ヘヴン

ネタバレありです。





厳しい言い方になるが、いじめはよくない、やめようという一見、正論のような言葉だけでは何も収集がつかない。百瀬の発言はとても印象的で、加害者の立場の一つの意見としてこの世の中の縮図をよく表しているように思えた。いじめ、というまでに発展しなくても、人間、誰しも誰かを標的にする、標的にされる、という経験はあると思う。仲のの良いグループ内でも仲間はずれにされる、誰かを仲間はずれにする、くらいのことは。そこでいちいち罪悪感を感じる人も少ないだろうし、誰でもどちらのポテンシャルがあるということである。最後の公園で二人がセックスを強要させるシーンは手に汗握る展開だった。その後のストーリーは描かれていないが、二宮だってあの一件から標的になる世界線だってありそうな気がする。

「言葉がなかったら、どんなふうなんだろうって、ときどき思うことあるんだよ」と僕はなんとなく言った。 「でもさ、人間だけだよ、言葉を話すの。犬も、制服も机も花瓶も、しゃべったりしないよ」
人間を人間たらしめる一つは言語であり、われわれの苦しみの多くもここから生まれると思う。人間関係でネガティブ感情を抱いた時に、人間じゃなければよかったのにと思うことがたまにある。恋愛がうまく行かなかった時に、自分の発言、行動、相手の気持ちの推し図りがよくなかったと後悔する。自分が人間じゃなくて他の哺乳類だったらどうであったんだろう、と。明確な言語というコミュニケーションツールがなければ(もちろんどうぶつでも言語以外でもコミュニケーションの方法を持ち合わせていることもあるが)、人間ほど、個々人の差別化はされない。見た目も(多少の差はあるだろうが)、人間ほどそれぞれで見た目が違う動物もいない。想像の世界になるが、そうなれば自分のせいで恋愛がうまくいかなかっただとか、他の人と自分を比べて劣等感を感じることも少ないはずだろう。鬱になる率も少ない気がする(動物での鬱ももちろんあるようだが)。言語を持った我々はそれによって作られる人間関係、環境、立場、それに伴った日々の感情の動きにより苦しめられる。
「人間ってさ、なんにも考えないでいられることってあるのかな」
「ほんの一瞬とかそんな程度だったらあるかもしれないけど、でも一瞬だからね」
このやりとりは象徴的で、主人公二人の苦悩を反映しているように見える。
いじめ、という物だけじゃなく人間関係、とあうテーマについて深く考えるきっかけをあたえてくれる小説だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?