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私と「僕」と、宇宙人

つい先日まで私は少しカッコいいHNを用いて、Twitterで自分を「僕」と呼びながら宇宙人的なキャラクターで不思議なツイートを書いていた。自らを「僕」と呼び変えることで何となく客観的に自分を見つめることが出来て、私は「僕」のことがとてつもなく好きだった。

「僕」は事実上の太古の星に実際に生きていた宇宙人であり、宇宙人の「僕」は複数の生命体を生きた変遷を持つ古い魂を内在させた、現世は人間に近い生命体‥と言う設定だが、話の半分以上が実話である。

そのTwitterは最初散文詩やTwitterの字数制限内で綴られる他のユーザーの詩を読み漁るためのアカウントとして始まったが、途中から悪ふざけが過熱して段々と「僕」が不思議ちゃんの進化を始めた。

だが、他のフォロワーからの視線はとても冷たかった。‥と言うのもよくよく考えてみたら致し方のないことで、皆‥ 自分の詩を読んで欲しいし拡散して欲しいからこそ他のユーザーをフォローしていたに過ぎない人たちだったわけだから (笑)。

私が僕であろうと、僕が宇宙人であろうと、僕の実態が音楽家であろうとフォロワーには関係のないことだし、きっと誰の興味も引かなかったのだろう。

最近思うことはどのSNSにせよ、相互フォローだったり相互応援だったりと言う「相互」じゃなきゃこちらに興味を示さない人たちが増えたなぁ‥と。

それはさながら職場の付き合いのようであり、私のように音楽と文字の専門家にとって、アマチュアと専門家を同格同列にみなすことは大いなる苦痛以外のなにものでもない。
だから私は常に「一方的に応援される側の人」の枠からは絶対に飛び出ないように振る舞い続けているけれど、そうなると相手がアマチュアである場合にはその線引きが曖昧になってしまうことにある時期気付いてから、SNSに於ける「相互」の付き合いをピタっと止めた。

孤立すると言うことは他の人から見た時にその存在が浮き出たり浮き立って視えることを意味し、同時にそれは「同胞を見付けたり戯れたりする言動」とは逆行して行くことになる。


やがてTwitterで孤立した宇宙人は、ある日そっとアカウントをクローズに変更した。
今もそのアカウントは静かに生きているが、私の魂の変遷を肯定し、その現世での生き様を応援してくれる数人の知人を残し全てのフォロワーとの関わりを終えて今日に至る。

宇宙人は時々蛙と話したり空を飛行したり、或いは上空から独り言をTwitterに投下したり‥と自由気ままにやっている (笑)。ヘッドホンで宇宙を流れる音波を聴きながら詩を書いたりすることもあり、私と「僕」と、「僕」の中に潜む宇宙人の魂との静かな同居生活はこれからも穏やかに続いて行くだろうと思われる。

YouTubeは最近好きで時々聴いている、NUのエスニックテイスト満載のトラックより。

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