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映画#1 パルプ・フィクション


神様はだれの味方?

散歩の途中で、ふとカーテン越しに他所の家のなかが見えたとき、プライベート空間を覗いてしまった罪悪感と、好奇心とどちらが勝つか。
そんな状況を、罪悪感なしの好奇心100%で楽しみたいひとに本作をおすすめしたい。

立場が変われば見方も変わる

オムニバス形式というか、ひとつの出来事(本作でいえばレストランの強盗シーン)を相反する立場から描くことで、どちらかが正しい側と決めつけない。観る人にそれぞれの立場に感情移入してもらうことで、Twitterでスワイプされるだけの事件と同じ内容だとしても、重みが変わる。
例えば、「ヒート」 はそんな映画の金字塔だと思う。

名探偵コナンのように「正しい側」が決まってない分、その判断は観客に委ねられているし、もはや「判断しない」という選択もできる。八百長から足を洗おうとしたボクサーについても、あのあとどうなって欲しいのか、彼の人間性が多面的(臆病で、一途で、思慮深くて大胆)に見せられたあとで、僕らの好きに解釈できる。

「最後の神頼み」は責任放棄?

映画「プリズナーズ」では、明確に「神に祈れば救われる」というメッセージが伝わってくる。無神論者が多いといわれる日本でも、昔から迷信はあった。僕も、お天道様がみてるとか、夜に口笛を吹くと蛇がでるなんてことを、祖父母から言われたことがある。

完全に記憶ベースだけど、迷信に関するとても興味深い文章を読んだことがある。「元々迷信は、理屈で理解できない子供に物事の道理を教えるために用いられたが、そこからかえって大人たちの慣習へも影響を与えた。科学的な話よりもその方がよいと思ったのは…」肝心のところが思い出せない。大学受験ではなく、家庭教師時代に中学受験のどこかの過去問でみた気がするが、考えたことのない切り口で感心したことだけは覚えている。ああ悔しい!

とにかく、神頼みも迷信も似たようなもので、僕が思うそういう類のものを信じるメリットは、「何かを選ぶ」という24時間発生し続ける作業の負担を少しでも減らせることだと思う。別に科学的根拠の有無は関係ない、自分が心の底から信じてるかどうかがすべてだ。「恋愛が上手くいくのは±3歳差まで」という迷信を心の底から信じるなら、ネット恋愛を含めるととんでもなく幅が広くなる可能性に対して、悩む前に自動的に振り分けができる。思考の機械化とでもいうのか、ジョブズだって同じ服しか着なかったはずだ。

たまにはこういう映画もいい

癖のあるキャラクターと会話のテンポが、あらゆるシーンの「日常の延長で起きていること」を、思い出に残るくらいに盛り上げている。
僕がnoteを始めたきっかけでもあるけど、評価が高いことで偶然レビューサイトで見つけた映画を、「独特の世界観だったわ~」だけで終えてしまうのはもったいない。
読書感想文みたいに、原稿用紙2-3枚くらいの量で残しておく。
観た映画すべてから何かを吸収しようとしなくてもいい、たまには止まって考える映画があっていいというだけ。





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