近未来建築診断士 播磨 第4話 Part6-3
近未来建築診断士 播磨
第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.6『劣化機能の更新業務』 -3
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「そろそろですね」
自分の声が薄暗い部屋に大きく響いた。椅子で本を読んでいた牧野氏がびくりと体を震わせる。声が大きすぎたらしい。顔が熱くなった。
勢いよく立ち上がり、体を見下ろす。頑丈な濃紺の作業用ズボンにフード付きジャケット。両手は精密作業用ラバー手袋。腰のホルスター左側に球形ドローン3機。右側に小型電動ドライバー他工具類。
テーブルの上には鏡面仕上げARグラスと口元を隠すために用意した防塵マスク。背負カバンの中にはもしもの時用のワイヤーロープに安全帯。
手袋でそっと胸ポケットをなぞる。数日かけて用意した、管理システムアップデート用のメモリースティックが確かに入っている。最悪これを紛失しても腕の端末をサーバーに接続してネットワークの予備からダウンロードすれば問題ない。相手の性能を考えるとやりたくはないが。
ともかく準備は整った。壁掛け時計を見上げると、まもなく午前2時。その昔から草木も眠る丑三つ時と呼ばれる。木造家屋では梁が沈む頃とも言われるとか。作戦開始時刻だ。
作戦、と作字刑事は言った。大げさだと思う。けども人目を避け、古い故事に縋ってこんな深夜にことを起こすのだ。大げさには違いない。
「行きますか」
こわばった顔の牧野氏が傍らに立つ。彼は結局眠らなかった。自分に役割がないとはいえ、ぼくのようなものを手引したのだから当然かも知れない。
「手早く済ませてきます」
カバンを背負い、いつでも使えるように安全帯フックを取り出して腰帯にかける。マスクをつけ、グラスをかけ、フードをかぶる。窓ガラスに映る自分の風体があっというまに不審者へと変わった。
「では、確認しましょう」
牧野氏がぼくの正面に進み出て、こちらの装備品の指差し確認を始めた。外壁作業時の手順を覚えていたらしい。何かせずにはいられないというその様子に、どこか滑稽さを感じた。この人は犯罪の片棒を担ぐには真面目すぎる。
「よし、ですね」
「ありがとうございます」
「……どうか、よろしくお願いします」
深く頭を下げる牧野氏に頷いて応え、腕の端末でグループを呼び出した。
「こんばんわ皆さん」
『おーう。おつかれ』
『お疲れ様』
『映画は面白かった?』
作字刑事、元木町会長、春日居の声が応えた。
「支度ができたので、そろそろ出ようかと」
『早いね。私は飲み直そうと思ってたところだよ』
元木町会長の位置がマンションの3Dモデルに表示される。現在位置は7階。予定通りなら、ご友人はもうお休みになったはずだ。
『けどあいにくつまみを切らしてね。”兄さん”、悪いけど頼まれてくれる?』
『あいよ。なにする?』
『串を6。こないだそっちで食べたやつ』
『ありあたーす』
この会話にはほぼ意味がない。マンションの『網』精度がこちらの予想通りであれば、相手はほぼ確実にこちらの襲撃意図を読み取っている。それでも、万一失敗してぼくらが逮捕されたときに不利な証拠を残しておく必要はない。ぼくらは共通の知人。深夜のホームパーティに集まるため、11階の管理サーバー室前で待ち合わせるのだ。
『よし、注文した』
『すぐ持ってく。玄関でまた連絡するよ』
元木町会長が管理システムを通して注文した出前の内容がログに表示される。これで”出前の兄さん”である作治刑事がエントランスを通過できるはずだ。
「じゃあぼくは先に待ち合わせ場所へ」
足早に玄関へ向かう。牧野氏はそっと忍び足で後ろをついてきた。先日春日居に用意された靴を履き、深呼吸する。同時にマイクをミュートした。
「では、また」
「気をつけて」
短く挨拶を交わし、2つあるサムターン錠の片方を回して解錠した。
がちゃりと、触れていないほうの鍵がかかった。
「え」
後ろで牧野氏の声が上がる。もう一度つまみをひねり解錠する。しかし手を離したとたんロックされる。今度は同時に、上下2つのロックを外す。ドアノブに手を伸ばした瞬間、抑えていない方のロックが掛かった。
「皆さん」
頭が圧迫され、血の気が引いていくような感覚に囚われる。目に見えないが確かにいる相手の気配。それがこちらを確かに認識して、対応してきているという事実。それを初めて、ドアの鍵越しに感じた。
「トラブルのようです」
サイレンの音が響き渡る。部屋には、火の気なんてない。それにもかかわらず火災報知器が警報を発していた。
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