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イタリアンポップスの名曲『ABBRACCIAME』を比較・分析する

2022年2月18日の未明から私は急々と、Spotifyの新譜チェックを開始した。すると上から3曲目に現れたのがこの作品『ABBRACCIAME』だった。
アーティスト表記は『MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLO』となっている。

この作品は初演歌手が [Andrea Sannino] で登録されているが、作曲者が判然としない状態で色々なサブスクリプション内には [Andrea Sannino] が作曲者として記録されているものを私は多数見ており、この機会にあらためて調べてみたところ、上の動画ABBRACCIAME - MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLOでキーボードを演奏している男性 Mauro Spenillo がどうやら正式な作曲者であることが判明した。

上記動画は再演(cover)にあたるが、私は原曲として公開されている [Andrea Sannino] の初演バージョンよりも此方の方が、作曲者の意図が強く表れているような気がしてとても好きである。

[Andrea Sannino] についてもあらためて調べてみると、「イタリアの歌手、カンターテナー」と表記されているページも遭遇した。だが Andrea Sannino は妻も子供も居ると言うことが分かっており、単純に彼がユニセクシャルな声質を持つ歌手だからと言う理由で「カンターテナー」と表記されているページの記事には若干違和感を感じずにはいられないが‥。


この作品『Abbracciame』は名曲がゆえに、世界の多くの歌手たちの心を虜にしている。YouTubeにも多数のカバー動画が上がっているが、中でも最も腹が立ったのは日本のカンツォーネ歌手と肩書を公表している加藤ジュンコ(旧 加藤順子 こと かとりーな)の此方の動画だ。⇩


そもそもこの作品『Abbracciame』の歌詞を手掛けたのは初演歌手でもある(& 夢想家を公言している) Andrea Sannino でもあり、彼はこの作品をディズニー映画からインスピレーションを得て執筆したと多くのメディアで語っていることは有名な話しである。

以下は Andrea のインスタグラムに掲載されていた言葉。⇩

Chi crede nei sogni è solo a metà del percorso;
Who believes in dreams is only halfway through the journey;
夢を信じる人は旅の半ば

all’altra metà ci arriva chi crede nell’impossibile.
the other half arrives to those who believe in the impossible.
残りの半分は不可能を信じる人に訪れる

Viva i Sogni!
Long Live Dreams!
夢よ、万歳!


何と哲学的な言葉だろう‥ とただただ感嘆するばかりであるが、この美しく哲学的な歌詞を日本のカンツォーネ歌手である加藤ジュンコは以下のように翻訳して歌っている。⇩

『Abbracciame』(加藤ジュンコ: 訳詞)

理想のタイプ語っていた あの日の私は
まだ 本当の恋のときめき 知らずにいた
今二人きり 誰もほかにいないこの部屋で
この気持ちを 勇気出して打ち明けたい

あなたが好き
好きで 本気で好き
恥じらい 照れてうつむく私に
キスしてくれた

☆ [サビ]

お願い 強く抱きしめて
すべてを忘れ
過ぎ去った過去も未来も
ひとつに重なる瞬間

強く抱きしめて
目覚めた時 あなた
離れてしまわぬように
強く抱きしめていて

加藤ジュンコのカバー動画より抜粋。


流石にお粗末で話しにならないので、和製カンツォーネ歌手の話しはこの辺りで止めておくが、イタリア人の語る「愛」をここまで安っぽく貶められると流石に腹を立てずにはいられないのが真のイタリアンポップスファンであり、その一人として一先ず酷評の筆を添えておきたいと思った(笑)。


この作品の原題である『Abbracciame』の音をよくよくしみじみと聴いて行くと、そこには一つの普遍性をともなう祈りとかなしみが浮き上がって来るのが分かるだろう。
一部のイタリアンポップス好きの日本人女性が勘違いに陥るスキンシップ執着型の恋愛模様ではなく、イタリア人はそこにひとすじのかなしみを描いている点は見逃せない。

その愛が成就しようがしまいが、一人の人間を愛すると言うこと、それを告白したところで成就する可能性等稀薄ではあるものの、「ただ思う」「ただ、愛する」と言う大きな期待と失望とを全身で背負いながら、自身の思いを「祈りの境地」へと高めて行くところにあるものが「真の愛」である。
この作品『Abbracciame』の中ではその片鱗が歌詞のみならず、音楽、メロディーの中でも存分に描かれている。

作曲者であるこの作品のもう一人の立役者である Mauro Spenillo が辿って来た人生の片鱗、音楽への深い愛がこの作品をさらに際立たせて行く。特にAndrea Sannino とMauro Spenillo の二人だけで即興録音された以下の動画が、兎に角素晴らしい。


「愛」とはただ甘美でせつないだけではなく、そのせつなさの伏線として多くの波瀾や不運をも背負い込んで行く覚悟や決意のようなものが、上の動画では強く引き出されているように感じてならない。

この動画の中で二人が表現しようとした「抱擁」‥ つまり日本語で言うところの「強く抱きしめて」の本当の意味が、一瞬先には壊れてしまう夢の中の抱擁のシーンのようで、それは加藤ジュンコが言うような、男と女の薄っぺらい肉体の接触とは全く意味が異なるのではないだろうか。


私がかつて従事していた和製シャンソン & カンツォーネ界の人で在り続けたら、この作品を是非インストゥルメンタルでカバーしたいところだが、もうそれは出来ない。
なので自宅で時々練習用に弾くに留めておこう。


さて、この記事の最後にこの作品のLive版の動画を掲載して、記事を終わりにしよう。

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よ~く Andrea を見ていると、時々あの、リッキー・マーティンに見えて来る(笑)。
どこかしらにマイノリティーの香りを感じずにはいられないのだが、それが Andrea Sanninoカンターテナーとも言われる理由の一つだと言われたら、何となく頷ける。


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