X(Twitter)現代川柳アンソロを読む②

いつまでもちくわ感覚では困る
栫伸太郎

「いつまでも学生気分じゃ困るよ」といったような大人の言い分をたまに聞く。年ばかり食ってしまった今、そういった愚痴をこぼす人々の気持ちがわからないでもない身になってしまったが、一方で「説教臭い大人にだけはなりたくないよなあ」と強く思う自分がいる。この句は典型的なお説教文脈を面白おかしく作り変えている。「ちくわ感覚」とはいったい何なのか。それの何が社会において困るというのか。さっぱりわからないが、わからないがゆえにお説教やお小言の主成分たるうざったさがなく、さっぱりとしたおかしみが残る。


とめどなく雫溢して泣けど豚
片羽雲雀 

「とめどなく」「雫溢して」「泣けど」とくどいほどに落涙の様子が強調されている。過多と感じる量の描写が、最後の「豚」一点に集まり、激情は終息する。豚という動物が持つイメージはよくも悪くも強い。弱さや堕落、ある種の汚さ(豚は綺麗好きだといわれるのに……)が付き纏う。ゆえに、安易にモチーフとして頼ると陳腐になりやすいと私は感じているが、作者はこれを巧みに操っている。身体中の水分を搾り出すように泣く。しかし豚である。「豚」の後に、文字化されてもおらず、目にも見えない闇があるように感じられるのは私だけであろうか。あらゆる感情の揺らぎからなる余韻をすべて吸い取る、ブラックホールにも似た確かな闇を。


カンニング作戦名に愛馬の名
川合大祐

作者は固有名詞の魔術師である。句のどこを切るかによって解釈が分かれそうな気もするが、私は「カンニング作戦名」が「愛馬の名」と読んだ。カンニング。リスクをとること、ルールを破ることに抵抗感の強い人間からすれば、はっきり言ってしょうもない行為である。しかし、挑む側は常に真剣でもある。試験官の監視を潜り抜け、情報戦の勝者となること。もしもバレれば厳しい罰則を避けられない。きっとスピードと勝負の仕掛けどころが肝心であろうから、そういった点では競馬に通ずるものもあるのかもしれない。しかし、だからといって「愛馬の名」とは。読み手の想像を大いに膨らませる、大胆な取り合わせである。

サイドミラーにいそうな顔だ
暮田真名

感嘆させられた。「渋谷にいそうな」であるとか「山手線に乗っていそうな」くらいまでならわかるが「サイドミラーにいそうな」はまず思いつかない。このように表現されるのだから、対象はおそらく車に乗っているわけでもないのであろう。きっとハンドルすら握っていないはずである。それなのに、いかにも車の座席に収まっていそうな面をしていたとでもいうのか。「映っていそうな」ではなく「いそうな」としたところが、鏡の向こう側に違う世界が広がっているかのような奥行きを感じさせられて面白い。


他動詞は火曜に捨てろと叱られる
小橋稜太

言葉を部分ごとに「捨てる」という感覚、そしてそこに可燃ごみやら資源ごみのごとく回収される曜日が設定されているというところに面白さを感じた。おそらくは出すべき曜日を間違えたのであろう。「叱られる」とあるので、間違えると何かと不都合があるとも予想されるが、現実のごみのように処理の仕方が違うのであろうか。既存の概念を平然と書き換えてくる川柳というものはやはり興味深い世界である。


排水溝へとりけらとぷすっと消え
佐藤移送

言葉のチョイスも散りばめ方も非常にスマートであると感じる。表現に無駄がなく、不足もまたない。「排水溝へ」何らかのものが「消え」る。これだけならば何ということはない、何ならば日常よく目にする光景とすらいえるが、それが「とりけらとぷすっと消え」とは恐れ入った。こうなるともう何がどう消えていったか、どこへ消えたかなど、もうどうでもよくなってしまう。「トリケラトプス」という文字列は我々に「恐竜の一種」という、これ以上の情報をもたらすものではないが、ひらがなでもって器用に加工してしまうことで未知のおととなった。

ビル風がフラテルニテを連れて来る
下野みかも

不勉強なもので「フラテルニテ」なる言葉がわからず、意味を調べた。フランス語で「友愛、博愛」を表すとのことであった。「ビル風」なるものは吹かれるものという経験からの印象が強かったため、「ビル風が」「連れて来る」という言い回しには新鮮な響きを感じた。理性でもって考えてみると「ビル風」が吹きすさぶような場所は友愛も親愛もあまり似つかわしくない気がするが、「そよ風」に出来ることが「ビル風」に出来ないはずはないのである。冷たく感じられる都心にも呼び起こされる情の一つや二つはあるに違いない。


星々が増える宇宙の成長痛
スズキ皐月

私は残念ながら宇宙について明るくないが、宇宙は膨張しているものと聞いたことがある。それを成長ととらえるのは大いに文学的な、それも詩がかった発想といえなくもないが、宇宙に「成長痛」という概念をぶつけてくるところに作者の力量を感じた。「星々」に「宇宙」という要素だけでは、ともすればよくある表現、何となく綺麗ではあるが中身のない言葉の羅列になりかねないところを、ちょうどよい力加減で上手く詩の形にまとめられている。




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