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父に胃ろうを造るべきか。いや、胃ろうは悪か。延命治療の選択を迫られた〈介護幸福論 #22〉

「介護幸福論」第22回。植物状態になってしまった父。家族として延命治療を望むのか、そうではないのか。そういった決断を迫られるフェーズになった。蘇生措置については行わないということで家族の間で一致したが、胃ろうを造るかどうかでは兄と意見が分かれた。下した決断とは。

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■決断をせまられた

 父が脳出血を発症して意識のない状態になり、家族として延命治療を望むか望まないかの選択に直面した。

 延命治療にも様々あるが、まず医師に質問されたのは「もし心肺が停止したら、蘇生措置を行うかどうか」だった。

 これは二男ひとりで決めていい事柄ではないと自覚しつつ、さすがにこの蘇生は不要だと思った。

 そもそも父がベッドの上で人工呼吸器をつけられ、生かしてもらえている状態がすでに延命治療だろう。現状を積極的に止めて欲しいという気持ちはないが、今後の心肺停止に抗うつもりはない。

 家族の意見をまとめておいて欲しいと言われ、母や兄弟にも相談した。

 ステージ末期の進行がんで寝たきりの母に、父の死やら延命治療やらの相談を持ち出すのは気が重かったが、一番大事な人の意見を聞かないわけにはいかない。

「おとうちゃんのことなんだけど、どうしたい?」
「うーん…………。私にはわからない。あなたが決めて」

 それが母の答えだった。

■胃ろうをめぐって兄と意見が対立

 兄や弟にも意見を聞き、蘇生措置は行わないという点で一致したが、兄がこんなことを言い出した。

「胃ろうもやめようよ。あれは良くない。胃ろうはダメだ」

 胃ろうというのは、胃にチューブを通して直接、食物や水分などの栄養を投与する医療措置のこと。口から食べ物を摂取できなくなった人に施され、胃ろうを造る手術はPEGと呼ばれる。

 2010年頃、胃ろうの是非がマスコミでもよく取り上げられた時期があった。批判的な論調が多かった。

「人間は口から物を食べられなくなったら、それが寿命。胃ろうを造ってまで延命させるべきではない」
「これは人間の尊厳の問題。胃にチューブをつながれてまで、生きていたいのか!」
「日本は胃ろう大国だ。お手軽に造りすぎて、医療財政を圧迫している」

 これらの批判を受けてか、2014年には胃ろうに関する保険制度が改定されている。胃ろう手術の医師の診療報酬が大幅に下げられ、乱造に歯止めがかけられた。ぼくもぼんやりと「胃ろうは望ましくない、減らすべき延命治療」という先入観を持っていた。

 数週間後、病院から父に胃ろうを造るかどうかの打診と説明があった。

 父のような症状の場合、

1 点滴
2 経鼻胃管(鼻からチューブを入れて栄養を送り込む)
3 胃ろう(胃にチューブをつなげて栄養を送り込む)

 この順番をたどるケースが多いという。つまり、わかりやすく言うならば「鼻チューブから胃チューブに変えますか」という選択になる。

■胃ろうのメリットは大きかった

 調べてみると、胃ろうはメリットが大きいように思えた。

 まず、経鼻胃管より患者の負担が小さい。鼻からチューブを突っ込まれていると呼吸が苦しかったり、痛みもあるが、それがなくなる。

 介護する側のケアの手間が減る。食事の介助や、痰の吸引などが楽になる。誤嚥性(ごえんせい)肺炎のリスクを減らせる。誤嚥とは、唾液や食べ物を飲み込む時に、誤って気管に入ってしまうこと。誤嚥性肺炎は、そうやって気管や肺に細菌が入り、発症する肺炎。

 高齢者は飲み込みの機能が低下するため、誤嚥性肺炎を起こしやすい。でも、口から食べ物を摂取しなければ誤嚥のリスクは減る。(ただし唾液の誤嚥はあり、胃ろうがこのリスクを減らすかどうかについては両論がある)

 さらに父の場合、現実問題として大きかったのは、病院から「胃ろうを造れば、うちで入院を継続できる。でも、胃ろうを造らないなら、転院してもらうことになる」と説明されたことだ。

 これは決定的だった。

 胃ろうの患者なら、受け入れてくれる病院や介護施設は多い。しかし、胃ろうなしの患者は、受け入れの病院や施設が一気に減る。経鼻チューブの患者は、たんの吸引などの手間がかかり、世話する側の負担が大きいためだ。実際に、胃ろうなしで受け入れてくれる病院を調べてみたら、自宅から汽車で1時間以上かかる町の病院が最も近かった。

 そんな遠くの病院へ父を移してまで「胃ろうはしません!」と突っ張る理由は、ぼくにはない。それに鼻チューブより胃チューブのほうが苦しくなさそうなのは、想像でもわかる。

 あれこれと想いを巡らせるうちに、父の胃ろうを造る言い訳を考えている気分になってきた。自分の中に、延命治療は望ましくないという負い目や、マイナスの感情があるからだと思う。

「おとうちゃん、どうしたい?」と本人に確かめたかったけど、父はベッドの上で眠るだけ。しゃべってくれない。

 心肺停止からの蘇生までは望みません。しかし、今は父が少しでも長く、命のある状態を保って欲しい。そのためにプラスになることはお金がかかってもやってあげたい。これが結論だった。

 あと何ヶ月か、父が頑張ってくれれば、今は動けない母も葬儀に参列できるようになる。「そんな理由で長生きを望むのか!?」と聞かれたら「そうです。そんな理由じゃダメですか」と答えるしかない。

 父の葬式に一番必要なのは、母だ。長年連れ添った母が車いすでもいいから参列できるように回復するまで、父には生きてもらわないと困る。

 延命治療がその願いをかなえてくれるなら、目の前の息子はそちらを選ぶ。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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