語りたいが、それは劇場版の記事で。
以上!


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