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50年前の母子手帳を見て、母の強さとおおらかさを再確認〈介護幸福論 #16〉

「介護幸福論」第16回。介護生活の中で偶然発見した自分の母子手帳。もう50年以上も前のものだ。そして見てびっくり、なんと「異常分娩」に丸がつけられていたのである。これには事情があって、産後の休暇を伸ばすためにあえて書いてもらったのだという。

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■50年前の母子手帳

 母子手帳を見つけた。昭和37年、ぼくが生まれるときの母子手帳だ。

 父の特別養護老人ホームへの入所、母の長期入院などが続き、両親の金銭面の管理や、土地・家屋の権利書などまで把握しておく必要に迫られた。それらの書類を整理していたら、いっしょに出てきたのが母子手帳だった。

 もう50年も前のものだから、全体に黄ばんでしまってシミもある。デザインもそっけなく、最近のカラフルでファンシーな母子手帳とはまるで違う。でも、さすがにこれは粗末に扱えない。そっと中身をめくってみた。

 出生時の体重や身長はもちろん、妊娠6ヶ月の時点から「胎位」やら「心音」やらが、毎月記録されている。生まれた後の日本脳炎や小児マヒの予防接種の記録などもある。領収書が貼られていて「ジフテリア予防接種手数料20円」とある。安い!

 そんななか、気になる記述を見つけた。分娩の「正常・異常」にマルを付ける欄があり、「異常」にマルが付いていたのである。 

「え、おかあちゃん。おれ、異常分娩だったの?」
 母に聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。
「あらー、母子手帳にそんげんこと書いてあるかね。それはさ、お医者さんにお願いして、そうやって書いてもらっただけだて」

■「異常分娩」の診断書の理由

 母によると、次のような事情らしい。

 当時はまだ働きながら子育てをする女性に厳しい時代で、出産休暇は「産前産後6週間」しか取れなかった。育児休暇もなく、仕事を続けたければ産後わずか1ヶ月ちょっとで職場復帰しないといけない。そのため妊娠や出産を機に、仕事を辞める女性が多かった。

 ただし、ちょっとした裏技があった。産婦人科のお医者さんに「異常分娩」の診断書を書いてもらうと、産後の休暇が3週間くらい延びたのだという。

 正しさの固まりみたいな人から見れば、これはアウトなのかな。医師にお願いして虚偽の診断書を作り、出産休暇を引き延ばした罪にあたるのかも知れない。

 でも、もう時効だろう。産休がたったの6週間で、育児休暇もなかったほうがおかしいのであって、仮に本当の異常分娩で産休を伸ばしてもらっても、産前産後2ヶ月で職場復帰しなければならなかったことになる。

 母と同じく学校の教師だった母の妹(ぼくのおばさん)にも聞いてみたところ
「そうなのよ。私が子供を産んだときはもう、その辺がうるさくなっててね、お医者さんに頼んでも診断書を書いてもらえなかった。それでその後、私たちが一生懸命、日教組に署名運動をしてね、やっと産後1年まで休暇が認められるようになったのよ。あの頃は仕事を続けたくても辞めなきゃならなかった女の人が、いっぱいいたんだから」

 そう教えてくれた。誰でも彼でも医者に頼めば、簡単に出産休暇を延ばせたわけではないらしい。

 調べてみたら、女性教員、看護婦、保母らの一部公務員に育児休暇を認めた法律が成立したのは1975年とあった。

 それにしても、よくぞ母はあの時代、子供を3人も産んで教師を辞めなかったものだと、あらためて感心する。

 うちは男兄弟が3人。一番上と一番下は6歳差だ。男の子を3人産んで、育児休暇のなかった時代に女性が仕事を続けるのがどれだけ大変だったか。どれだけ教師という仕事への熱意がないとできないか。今まで考えたこともなかった。

「赤ん坊のあなたをおぶって行って、学校の近くに預けてね。お昼休みになると学校に連れてきてもらって、おっぱいを飲ませたりしてたんだよ」

 これはおばさんから聞いた話。母からは直接、その種の苦労話を聞いたことがない。こっちも照れくさくて聞けない。

■分娩日時で再確認した母のおおらかさ

 母子手帳には、もうひとつ気になる箇所があった。分娩日時の欄には、生年月日のほかに、何時何分まで記載されているが、これが今まで知らされていた誕生時刻と2時間ほど違っていた。

 自分の誕生時刻は午後4時半頃と教えられ、そう記された何かの書類を見た記憶もある。星占いでは生まれた時刻を求めるものもあるから、そっちの時刻を使ってきた。

 しかし、目の前の母子手帳の記録では午後2時台になっている。どっちなんだろう。おそらく、14時と午後4時がごっちゃになったものと推測される。
「あら、そうかね。なんでだろねえ、わからんねえ」

 母はテレビの大相撲中継を見ながら、にこやかに笑ってごまかす。息子の誕生時刻よりも、当時(2010年から11年頃)、関脇で足踏みしていた稀勢の里の勝ち負けのほうが気になるようで、「ホントにもう、キセはどうしていつも大事な一番で負けるんだろかねえ」などと、こぼしていた。

 こういう些細なことに頓着しないおおらかさが、男の子3人産んでも仕事を続けられた秘訣だったのかも。

 こうして、心配だった4ヶ月の抗がん剤治療も、本人は意外とケロっとしたまま無事に終わった。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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