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認知症の父の不思議な行動にとまどう日々が始まった〈介護幸福論 #4〉

「介護幸福論」第4回。いよいよ認知症の父と、ひとつ屋根の下の生活がはじまった。自分を息子と認識してくれる日もあれば、そうでない日があった。うたたねの前と後で普通のおじいちゃんと認知症患者が入れ違うことも。その波の激しさにとまどった。

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■「明日の朝は何時に起きるんだ?」

 父と暮らし始めてすぐの頃、とても印象的な出来事があった。
「おまえ、明日の朝は何時に起きるんだ?」
 父がそう尋ねてきた。
「朝は7時くらいかな」
「そうか。じゃあオレが起こしてやろう」

 最初は何を言い出したのかよくわからなかったが、起こしてもらえるのは別に迷惑な話ではない。それよりこの約束を父が明日まで覚えているのだろうかと、そちらに興味があった。

 すると次の日の朝。いや、朝ではない。真夜中だ。

 ぼくの寝床の横で物音がするのに気付き、目が覚めた。人の気配にビクっとして確かめると、父がすぐ横にイスを出して座っていた。
 時計を確かめると、午前4時前。約束の時刻にはまだ3時間以上もある。

「おお、すまんな。起こしてしまったか」
 父がしっかりした口調で言う。
「……まだ4時前だよ。どうしたの」
「いや、7時に起こしてやろうと思ってな」

 この行動をどう受け止めればいいのか、深く困惑した。

 午前7時に起こしてくれるために、午前4時前から寝床の横で待機する。これはどう考えても普通ではない。

 しかし、認知症=ボケてしまった記憶障害のおじいちゃんと思っていると、この行動は理解できない。ちゃんと約束は覚えていて、3時間も前に準備ができるのだから。

 ぼくは父を「まだ早いから」と説得して寝かせ、自分もあらためて布団に入ったが、前途多難の予兆に、再び眠りに落ちることができなかった。

■「認知症」は日によって症状が大きく違う

 認知症の基礎的な知識もないまま、アルツハイマー型認知症の父と暮らすことになった介護初心者が、どんなことを感じ、何にとまどったか。
 あくまでも父の個人的なケースと前置きをした上で、記してみよう。

 日によって症状が大きく違う。これは実際に接してみるまで知らなかった。
 まず、ぼくを息子と認識できているかどうかが、日によって違う。息子とわかっている時もあれば、わかってない時もある。
「なんだ、今日は学校行かないのか」
 父からのこの問いかけに対する正しい返答は何だろう?

 当初は、いちいち説明して、間違いを正そうとしていた。目の前にいるあなたの息子はもうとっくに学校へ行く年齢ではないよね、思い出してくださいと、正しく教えてあげることが症状の改善につながるものだと思い込んでいた。

 しかし、この対応は良くないらしい。
「おとうさまの言うことを否定しないでください。なるべく肯定してあげてください」
 ケアマネージャーさんにも諭された。認知症であることを自覚させても、機嫌が悪くなるだけでプラスの効果はあまりないという。

 何十年も昔に戻った状態になることもよくあった。
 今日はぼくを認識できているぞと安心していたら、息子ではなく、自分の弟(ぼくから見れば叔父)と認識していたんだと、あとで気付かされる。父の時計が昭和20年や30年に戻れば、目の前にいる男は息子のはずがなく、弟であるほうが辻褄は合う。

 うたたねの前後で変わる場合もある。
「おう、おまえ、いつ帰って来たんだ」
 うつらうつらの居眠りから目覚めた父が、ぼくを見てちょっと驚く。あれ、さっきはわかってなさそうだったのに、今はちゃんと息子を認識している。
 うたたねの前と後で、普通のおじいちゃんと認知症の患者が入れ替わってしまうのである。まるで多重人格者のドキュメンタリーで見た、人格交代の瞬間のようだった。この逆パターンも含めて、そんなことがよくあった。

■3分おきに同じ質問が飛んでくる

 ただし、母の入院については、何度話しても頭に入らないようだった。
「おかあちゃんはどこ行った」
 同じ質問が、繰り返し飛んでくる。今は病気で入院しているからしばらく家にはいないよと、何度説明しても同じことを聞いてくる。多い時は3分おきくらいに。

 このような症状は父と接する前から知っていたから、面食らいはしなかった。テレビドラマに出てくる認知症の老人はたいてい、この〝物忘れの激しいお年寄り〟の延長として描かれる。
 それでも3分おきに同じ質問がひっきりなしに飛んでくるというのは、こちら側の精神的なストレスが大きい。

 最初のうちは丁寧に「おかあちゃんは今、入院しているよ」と同じ答えを返せるが、そのうち壊れたレコードにウンザリしてきて、無視してしまったり、適当な相づちでごまかしてしまったりする。
 が、これをやると途端に父は怒り出す。
「人が聞いてるのに、その態度は何だ!」
 怒りっぽくなるのも認知症の厄介な症状のひとつだと、すぐに学んだ。たとえ3分おきに同じ質問をされても、辛抱強く同じ答えを返すしかなかった。

 そして、母が病に倒れた理由もわかった気がした。こんな同居者と毎日顔を突き合わせて暮らしてきたストレスの蓄積が、母の身体をむしばみ、病気に追い込んだのだろう。
 台所の食器棚にたまったホコリを指でなぞりながら、そのことに気付けなかった己の無関心に胸が痛んだ。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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