“悪魔の薬”と呼ばれた新薬で母は命を救われた〈介護幸福論 #25〉

「介護幸福論」第25回。最近、新型コロナウイルスへの対処薬として「アビガン」や「レムデシビル」など新薬の名前がニュースでひんぱんに登場する。新薬はとくに副作用を慎重に検討しなければならないが、それを使うことで助かる命がある。母の介護のときは「イレッサ」を使うか、使わぬべきか、頭を悩ませた。

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■アビガン、レムデシビルそんなに早くて大丈夫?

 2020年5月の今、世の中は新型コロナウイルスの話題一色。アビガンやら、レムデシビルやら、聞き慣れない薬の名前が聞こえてくる。

 本連載は時系列順に進むのが原則のため、現在の話題を持ち出すと時間の軸がぶれてしまうのだけれど、両親の闘病・介護中はいろんな薬の名前を覚え、いろんな薬のお世話になった。特効薬を求めて、未承認の抗がん剤の臨床試験の結果にも目を通した。

 その経験からすると、今のように異例のスピードで薬が承認されていく様は「なーんだ、やればできるじゃん」と拍手したくなる一方で、いくら非常事態とはいえ「こんなに手続きを簡略化して承認してしまって大丈夫なの?」という心配も浮かぶ。

 ある患者には救いの神となる抗がん剤も、別の患者には命を奪う副作用を生む場合がある。母が何年も服用することになる「イレッサ」という薬もそうだった。

 母が脊椎へのがんの転移によって、半年間の寝たきり入院生活を余儀なくされたことは書いた。今回はその入院中の話。父の死の前だ。

 最初はなかなか治療の成果が出ず、もう二度と自宅に帰れないのではないか、このまま病院のベッドで一生を終えるのではないかと絶望しかけた時期もある。

■母は「イレッサ」に救われた

 しかし、ある薬の服用を転機に、母が背中の痛みを訴える機会も減り、体調が上向き始めた。それが最後の選択薬として打診されたイレッサだった。

 イレッサについては、今でもネットを調べれば「イレッサ事件」「イレッサ薬害」といった、きな臭い言葉での情報がたくさん出てくる。

 イレッサは進行した肺がんを対象に、2002年に承認された薬だ。一部では「夢の新薬」と歓迎され、海外に先駆けて日本では申請からわずか5ヶ月でスピード承認された。

 ところが、いざ投与が始まると重篤な副作用の発生が相次いで報告され、1年で300人近い人が死亡してしまう(イレッサ訴訟の原告弁護団の資料より)。

 2004年には訴訟が起こされ、認可取り消しを求める声が強くなる。マスコミも食いつき、ある新聞社は「悪魔の薬」と名付けてキャンペーンを展開。製薬会社の金儲け主義と、それを承認した厚生省の責任を追求した。

 しかし、次第に雲行きが変わり始める。

 実際にイレッサを服用して効果があった患者さんの側から「私たちからイレッサを奪わないでください!」という切実な声が上がり、署名運動が起こったのである。
「副作用だけでなく、効いている人にも目を向けて欲しい。この薬以外に選択肢がない患者もいるのだから」と。
 
 さらに海外での臨床試験のデータが増えたことにより、副作用が出る人と出ない人、薬効が大きい人と小さい人の違いなどが、少しずつ判明していく。
(ここに記すのは、母が服用を始めた2010年頃の情報です。最新の知見はアップデートされているので注意してください)

 ある遺伝子の変異がある肺がんには目覚ましい効果を示し、その変異がない場合にはほとんど効かない。ほかにも喫煙経験がない人や、アジア人の女性によく効くらしいことなどがわかっていく。

 だから、あらかじめ遺伝子を検査した上でイレッサを服用すれば、高い効果を得られ、危険な副作用も抑えられる。

 母の肺がんは、この遺伝子の変異があるタイプだという。おまけにアジア人の女性で、喫煙経験もない。理想的な患者だ。

 それらの事情を説明した上で、振り幅の大きな“劇薬”を使うかどうか、本人に決めてもらうことにした。

 母は最初、あまり気が乗らないようだった。すでに抗がん剤治療(プラチナ製剤の投与)を何パターンか試した後であり、体力も気力も衰えていた。
「もう治療しなくていい」と弱音を漏らした日もあり、看護師の中には緩和ケアを薦める人もいた。緩和ケアというのは、病気を治すことよりも、残された時間を有意義に過ごすことに重きを置き、痛みを取るなどの治療をする。終末医療とも呼ばれる。

■各自がブレない意見を持つべき

 それでも、ぼくが「1週間だけ飲んでみよう。それで調子が悪かったらやめていいから」と、なかば強引に薦めて、母は薬の服用を決めた。本人に決めてもらうと言いながら、最終的にはこっちの希望だった。

 結果として、イレッサは母に効いた。すごくよく効いた。

 のちに「こんなに長期間、この薬を飲んでステージ4から長生きした人は、うちの病院でも珍しい」と言われるほど、毎日お世話になり続けた。

 薬害を訴えた裁判も、2013年に最高裁で原告側の主張が退けられ、製薬会社と国の賠償責任は否定された。ただし、この裁判は副作用をあらかじめ予期できたかどうかが争点になり、薬害は認定されている。

 もし、あの時に悪魔の薬としてイレッサが認可を取り消されていたら、うちの母はどうなっていたのだろうか。それを想像すると、恐ろしくもあり、ありがたくもある。

 その後、同タイプの肺がんの分子標的薬(特定のがん細胞を攻撃する薬剤)はいくつか承認され、現在では4種類が存在するという。

 一連の騒動の教訓を、現在の状況に重ねつつ、まとめてみよう。

●期待の新薬をスピード承認することは、危険もともなう。
●臨床試験を積み重ねた上での認可であっても、いざ多くの人たちに投与され始めると、予期できない副作用の発生や、不測の事態が起こりうる。
●重篤な副作用がある薬でも、効く人にとっては命を救う最後の手段かも知れず、それを奪うことをすべきではない。
●リスクを抑え、効果の高い使われ方が確立するまでには、ある程度の時間を要する。

 新薬の認可手続きを簡略化し、スピードアップを図るのは、危険をともなう両刃の剣である。迅速さとリスクはトレードオフであって、両立は難しい。

 そこは各自がブレない意見を持つべきだろう。メディアで発言する人たちはなおさらだ。

「非常事態だから速さを重んじよう」という立場をとるなら、のちに副作用が判明しても安易な批判は避けるべきだ。
「たとえ非常事態でも治験データやエビデンスなしに承認するようなことがあってはならない」という立場をとるなら、安易に国や厚生省の遅れを批判するべきはない。

 先の見えない中で、誰もが難しい選択を迫られているのだから。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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