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1984年に誕生した神戸ワインが、第三セクターから大手日本酒メーカーに継承される

毎日新聞は2024年08月10日に、バブル景気やワインブームと相まってブランド力を高め、「株式会社神戸市」と称された都市経営策の看板商品だったが、近年は販売量が低迷。発売40年の節目に大きな転機を迎えていると報告した。

神戸ワインは、私がいたドイツのマインツ大学(Johaness Gutenberug Uni in Mainz)にいた日本人が、ライン川の対岸で有名なワインの街リューデスハイム・アム・ライン(Ruedesheim am Rhein)の近くにあったワイン研究所で研究して、ドイツから苗木を運び、苦労して育てたのが始まりであった。

神戸市西区平野町印路(いんじ)地区の台地。約8.7ヘクタールにブドウの木々が広がる。6月下旬、枝先に生えた手のひらほどの葉の陰に、小ぶりなブドウの房が実っていた。メルローやシャルドネなどワイン向けの品種だ。

ブドウ園は、7人が加盟する印路生産組合が2091年春から手掛けている。代表理事の萩原重実さん(74)は収穫を2カ月後に控え、「今のところ順調に育っている」と語った。一方で「あまり雨が降らない土地だったのに、最近は降りすぎる。夏場も暑すぎて、ええもんができなくなっているんですわ」と付け加えた。

フランスでは、地球温暖化の問題が深刻でああるが、その影響は日本でも起こっているようだ。

官民一体で誕生してから40年。

神戸市北西部に位置するこの一帯は元々、年間の降水量が少なく、水不足に悩まされてきた。それを解消するため、70年から20年以上かけて国による大規模な水利事業が進められた。

それと同時に、気候条件や水はけの良い土壌を生かし、ワイン向けブドウの生産が始まった。計108ヘクタールの丘陵地がほ場に造成され、第13代市長の故・宮崎辰雄氏も知名度の高い神戸ビーフに合うワインを作ろうと農家と意見を交わし、技術指導をする職員に国内外の主要産地を視察させ、白矢がワイン研究所で研究して人に立てられ、神戸ワインは13年の準備期間を経て完成したという話のようだ。

マインツは、ドイツ・ワインの集積場で、確かドイツワイン協会の本部もあった。

私の部屋も、大きなワイン蔵の向かいにあり、年中部屋中にワインの匂いがしていた。

当然、マインツ大学の学生の多くは、ワイン畑のオーナーの息子で、彼らの手土産は、自宅でできたワインであった。

全てがワインで回転していた。

街には、ワインにあうレストランも多くあるが、私は貧乏学生で学生食堂以外はほとんど知らなかった。

神戸市西区平野町印路(いんじ)の緯度、経度。
34°42'49.3"N 134°58'20.2"E
または、
34.713700, 134.972286

https://mainichi.jp/articles/20240810/k00/00m/040/228000c

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