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「ゆるさを正しく」西野七瀬の名言は介護の心得にも通じる〈介護幸福論 #31〉

「介護幸福論」第31回。介護で大事なのはイライラしないこと。急がないこと。相手に合わせること。効率の良さを求めないこと。昔はTVの録画を1.5倍速で観るというぐらいせっかちだったが、やっと母の病院の待ち時間も我慢できるようになってきた。ゆるさを正しく使っていこう。

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■西野七瀬さんのメッセージ

「ゆるさと強さを正しく使えるような人になりたいな!」

 これは西野七瀬が26歳の誕生日にSNSで発信したメッセージだ。感動した。ゆるさを正しく使う。この一節が特に名言だと思う。

 勝手に曲解するなと怒られそうだが、これは介護にも通じる心得であり、ぼくが両親の在宅介護の日々から学んだことでもある。適度なゆるさを上手に使わないと、介護はうまくいかない。

 退院した後の母は、月に2回の通院と、週に2回の訪問看護で、病状を看守ることになった。一時は終末医療の相談をされたことを考えれば、劇的な快復と言って良かった。

 母を連れ、福祉タクシーを呼んで、病院へ出掛ける。福祉タクシーというのは、車椅子やストレッチャーの人がそのまま乗れるワゴンタイプのタクシー。ぼくが利用していた会社は事前の予約が必要だったが、料金は通常のタクシーと変わらなかった。

 病院での待ち時間。スポーツ新聞なんぞを広げ、母とどうでもいい会話をしながら時間をつぶす。

 大相撲の稀勢の里はなぜ大事な一番で負けてしまうのかとか、遠藤がまた面白い技で勝ったねとか、あとはスポーツ新聞に載っている「視聴率ランキング・ベスト30」が、母には初めて目にする興味深いものだったらしく、へえ、あのテレビはそんなに人気があるのかねと、細かくランキングをながめていた。

「それにしても今日は遅いねえ。もう1時間半、待ってるよ」

 ぼくがため息まじりにこぼすと、母が「しょうがない。病院はそういうもんだから」と、くすっと笑った。そして、こう続けた。

「あんたもイライラしなくなったね。前は待たされると、短気を起こして、よく文句言ってたのに」

■昔は病院の待ち時間が苦痛だった

 ああ、そうだった。確かに以前のぼくは外来の診療へ来るたびに、おそろしく待たされる病院のシステムに文句を吐いていた気がする。

 なぜ予約通りの時刻に来ているのに、平均1時間から1時間半も待たされるのか。これでは「予約」の意味がないじゃないか。

 じゃあ予約の1時間遅れで来ればちょうどいいかというと、そんなわけはなく、それをやると2時間、3時間待たされる。

 いったい、なぜ病院は現状のままで良しとしているのか、改善しようとしないのか。「病院は待たされるもの」という利用者のあきらめに甘えていないか。

 診療後もそうだ。診療後に薬が出されるが、その受け取りも30分から1時間は待たされる。これもシステムに欠陥があるのではないか。帰りの時間がわからないと福祉タクシーを呼べない。

 こんな調子で、ちっとも改善する気のない病院と、本気で文句を言わない利用者と、両方に怒っていた。イライラして、つい口に出していた。

 東京で仕事をしていた頃のぼくは、何にでも効率の良さを重んじるタイプで、電車ひとつ乗るにも、時刻はもちろん、どの車両が乗り換えに便利かを把握した上で移動するような人間だった。テレビを視聴するのも、一度録画したものをCMを飛ばしながら1.5倍速で見る。とにかく無駄な時間が嫌いだった。

 それが両親の介護をするようになって、ガラリと変わった。変わらざるを得なかった。

■イライラしない、急がない、相手に合わせる。

 介護で大事なのはイライラしないこと。急がないこと。相手に合わせること。効率の良さを求めないこと。

 大げさに言えば、根本的な生き方の見直しを迫られたような感覚がある。「無駄を少しでも省き、時間を有意義に使うのが正しい生き方だ」という価値観から逃れられたこと。ゆるーく、何もしない日々を過ごす幸せに気付けたこと。これがぼくにとっての介護生活の大きな収穫のひとつだった。

 病院の1時間の待ち時間に耐えられず、イライラしてしまうような者に介護はできない。なぜこんな場所で中身のない時間を浪費しているのかと、親を恨み、自分の境遇を憎むことにもつながる。

 待ち時間は、親とゆっくり話ができるギフトだと思えばいい。どうせ家にいたって、仕事に使ったって、たいしたことはしないんだ。のんびりと、何も起こらない時間に感謝しよう。何も起こらない日常がいかに貴重で、いかにありがたいか、せっかちだった息子は両親の看病や介護をする中で学んだ。

 ただ一緒にいるだけでも、誰かの役に立てる毎日がある。病院の待ち時間を親の隣で過ごし、どうでもいい会話をする価値にも気付けた。効率の良いスケジュールに充実感を覚えていた頃には、わからなかった価値観だ。

 母の横で広げるスポーツ新聞には、たまにぼくの書いたコラムが載っていた。

「ほら、今日はオレのコラムが載っている日だよ」
「あらー、ちょっとよく見せてちょうだい。初めて見たわ、こんなの」

 読んでもまったくわからないであろう競馬の記事を母が読む。ステイゴールドがどうした、ディープインパクトがこうした。母には謎の文字列だろう。

 せめて介護をしている間は、ゆるーく行こう。ゆるく生きよう。なんにも起こらない一日を、ああ、贅沢な時間だなあと思える幸せに手を合わせながら。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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