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ああ、そうか、父はあの状態になってしまったのか。〈介護幸福論 #21〉

「介護幸福論」第21回。悪いことは連鎖する。母に、がんの骨転移が判明した数日後。今度は父が入所先の特養から救急車で病院へ搬送された。脳出血だった。すぐに緊急手術がはじまり、父は一命をとりとめたがいわゆる植物状態になってしまった。さまざまな心配事が頭をよぎった。

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■父が特養から救急車で搬送された

「お父さまが倒れました。**病院へ向かってください」

 母に、がんの骨転移が判明した数日後。今度は父が入所先の特養から救急車で病院へ搬送された。

 なんてこったい。ちょうど母の付き添いを終えて、病院から自宅へ帰ってきたところ。遅めの夕食をコンビニのパンで済ませようとしていた矢先の緊急コールだった。

 すぐ自転車にまたがり、夜の道を飛ばす。父の病状を心配するよりも前に、タイミングの悪さがうらめしかった。

 父のアクシデントはいつも、母が大変な時に重なって起きる。母は当分のあいだ寝たきりの入院生活が続くため、食事もひとりでは摂れない。毎日ぼくが病院へ通い詰め、介助すると決めていた。

「よりによって、どうしてこんな大変な時に倒れるんだ……。今、おとうちゃんのことは全部、施設に任せておきたいのに」

■脳出血をおこしていた

 病院へ駆けつけてみると、父の症状は予想していたよりずっと深刻だった。すでに意識はなく、脳出血だという。

 すぐに手術が始まり、「命の危険があるので待機していてください」と言われ、背筋が寒くなった。

 救急外来の待合室のような場所で、父に付き添ってくれた介護職員と世間話をしながら、時間が過ぎるのを待つ。

 最初は父の話をしていたが、そのうち介護の仕組みや制度の話になる。

ぼく「どうして特養っていうのは、医者が常駐してないんですかねえ。特養こそ医者がいつもいるべきなのに」

介護士「私もそう思います。でも、医師が常駐すると『住居』ではなくなってしまい、法律上の扱いが変わるとか、いろいろ難しい問題があるようです」

 これは要介護者を抱える家族の“あるある話”で、不満を訴えたわけではない。ほかに話題が見つからず、ただ待つしかできない状況の中、沈黙を避けたかっただけだ。

 待つだけで何もできない無力感は、両親の世話を始めてからたびたび経験してきたが、そんな時は気を逸らしたほうがいいと学習するようになった。

■父の命は助かったが…

 しばらくして手術が終わり、医師の説明があった。

 父の命は助かった。しかし、もう意識もなく、会話もできない。呼吸はしていても、自力でほとんど何もできない。いわゆる植物状態である。正しくは、遷延性(せんえんせい)意識障害とか、持続的意識障害と呼ばれるらしい。病院スタッフは「ベジ」という呼び方もする。ベジタブル(=野菜、植物)の略というか、隠語だ。

 呼吸器をつけられてベッドに横たわる父を見ながら浮かんだのは、1週間ほど前に施設を訪れて会話しておいて良かったという安堵と、今もしも父が逝ってしまったら母が葬式に出られないじゃないか、どうすればいいんだという現実的な気がかりだった。

 おとうちゃんと最後にかわした会話は何だったっけと思い出そうとしたが、頭がよく回らない。

 認知症になる前の父はよく「ポックリいきたい」と口にしていたから、まだ命があるとは言え、実質これがポックリにあたるのか、それともこれはポックリにあたらないのかと、変なことも考えた。

 ふと、以前に観たテレビドラマ「星の金貨」が思い浮かぶ。1995年の作品だ。

 患者の症状を植物状態と報告した医師に対して、病院長の役を演じた竜雷太が「私は人間を植物に例えるのは好きではない!」と、一喝する場面がある。ああ、そうか、父はあの状態になってしまったのか。

 父が搬送されたB病院は、母の入院しているA病院とは別で、自宅から反対方向だった。

 実は「父を救急搬送します」と連絡があった時、母と同じ病院へ連れて行って欲しいという考えも浮かんだが、夜間の救急搬送は日によって優先する搬送先が決まっているようで、そこは任せるしかなかった。

 結果的に母と違う病院に入院したことで、ぼくは父の最期の数ヶ月をほとんど放ったらかしに近い状態にしてしまう。
「母と同じ病院に運んでください!」

 あの一瞬に遠慮せず、強くお願いしていれば、その後の父のケアをもっと上手に、もっと手厚くできたのにという後悔や申し訳なさは、今も残っている。バカ息子は大事なところで、いつも肝心なひとことが言えない。

 また、もしも父がこのタイミングで死んでしまったら、母が葬式に参列できないという懸念は、この後の父の延命治療に影響を与えた。

 延命治療を望むか、望まないか。

 いざ家族の立場で問題に直面すると、自分ひとりが頭で考えていたようにはいかないと、思い知らされた。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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