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映画『窓ぎわのトットちゃん』 劇場で見てほしい作品

映画、『窓ぎわのトットちゃん』を視聴した。その感想を書きたい。結論から言うと、映画館で見てほしい作品だ。すっごく。

こう書くのにも理由がある。この作品、冒頭は割りと「ダレる」からだ。家でネット配信で見ていたら、途中で視聴を辞めていたかもしれない。しかし、そうするのは勿体ない、非常に良い作品なのだ。

だから、劇場で見てほしい。逃げ場がない空間で、しっかりとあの作品の空気感を感じてほしい。決して、映画館を出る時には後悔しないから


あくまで日常の物語である

原作者の黒柳徹子さんは映画視聴後、こうおっしゃっていた。「あまり盛り上がりどころがない原作をよく映画化してくれた」と。

自分は原作は未読だったのだが、映画を見たあとだと、このコメントの意味が分かる。原作はエッセイなだけあり、かなり物語の起伏は少ない。
トットちゃんと言われる、少し変わった少女と、その少女が通う「トモエ学園」というこれまた変わった学校での出来事を描く、というのが主なあらすじだ。

ここの日常シーンは、エンタメとしてはそれほど魅力があるわけではない。序盤、「ダレる」箇所と言ってしまったのはこの部分だ。エンタメ作品の入りとしては、決して素晴らしいものではないと思う。


しかし、少しずつこの「トモエ学園」の日常に惹かれ始める。トットちゃんを始めとする、個性豊かな子どもたち。彼らを自由に健やかに育てようとするトモエ先生の、負けず劣らず独特な教育方針。そうしたシーンが愛おしく思えてくるのだ。

すごく好きな学園のシーンがある。トモエ学園の校長先生である「小林先生」と、彼の教育方針が大好きになるシーンだ。

トットちゃんが、トイレに財布を落としてしまう。彼女は、肥溜めを勝手に開けて、柄杓で糞尿を外に巻き散らかしながら、必死に探す。お昼休みになっても、ずっと探し続ける。当然、周りには異臭が漂う。
そんな様子を見て、校長である小林先生は怒りもしないし、助けもしない。ただ一言、「きれいに片付けはするんだよ」と言うのみである。

そして、放課後、トットちゃんは小林先生を尋ねる。先生は質問する。
「財布は見つかったかい?」
トットちゃんは笑顔で答える。
「見つからなかった。でもいっぱい探せて満足できたからだいじょうぶ!」そして、最後にはきれいに掃除がされた肥溜めが描かれて、シーンは終わる。

教育のあり方を考えさせられる、心に残ったエピソードだ。もし、同じことをしているトットちゃんに遭遇した時、自分は小林先生のような行動は決してとれない。頭ごなしに叱るだろう。もし、俗に言う「優しい先生」になれた自分で置き換えても、一緒に探す、というのが発想の限界だ。

達成感と、自己責任。このエピソードは、何気ない日常エピソードに見えて、すごく大事な教育の本質が詰まっているような気もする。


演出の力

そして、最初の山場が登場する。小児麻痺で、片手片足が動かない男の子、「泰明(たいめい)ちゃん」という男の子のお話だ。

彼は、その体の状況から、体育などの授業の際はいつも見学で、自分なんかには何もできないと塞ぎ込んでいた。しかし、その泰明ちゃんを、トットちゃんは自分のお気に入りの木登りスポットに招待する。

自分の体では登れるわけがないと拒否する泰明ちゃんだったが、トットちゃんは休日の学校で、2人でなんとかして木に登ろうと四苦八苦する。


女の子と、体が不自由な男の子が、一生懸命に木に登ろうとするだけ。文章に書いてしまうと、こんなあっけないものだ。でも、自分はこのシーンを見ながら思わず涙ぐんでしまった。

改めて、映像の力というのはすごい。自分はこんな分かりやすい感動シーンは嫌いなはずだった。でも、あっさりと感情が揺さぶられた。

映像の魅力を最大限に活用していたシーンだった。長々としたセリフや、重たい過去エピソードもない。あるのは、2人の表情、動き、背景、声優の演技、そしてそこに添えられる音楽。それだけだ。だからこそ感動できる。

小さい身体と頭脳で、一生懸命、目的に向かって努力していく子どもたちの純粋さと偉大さを、全力で表現している。本当に素晴らしいシーンだと思う。


自分は割りと俯瞰した視点(捻くれた視点とも言う)で作品を見てしまいがちだ。このシーンも下手な演出で見せられていたら、冷めた目で「あー、自分の体のハンディキャップを克服しようと努力する、お涙頂戴な展開だね」の一言で処理して、何の感動もしなかったと思う。

実写なんかでやられていたら、それこそ、「感動を売り出す作り物」感を感じてしまい、没入できなかっただろう。あくまで、アニメというあの世界の中での物語だからこそ、あのシーンはあれだけ美しくなったと思う。黒柳徹子さんがドラマ化にはOKを出さず、このアニメ化でようやくOKを出したのは、このシーンを見て、すごく納得できた。


日常から描写される戦争の恐怖

そして、物語が中盤に入ると、時代は戦争の時代に突入していく。ここで、前半の日常パートが活きてくる。あの平和で自由な時代が少しずつ、音もなく変わっていくのだ。

いつも切符を切っていた中年の駅員さんが、女性に変わっていた。みんなのお弁当が少しずつ質素になっていた。オシャレをしてお出かけができなくなっていった。そんなさり気なく描写されていた日常が少しずつ変化していくのだ。

そして、この映画の終盤には、トットちゃんのお父さんは何の描写もなく、フェードアウトしている。この戦争の恐怖の描写は、すごくゾッとした。日本のあの時代と言えば、爆撃なんかのそうした直接の脅威を描写されがちだが、1番の恐怖は、子どもたちの日常がこうして少しずつ変わっていくことかもしれない。

特に、いつの間にかトモエ学園の授業が大好きになっていた自分はすごくショッキングだった。あの校長先生の音楽が敵性音楽とみなされ、豊かなご飯とそれへの感謝が配給食になる。全て灰色に塗り替えられていく。

くどい演出が入っていない分、すごく直接その事実の重さが伝わってきたし、斬新で衝撃的な内容だった。


監督の伝えたいこと、この作品の意義

こうした戦争の描写、その中でも輝く、子どもたちの純粋さとその美しさ。そうした、監督の伝えたいもの、その熱意が非常に伝わってきた。

確かに、この作品はこのタイミングで、絶対に映像化しておかねばいけなかっただろう。黒柳徹子さんみたいな、戦争を、あの時代をリアルタイムで経験した人が少ないながらも生きているこの時代。物質的には豊かになったからこそ、それぞれの個性の尊重を考えなくてはいけないこの時代に。

そして、そうしたテーマを、新規のIPで「アニメで描く」ということ。アニメ業界の大御所であるシンエイ動画が、この大きな挑戦をしてくれたのはすごく嬉しい。

監督の伝えたいこと、そしてこのアニメ業界においての大きな挑戦。そうしたものも含めて、すごく意味のある作品だと思う。


見終わったあと、好きなシーンがたくさんできる

いい映画というのは、見ているその瞬間よりも、見終わったあとに何度も思いかえす中で、好きなシーンが増えていく。この作品はそんな作品だ。

あれだけ微妙と言っていた序盤も、全部見終わった今なら、好きなシーンになっているのだ。

本当はもっと色んなシーンの良さを語りたい。でも、こうして文章で書いても良さは1ミリも伝わらないだろう。特に、未視聴の人には。
作品で最高のシーンが、「水たまりを飛び越えられなかったトットちゃん」なんて言っても、未視聴の人からしたら?な内容だ。

でも、見た人なら分かる。言葉ではなく、映像で作る意味があった素晴らしい作品だった。


確かに、山あり谷ありなドラマは少ない。でも、そこにはあの時代を生き抜いた人々の姿がある。子どもたちとそれを信じた教育者たちの姿がある。そしてそれを映像として残しておこうと、全身全霊をかけて挑んだスタッフたちの思いもある。

繰り返しになるが、ぜひ劇場で見てほしい作品だ。


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