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父の「徘徊癖」には、ひとつだけいいことがあった〈介護幸福論 #5〉

「介護幸福論」第5回。認知症の父は「徘徊癖」という問題を抱えていた。朝昼晩かまわず出かけてしまって、警察の厄介になることもしばしば。父から目を離すのが怖くて入院している母の見舞いにもいけない。1日中、監視態勢をとらなければならず、気苦労がたまる。そんな中でもひとつだけいいことがあった。父の教師時代の充実した日々を知れることができたのだ。

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■父の徘徊が怖くて、母の見舞いに行けなかった

 肺炎と診断された母の入院は、当初の予想よりずっと長引いた。母の肺炎に効く薬がなかなか見つからなかったためだ。

 病原性の肺炎にも「細菌性の肺炎」と「ウイルス性の肺炎」と「非定形肺炎」があり、それぞれまず病原を特定し、どの薬が効くのか、どんな治療が有効なのかを見極める必要があるという。母はそれに時間がかかった。

 おかあちゃんの病気は、息子がいくら気を揉んだところでどうにもできない。せいぜい病院へお見舞いに行き、精神的に安心させてあげるくらいしか、やれることはない。

 しかし、うちの場合、ぼくが母の見舞いへ行くと、逆に母を心配させることになってしまう。認知症の父を家にひとりで置いて行くことになるからだ。

 父には徘徊癖があった。

 朝昼晩かまわず、ふらりと外へ出かけ、まともな時は戻ってくるけれど、たまにまともじゃない時は戻ってこられない。

 これで何度か警察のご厄介になったり、善意のタクシーに送り届けてもらったりしたと聞いていたから、ぼくが同居するようになってからの最大の心配事も、これだった。

 父をひとりで家に置いたまま、長時間は出かけられない。近所のスーパーへ行って食事を調達してくる15分も、気が休まらなかったし、慣れないうちは父がトイレに立つだけで見張りの気持ちが働いた。

■デイサービスに通ってもみたが…

 昼間は介護施設のデイサービスに通うことも試してみたが、父はすぐに飽きて帰ってきてしまう。

 デイサービスとは、半日なり一日なり、施設で預かってくれて、入浴させてくれたり、みんなで歌を歌ったり、簡単なゲームをしたり、口の悪い人は「年寄りを集めて、ちいちいぱっぱさせる」なんて言い方もするが、そんなふうに過ごさせてくれるサービスだ。

 頑固者の父は、この〝ちいちいぱっぱ〟を「いい歳こいて何やってんだ」とバカにして、すぐに帰りたがった。

 せっかく父をデイサービスにお願いして、母の見舞いへ行ったのに、「おとうさまが帰ると言って聞きません。すぐに自宅へ戻ってください」と電話で呼び戻されてからは、これも諦めた。

 一日じゅう監視のような態勢で見守り続けていると、おそろしく気苦労がたまる。

 早朝、まだ日が昇って間もない午前5時頃に、父が玄関のカギを開けて出かけようとする。年寄りの朝は早い。ぼくはカギの音に反応して、あわてて飛び起き、半分寝たままの頭で父を追いかける。

 しかし、連れ戻そうとすれば「なんだ、散歩してるだけだ」と、父は機嫌を悪くした。実際にちょっと散歩したら戻ってくることが多いのだと、そのうち気付いたが、何度か保護された話を聞いている身としては、玄関のカギを開ける音がするだけで気が気でない。午前5時からこれでは、安眠などできたものではなかった。

 徘徊癖のある認知症の人を動き回らせないようにするには、外からカギを掛けた部屋に閉じ込めるか、手足を縛ってベッドに拘束するか。たぶんそのくらいしか対策はない。

■垣間見れた父の「実りある季節」

 それでも徘徊癖を通じて、ひとつ新しく知ることができた父の姿がある。
 父はときどき、以前に勤めていた学校へ出かけようとした。リュックを背負って出かけようとする父に「どこ行くの?」と聞くと
「学校だ。○○学校へ行ってくる」と答えた。

 父はずっと教師として働き、校長先生をやっていた期間も長い。晩年には、ある新設学校の初代校長を務めた。父が出かけようとしたのは、いつもその新設学校だった。

 入院中の母にその話をすると、こう教えてくれた。
「認知症の人はさ、自分がいちばん充実してた頃に戻るんだって。おとうちゃんは、○○学校に勤めていた頃がいちばん充実してたんじゃないかね」

 父がその学校の校長だった頃、ぼくは離れて暮らしていたから当時のことは何も知らない。父の仕事ぶりを想像したこともない。

 母からの話を伝え聞くに、新設学校の初代校長というのはとても大変で、それゆえにやりがいのある仕事のようだった。校歌をつくる作業などから始まり、学校のあらゆる礎を一から築かなくてはならない。

 すっかりボケてしまい、とっくの昔に退職した勤務先へ出かけようとする父の行動は、滑稽なのかもしれない。
 しかし、それが仕事ひとすじだった父の、もっとも実りある季節を再現する行動なのだとしたら、ぼくはそれを笑えない。

 教師人生の最後に充実した日々があったこと。これが父の徘徊癖のおかげで知れた、息子の知らなかった父の顔であり、父への敬いの気持ちを抱かせてくれた大切な思い出のひとつである。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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