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【弄便】認知症とは、人が壊れてしまう病気だ。〈介護幸福論 #6〉

「介護幸福論」第6回。今回描かれるのは、介護の過酷な一面。認知症患者がとる「弄便」という問題行動だ。介護の現場にいれば、これは決して珍しいものではないことがわかる。

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■物忘れより怖い、認知症の症状とは

 認知症について書くと、反響が大きい。世の中には専門家が記した認知症の本やWEBページがいくらでもあるのに、それでも「知らなかった」「もっと教えて欲しい」といった声が届く。

 まだ専門家の本を読むほど切羽詰まってはいないけど、いつか自分の親がそうなる前に少しは知っておきたいという、介護予備軍の層がたくさんいるのだと思う。

 認知症というと、物忘れなどの記憶障害がクローズアップされがちだが、現実はもっとハードだ。

 暴力、徘徊、弄便(ろうべん)。
 これが認知症患者の困った症状トップ3ではないだろうか。

 記憶や判断力の低下などは、脳の神経細胞がやられた結果、本人の脳に起こる問題で、「中核症状」と呼ばれる。
 これに対して、暴力を振るうとか、暴言を吐く、徘徊するなど、まわりの人との関わりの中で起こるのが「周辺症状」。介護する側が苦労するのは、こちらのほうだ。
(周辺症状を「BPSD」と呼ぶことも増えているが、横文字にした結果、かえって混乱を招いているようにも思う)

 例えば、弄便と呼ばれる症状は、どの程度まで一般的に知られているのか。

 これは字の通り、便をもて遊ぶこと。わかりやすく言えば、排泄したウンコをいじりまわしたり、なすりつけたり、食べてしまう問題行動のひとつだ。もらしてしまったおむつを、こっそり洋服ダンスに隠すという話もよく聞く。

■弄便は決して珍しくない

 1972年にベストセラーになった有吉佐和子の『恍惚の人』には、弄便の生々しい描写が出てくる。認知症になった義理の父を描いた小説で、映画化やテレビドラマ化もされたから、介護世代にはおなじみだろう。ただし、この作品も今の若い人にはなかなか通じないし、あらためて介護をする立場になってから読み直すと、一段と身につまされる。

 幸い、うちの父にこの症状はなかったが、介護の現場に触れると、弄便は珍しい行動ではないとわかる。物忘れの激しい認知症のおじいちゃんが映画によく出てくるなら、排泄物をいじりまわすおばあちゃんも、たまに出てこないとおかしいくらい、よくある症状だという。

「あら、おいしそうなおはぎ」と食べてしまう場面も描かれるべき……などと書くと、品の悪い冗談に思われそうだが、これは介護施設の人がまじめに話していた現実のエピソードだ。「世の中に知ってもらうためにも、高視聴率のドラマに弄便の人を出して欲しい。おはぎの話を使って欲しい」と、語っていた。

 ちなみに2019年の映画『長いお別れ』には、認知症になった父(山崎努)が便失禁してしまい、それを娘(蒼井優)が始末するシーンが、引きの映像で数秒だけ出てくる。

 こちらの映画は、ゆっくりと記憶を失っていく父親と、娘たちの7年間にわたる家族の物語。親の認知症を悲しいこととして扱うのではなく、いずれおとずれる普通のこととして受け入れながら、娘たちもまた自分の家族について見つめ直していくという、やさしい視線の作品だった。

「認知症はこんなにハードだぞ」という描き方もあれば、「認知症は特別なことなんかじゃないよ」という描き方もある。当連載は後者の立場に近いが、今回はちょっとだけ過酷な側面を強調してみたくなった。

 暴力、徘徊、弄便。どれかがあるかで、在宅介護の難易度は格段に上がる。

 そのような症状を具体的に知っているかいないかで、認知症患者を施設に預けるべきか、自宅で面倒を見るべきかの意見も変わるだろうし、介護施設の職員の待遇をもっと改善するべきではないか、といった議論にもつながるだろう。

 認知症とは、ボケてしまって、息子や娘がわからなくなるだけの病気ではない。自分のウンコをいじりまわして、なすりつけてしまう、人が壊れてしまう病気である。

 有吉佐和子『恍惚の人』から一節を引用しよう。
「老いは死よりずっと残酷だ」

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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