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タカハシ教授が語るビデオゲーム50年史:オデッセイとラルフ・ベア(デジタル・エンターティメント研究会第58回定例会レポート)

6月15日(水)に、第58回定例会「タカハシ教授が語るビデオゲーム50年史」を開催しました。講師はメディア・プロデューサーで京都芸術大学特任教授の高橋信之さん。

高橋さんは、今年から2024年にかけての3年間を「ゲームアニバーサリー」と名付けています。ビデオゲームのレジェンドにまつわる記念年が続いているのです。


ゲームのレジェンド・アニバーサリーカレンダー

2022年
「オデッセイ」発売50周年、ラルフ・ベア氏生誕100周年
『スペースウォー!』発明60周年
アタリ社創業50周年(PONG発売)
2023年
ノーラン・ブッシュネル氏(アタリ社創業者)生誕80周年
「ファミリーコンピュータ」発売40周年
エレメカピンボール発売90周年
2024年
西角友宏氏(『スペースインベーダー』の開発者)誕生80周年


このように、記念がたくさんあるのにゲーム業界がそれほど盛り上がっていない、これは遅まきながら盛り上げねばならぬ、と高橋さん。そこで今回は、数あるアニバーサリーの中から、今年発売50周年を迎えた「オデッセイ」と、その開発者であるラルフ・ベア氏の話を取り上げました。


オデッセイは1972年にマグナボックス社から発売された、世界初のビデオゲームシステム。それを開発したのがラルフ・ベア氏です。

オデッセイ
「ブラウンボックス」を手にしたラルフ・ベア氏

ドイツ系ユダヤ人移民のベア氏はもともとレーダーの無線技師で、第二次世界大戦中は米国陸軍情報局で無線担当を務めました。
終戦後ベア氏はラジオのメンテナンス技師を経て、テレビ技師に転じます。当時のテレビは完成品のほかに部品状態のキットでも販売されており、その組み立てにも携わっていたベア氏はテレビの構造を熟知していました。
1966年には木製筐体に対戦用のボリュームコントローラーをつけたデバイス「ブラウンボックス」を開発。これがマグナボックス社にライセンスされて「オデッセイ」になります。任天堂より10年早く射撃用ゲームも開発していました。


オデッセイの他にも数あるベア氏の発明品のひとつが「サイモン」(1978年)。4色の色と音が順に出てきて、その順番を記憶してそのとおりにボタンを押していくゲームです。色覚障害の方も聴覚障害の人もそれぞれ遊べるという、優れたゲームデザインでした。

サイモン

ベアはなぜビデオゲームを開発しようと思ったのでしょうか? ベアにとって、テレビ番組は低俗なものばかりでつまらなかったのだ、と高橋さんは言います。「もう少し知的なことができないか」と思ったときに、「テレビの画面を使って遊ぶ道具を作れば、テレビ番組を観なくて済むのではないか」と考えたのだそうです。ラジオがテレビを「殺した」ように、ビデオゲームはその始まりからテレビ放送を「殺し」に行っていた。テレビ放送もゲームやインターネットに取って代わられていく、そんな「遺伝子」がビデオゲームの初めから組み込まれていたのだ、と高橋さんは語ります。
このビデオゲーム機に「オデッセイ」という名前がついているのも、未来のもっと面白いメディアに向かう「旅(オデッセイ)」であったのかもしれません。


ラルフ・ベア氏のお墓はニューハンプシャー州マンチェスターにあります。お墓の前には業績を称える看板が立ち、銅像も建っています。

ラルフ・ベアのお墓の前

「『ビデオゲームの父』ラルフ・ベアに敬意を評して、世界中のゲーム関係者はお墓参りに行くべきじゃないか。コロナ禍が収まれば今年中になんとか実現したい」と高橋さんは意気込んでいます。


デジタル・エンターティメント研究会では、「ゲーム」と「デジタル」と「エンターティメント」に関わるさまざまなテーマによる勉強会を、1〜2ヶ月に一度のペースで行っています。ご興味を持たれた方は、研究会のFacebookページで開催告知を流していますので、ぜひアクセスしてみてください。

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