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飛び出せ!佐久間探検隊


第三十二回 住吉の地にもう一つの『住吉さん』を見た! 



ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

住吉大社

大阪の神社で全国的に有名な神社であり、
住吉さん」と呼ばれてみんなに親しまれている。
一般的には南海本線住吉大社駅か阪堺電軌住吉鳥居前電停を下車し、
太鼓橋を渡った先が境内で社殿が鎮座していると思われている。
しかし境内摂社ながら立派な鳥居と本殿を持ち、
その本殿が本家(?)の住吉大社より古いという神社
をご存知だろうか。
言わばもう一つの「住吉さん」である。
探検隊はそのもう一つの「住吉さん」を訪ねるべく、
南海本線住吉大社駅に降り立った。




駅のコンコースにあった看板。

これはブログなのである。

ちゃんと「駅員ブログ」って上に書いてあるし。
思わず「壁新聞じゃないの?」とツッコミを入れたくなるが、
それは野暮な行為
というものだろう。




胸にモヤモヤしたものを抱えつつ、改札口を通る。
大阪市内だというのに、改札口周辺は閑散としている。




改札を出てから、探検隊は右折した。




多少は賑やかな高架下の商店街を抜け、駅の出口へ。
前の横断歩道を渡ることになるのだが、
意外とクルマの通行量が多いので安全に注意しながら進んだ。



横断歩道を渡って左折する。
道の先は細いので、更に安全に注意しながら進む事になる。




歩き始めてすぐに左を見ると、「驛園公吉住」と看板のある、
小さな建物が。
実は2016年1月31日の朝まで、ここは「住吉公園」という電停だった。
1913年7月2日、上町線の延伸によって開業した。
最盛期にはラッシュ時に1分間隔、1日200本の発着があったが、
2014年3月1日のダイヤ改正で平日は5往復、休日は4往復となり、
終電は8時半頃という「日本一終電が早い駅」となった。

それから1年間はその状態が続いたが、
2015年8月28日に2016年1月31日で住吉-住吉公園間の廃止が申請され、
申請通りその日に廃止された。

線路の跡地はそのまま少々いびつな形の駐車場となったが、
駅舎の建物はそのまま残された。
宝くじ売り場などテナントが入居していたからだそうである。
その為今日もレトロな駅舎は健在であり、
「駅はあれどもホームはいずこ?」と言った状態を醸し出している。




しばらく歩くと、信号のある交差点へ。

ここが住吉大社の鳥居前となる。

写真には写ってないが、左右には「住吉鳥居前」の電停も。
住吉大社の創建は神功皇后摂政11年と伝えられ、
第一本宮から第四本宮までの四柱の神様を祭っている
本殿や渡殿、幣殿は「住吉造」と呼ばれる独特の様式であり、
1810年に造営されたものである。
また鳥居の奥に見える反橋は「太鼓橋」と呼ばれ、
参拝に訪れる人々に親しまれている。
探検隊は青信号になってから道路を渡り、左折した。




左折した後は、北へと歩を進める。
左隅に写っているのは、住吉鳥居前電停の我孫子道方面のホーム。
分かりにくいが神社の境界に建っている幟は、
立浪部屋の力士の名を記したもの。

取材日は春場所の期間中。
立浪部屋はここ住吉大社に宿舎を構えているのだ。




歩道を歩く人は少ない。
コロナ以前は正月になると、歩道は屋台で埋まっていた。
参拝客はクルマの通行が禁止された車道を歩いてた。
コロナ以後は屋台の営業が自粛されている。
参拝客も以前のようには戻ってないようだ。
やはり屋台の存在は大きいと思う。




歩いていると住吉の電停に到着。
ちょうど恵美須町行きのモ354が停車している。
電車の横の架線柱が傾いているが、
架線を引っ張る張力のせいなのだろうか。

阪堺を撮り始めた20年前には既に傾いていた。




住吉の交差点に到着。
手前の線路は天王寺駅前を結ぶ上町線
ここで恵美須町からの阪堺線と合流している。
薬局の隣に見えてるのは、阪堺線住吉電停の浜寺駅前方面ホーム。




交差点の西には、駐車場が。
先程述べた住吉公園からの線路跡である。
上町線はここで阪堺線へ合流する短絡線と住吉公園へ行く線路が分岐し、
住吉公園へ行く線路は阪堺線と斜めに交差していた。

そして駐車場の料金看板より左に、
住吉公園から来た電車が停車する4番ホームがあった。
住吉公園からの終電が日本一早くなって以後は、
9時前にホームはラバーコーンとロープで閉鎖されていた。

線路が交差していた時は、こんな感じだった。
信号は交差点東の指令所で阪堺の社員さんによって制御されていた。
指令所はちゃんと今も残っていて、
上町線の電車が通行する際に活躍している。




ちょうど浜寺駅前行きの電車がやって来た。
ホーム横のクルマには指令所によって赤信号が出され、
電車の通行の安全が確保されている。

当然この間は歩行者も通過待ち。




交差点を渡って、薬局の前を右折する。
見えにくいが薬局の建物の奥には、待合所が。




右折した先にも、すぐ上町線の踏切が。
安全を確認しながら渡って行く。
「3」の表示があるホームは、上町線の我孫子道方面のホーム。
車庫のある「我孫子道行き」と「浜寺駅前行き」の2系統が停車する。
かつては「住吉公園行き」もここに停車していた。




踏切を渡ると、直線の道が続く。
左奥の白い建物はNTT。




鳥居の前に辿り着く。
立派な狛犬がお出迎え。
涎掛けが綺麗なのは、大切にされていることを表している。




坂を上ると、立派な門に辿り着く。
門の名は西門。
江戸時代前期の造営で、国の重要文化財に指定されている。




西門を潜り、静寂な印象の境内へ。

ここがもう一つの「住吉さん」、大海神社である。

正面に見える建物は、幣殿
奥に本殿があるが、幣殿との間に渡殿がある。
いずれも造営されたのは、1708年
住吉大社の本殿が造営されたのが1810年なので、100年程古い建物となる。
本殿と幣殿、渡殿(1つの建物として指定)は、
国の重要文化財に指定されている。




幣殿で参拝をする。
奥の扉は本殿へと繋がっているのだろうか。




斜めからの写真。
分かりにくいが左から幣殿、渡殿、本殿となっている。
本殿は住吉造という特徴ある様式である。




幣殿の屋根のアップ。
屋根本体は檜皮葺となっている。
檜皮葺きは檜の樹皮を用いた、日本独特の様式
耐用年数は30~35年。
神社には良くある様式だが資源の枯渇や職人の高齢化により、
檜皮の出荷量は年々減ってきている。
その為耐用年数に達しているのに吹き替えが施工出来ない、
そういう事態も起こって問題となっている。




境内にある「玉の井」と呼ばれる井戸。
山幸彦が海神から授かった潮満珠を、ここに沈めたと伝えられている。




玉の井の近くには、小さな神社がある。
志賀神社という名の神社で、こちらも住吉大社の境内摂社である。
なおこの本殿は国登録の有形文化財に指定されている。




「常夜燈」と刻まれた灯篭。
元来住吉の地は海にほど近く、西門近くまでが海だったそうである。
その為この地に残る常夜燈は、海運業者の寄進によるものである。




国登録の有形文化財である、北小門
江戸時代後期に造営されたものであり、明治前期にここへ移築された。
門が閉まっているのは、訪れたのが夕方4時を過ぎていたため。
北小門は4時が門限なのである。
因みに西門が閉まることはないのだが、
鳥居の手前にフェンスがあってそこが4時に閉まる。




同じく国登録の有形文化財である、南小門。
こちらも江戸後期の造営で、1881年頃に移築された。
こちらの門限は、夕方5時になる。

こうして訪れてみると、ひっそりとした印象である。
正月などの場合を除き、年中そういう雰囲気なのだろう。
しかし訪れる人は地元の方が多いようだ。
それだけ地域に愛され、信仰対象として根付いているのだろう。
探検隊は心に温かいものを感じながら、南小門から去って行った。

「住吉の地にもう一つの『住吉さん』を見た!」

おわり。





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