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女性に「頑張れ」と言ったから岸田総理はフェミニストから袋叩きに遭った

内閣改造に伴い、女性官僚の起用が過去最多とされる五名に上った。

だが、その際の岸田総理の発言が波紋を呼んでいる。
彼は「ぜひ女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」と言ったらしい。

岸田総理にしてみれば、これは岸田政権は先進的な男女共同参画社会を体現しているのだというメッセージとして、めでたく受け入れられると予期していたと思われるが、見立ては外れてしまった。
一体何が問題だったのだろうか。



フェミニズム的な「強い女」の難しさ


この女性官僚の起用というのはパフォーマンスだ。

過去に「差別的発言」によって大炎上した事例、例えば森喜朗氏の「女性がいると会議が長引く」などがある。

そんな騒動を尻目に、公人たちは差別主義者の烙印を回避するのに腐心している。
もちろん岸田総理も例外ではないだろう。

当然、岸田総理はフェミニストたちの機嫌を損ねるために「女性ならでは」という表現を用いたわけではない。
むしろフェミニストたちへ支持者となってもらえるように働きかけた。

では何故総理はフェミニストを激怒させる言葉を選んでしまい、また、そもそも「女性ならではの能力」と言われて何故フェミニストは激怒したのだろう。
このボタンの掛け違いはどうやって生まれたのだろうか。

一言で表すのなら、岸田総理はフェミニストたちへの認識を間違っていた。
彼の中のフェミニスト像とはおそらく、「女性は男性よりも優れた気質を持っているにも関わらず、それが正しく評価されず、不当に抑圧されていると考え、これを打破しなければならないという意志に燃えている」といったところだろう。

「女性ならでは感性や共感力で頑張ってください」という言葉をもって、その自尊心を慰撫しようとした。
しかし、これはいけない。フェミニストに絶対これを言ってはならない。

「女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」に対するフェミニストの反応はおおむね以下のようなものだ。

「女性を差別しているから”女性ならではの"なんて言い方になる。だって男性に男性ならではの、だなんて言わないでしょう」

岸田総理としては「女性ならでは」という表現の中に、女性を特権的な扱いをするという含みを持たせようとしたのだろうが、フェミニストにそれは差別だと受け取られた。
これはしばしば起こる問題だ。

フェミニストは「女流作家」という呼称を嫌う。「男流とは言わないのに女流と付くということは、女性の方がマイノリティだということで、女性作家がマイノリティなのは女性が差別されているからだ」という理屈からだ。
(半面、これは女性というただそれだけで価値があり脚光を浴びられるということでもある)

フェミニストの言い分をさらに掘り下げると、「女性も男性と同じように活躍できる」と言っている。
「”男性とは別方向で"優れた能力を発揮できる」ではない。「女性は”男性と同じように"男性と、あるいは男性以上に優れた能力を発揮できる」とするのが彼女たちの言い分だ。

なので、フェミニストが今回激怒した理由のひとつは、「女性に女性の役割を押し付けた」と受け取られたことだ。

フェミニストは性役割を嫌う。男女の分業によって、女性は男性に搾取されてきたと考えるからだ。


「女に生まれたから、自分はうまくいかないんだ」


それから、こういった背景もあるのではないだろうか。
フェミニストの人々は「キラキラした仕事や威厳のある仕事を男性が独占している」と考えている。

これがフェミニストの論じる「就業の男女差別」だ。

ところで、メリトクラシーと資本主義が膨れ上がった現代社会では、多くの者たちが結果を出せる人間、優秀な人間になりたがる。
「キラキラした仕事」への憧憬に端を発するそのウイークポイントを、現代のビジネスやカルトは功名心や上昇志向を煽りながら突いてくるものだ。

フェミニストの女性が男性になりたがるのは、このためではないだろうか。

メリトクラシーに適応できなかったために呪詛を吐き散らすのは、フェミニストばかりではない。
男に生まれていれば、大学へ行っていれば、親ガチャに失敗していなければ、田舎に生まれていなければ私は成功できたはずなのに。

しかし、男性の多くも、大卒の多くも、両親に恵まれた人間も、都会育ちも、その大半は大成しないし、うだつの上がらない人生を送って終わる。


フェミニストが求めるのは女性の自立ではない。それを岸田総理は履き違えた


では、岸田総理が炎上しないためには、性役割を促されたと感じさせないスピーチをすればよかったのだろうか。

これは一見もっともらしい。
恐らくフェミニストも首を縦に振るだろう。

しかし、答えは否だ。

確かに、今回の岸田総理はとてもわかりやすく「それを言ったら怒られるだろう」と我々でも思うようなことを言った。

だが、フェミニストの怒りのフックは予測がつくものではない。
ロシアンルーレットのようなもので、どうあがいてもいずれは誰かがハズレに当選してしまう。

差別に対して声を上げたというのが今回の騒動に対するフェミニストの言い分なのだろうが、多分何もしなくてもフェミニストは声を上げる。

しかし、俺の知る限りただ一つだけフェミニストの怒りを回避する方法がある。

ところで、岸田氏はなぜ炎上してしまったのだろうか?
もう一度彼の発言を引用してみよう。

「女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」

「性役割を促していると受け取られたから」だとする結論で記事を締めくくってもよかったが、それはまだ本質ではない。
事実ではあるが、本質とは違う。

実はこの中に「女性ならでは」よりも威力の高い特大の地雷が隠れている。
それは「仕事をしていただくことを期待したい」だ。

「仕事をしていただくことを期待したい」。
これをもっと単純な言葉に翻訳すると、「頑張ってください」だろう。

女性に対する「頑張ってください」はフェミニストの地雷だ。
男女共同参画社会、男女平等のために努力するのは男性の役目だと考えているからだ。

「女性はこれまで抑圧されてきた。努力してきた。にも関わらず、頑張れとはどういう了見なのか。頑張るのは女性ではない。贖罪のために男性こそ努力しなければならない」

岸田総理は、女性へ向けて「頑張ってください」と言うべきではなかった。

彼は「よく頑張りましたね」とか「もう頑張らなくていいですからね」と言うべきだったのだ。
フェミニストの機嫌を取るのが目的なのであれば。

(もちろん総理大臣がそんなホストや女衒みたいな発言を公でするわけがない)

これがフェミニストの怒りを回避する唯一の信頼できる指標になると思われる。

仮に「女性ならではの~」から続く前半部分でどれだけフェミニストを陶酔させたとしても、後半で「頑張ってください」と続けてしまった時点で全てが台無しとなるだろう。

フェミニスト女性の「かわいそうな自己」というイメージに水を差してはならない。

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