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不得意な仕事に全身全霊を注ぐ会社員

仕事で体調を大きく崩し、リカバーのため通っていた病院で「大人のIQテスト」を始めとする各種の診断テストを受けた。人生を豊かにするツールとして極めて有効と感じたので、紹介したい。

苦手なことを明確にする

これらのテストは、その人の得意/不得意を明確にするものだった。一つは子供の頃のIQテストのリアル大人版。高校三年生以上のIQは、このテストで測るらしい。IQはもちろんスコア表示される。子供版と同様、アベレージが100だ。120を超えてくると「優秀」判定。

で、結果から導き出された「私の不得意」は次の通り。

全体を見渡して適切な判断をすること。
本質を見極めること。
やることの優先順位をつけること。
ゼロから生み出すこと。

随分な言われよう。どれもネガティブ。人としてダメじゃん。でも、不思議と言われても恥ずかしさや悔しさはなかった。普段だったら、こんなこと立て続けに言われたら怒りがこみ上げるだろうが、逆に聞き入ってしまった。

その理由は、説明のされ方。

まず「Aのスコアがこうで、Bのスコアがこうだから」という根拠が述べられる。AやBがどんな能力を測るモノかは事前に解説がある。次に「だから、例えばこういうことが苦手じゃないですか?」と具体的ケースを語り掛けられた。そうすると「まさにその通りです」となる。

具体的事例が「思い当たることしかない」ので、恐ろしく納得度が高い。印象や感覚ではない。自分の点数という結果に基づいた分析なので、説得力がハンパない。

部分的には、今までも同じようなことを言われた気も、しないでもないが、家族や友人、上司や同僚に言われるのとは、シチュエーションや言われ方も違う。

テスト結果によって心に刻まれたインパクトは絶大だった。

自分のことさえ、わかってない

こうやって自分を分解してもらうと「世の中には本当にいろんな人がいるんだ」ということが肌身に染みる。自分自身がこうなのだ。自分のことさえわかってないんだから、人が他人の行動を理解し、寛容になるなんてことは、至難の技だ。

私も知らず知らずのうちに、周囲に「あの人、何で●●なんだろう」と、疑問に思われ、場合によっては非難されていた可能性が高い。それは、自身の無自覚な「性質」が起因している。

今回のテスト結果で、自覚していた「得意分野」が、実は苦手だったことが判明し、逆に、全く無自覚だった「得意な事柄」が判明した。

無自覚、ではあるが、言われてみるとそういう行動をしてることは多い。つまり自分で意識できるよう「言語化されてなかった」のだ。それをテストの結果から、プロに正確に言語化してもらえた。

性格じゃなくて、「性質」

人間には「性格」の他に「性質」という重要な項目があることを、今回知った。
性格は、どちらかというと「○○をしがち」を表現するために使われていると思う。ポジネガの両面で。「気性」とも意味合いがかぶる。

優しいから/激しいから/優柔不断だから/真面目だから・・・「だから、あの人は○○しがち」というように。

性質はそうでなく、「得意なこと」「苦手なこと」を表すモノサシ。何をするのが「どのぐらい得意なのか」/「どのぐらい苦手なのか」を表す。

テスト結果でショックだったのは、自分が得意だとずーっと思っていたことが、実は「苦手」だったこと。逆に無自覚な「得意技」を言語化してもらえたことは嬉しかった。IQ140以上という、クリニックの先生も「これがこんなに高い人は、見たことがない」と言ってくれた領域。ま、お世辞も入ってるだろうがw。

新人の時に、全く希望でも何でもない部門に配置され「そこよりももっと合う、活躍できる部門がある」と思い続けていた。その後、初めて部門異動するまで19年もそこに居たのだが、実は、その部門こそが自分の得意を活かすには最適の部門だったことも、今回わかった。

サボりと性質の区別

「アイツはダメだ」「こんなこともできない」「大したことない」など、人を低く評価することがある。が、それは「苦手なことを強いているだけ」の可能性もある。もちろんサボっているだけのこともあれば、能力が足りてない場合もある。

この「やってない/足りない」と「性質として苦手」の区別は、難しいことだが、とても大事。「苦手」と「嫌い」は違う。「好き/嫌い」は感情。ある程度はコントロール可能。また、好みは変わるし、変えられる。

「その仕事は嫌いだからやりたくない」のは「できる機能が備わっているのに、自分の嗜好でやらない」ということ。よって、与えられた役割において求められる場合にはシノゴの言わずにやるしかない。あるいは誰かに押し付けるか。この「押し付け」が上手な人が、会社の中では出世する。

強いられたら地獄

問題は「その人の機能として、備わってない」のに「強いられる」ことだ。

部下など他人の場合、本人にやる気はあるし、地アタマも良く能力がそこそこあるのに「できない」という現象が起きていたら、「その職務遂行に必要な性質がない、あるいは、極端に少ない」ことを疑うべき。

それから本人自身の場合は「何で、できないんだろう」「他の人ならできるのに」と思い悩むケース。仕事をする前、あるいは初期段階からそれでは困るが、一定期間チャレンジしても悩みが解消しない場合は、性質を疑おう。

性質が原因だった場合の対処方法は「得意な人に代わってもらうようお願いする」「苦手を自覚した上で、自分なりのレベルでこなす」のいずれかだが、上司にまずは相談しよう。

後者の場合は、時間をかけるなり、他のことをやめて集中するなりし、結果が自分の理想から掛け離れていたとしても、それでよしとする。それで「バッテン」を喰らっても落ち込まない。その代わり、得意なことの時にパフォーマンスを発揮すれば、帳尻が合う。

本当にそうか?

それから本当に「できていない」かどうかを周囲に確認することも忘れないように。実は自身の設定したバーが高すぎて、オリンピックの代表選手ぐらいしかクリアできない設定をしてる場合もある。

私の場合はダブルパンチだった。バーも高ければ、必要な性質も薄かった。これで死ぬほど悩み続けた。悩み続けて、糸が切れた。今は「そりゃ、そうなるわな」と猛烈に納得できている。

そして今回、初めて有効な「解」がもらえて、死ぬほど、いや、生きる希望が溢れんばかりにスッキリした。

無理しない。

もちろん「できないからと言って諦めず、努力をして克服する」のは正論だが、「ある程度やってみて、どうもうまくできない場合」は、無理しない。

人間には、どうやってもできない苦手な分野がある。それができるようになる努力もある程度まで。頃合いで諦めよう。

「心が壊れてしまうほど努力する」ことは、絶対にやってはいけない。

こうした「努力の頃合い」を見極めるためにも、大人のIQテストを始めとする性質把握テストは有効。それによる「性質の言語化」は、自分を守り、かつ、人生を自分らしく、イキイキと生きるためには、必要不可欠なことだとわかった。

今回私は、体調を大きく崩してしまったわけだが、災い転じて福となす。性質判断のためのテスト受講は、今後の人生にとっての大収穫。

大人のIQテスト名は「WAIS-4」。他に受けたのは、有名な「ロールシャッハテスト」など、全部で4種類。いまのところ、受ける側の負荷、および分析する側の負荷は相当あるので、一般化するのは難しいとは思うが・・・




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