解離性同一性障害のきっかけ③

よく泣くのですが、泣くと目が覚めます。泣きつかれて眠ることがもうできないのだなぁ……と実感するたびに、私はもう赤ちゃんにはなれないのでしょうね。

ひどく暴力的な性格になった時期があります。
母親と喧嘩になった際には母親の頭をつかんでガラスにぶつけたり、その奥歯を殴りつけてへし折ったり、まだ五歳の弟にハンガーで殴りつけて体中むち打ちにしたり、ひどいものでした。それでも、それが「その私」にとっては快感だったのでしょう。

反抗期という言葉があります、反抗期というにはあまりにも恐ろしいものではないかと思うのですが。キレると手が付けられない女の子になってしまっていた時期です。

この人格を「ユキ」と名付けたのは、飛び降りに及んだり、自殺未遂で入院を余儀なくされていた時です。主治医に「名前をつけてあげましょう」と提案され、区別のためにイヤイヤ名付けた人格です。
由来は、私の本名のほかに、名付ける予定の名前だったことから。

ユキは、自分のことを「俺」と呼びますし、ヤンキーっぽいです。
とても偉そうで、「弱いやつとは話をしない」なんて本気で言っちゃうような強い人です。なんでもできます。絵も描けるし色も塗れるし計算も早いし知能は平均よりも優れているというIQ判定がカウンセリングの結果判明しました。
ですが、致命的に飽き性で致命的に人と仲良くできません。馬鹿にみえるんでしょうね。
勝手に私の髪をそめたりするし、勝手にタバコも吸うときがあったし、勝手にお酒も浴びるように飲んでいたりします。
でも動いてしまえば何でもできる人ですから、だれも彼女を責めなかったのでしょう。

一番、この世で「誰かに叱られたほうがいい」人だとは思います。私の脳内同居人なんですけどね。

カウンセリングの結果、幼い私を受け入れる(?)ことで、少しおとなしくなってくれたのはありがたいですが、その代わり性格の捻じれ具合は人一倍ひどくなったように見受けられます……。誰かを殴ったり、傷つけたりしないだけマシでしょうか。

実際に存在する弟(現実に弟がいるのでこういう書き方をしておきますね。)に、「姉ちゃん、あんなに怖かったのにどうしちゃったの」と言われたことがあります。とてもじゃないけど、私じゃないんだよとは言えませんよね……。

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