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飛び出せ!佐久間探検隊

第四十一回 ベイエリア3つの橋を探検! 1


ドモドモ。
佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

前回

「安治川は工業都市大阪の運搬ルートという側面があります。
大型の貨物船が通るので、橋だとかなりの高さが必要になります。」

と書きました。
が、大阪には安治川の他に木津川や尻無川など、
他にも重要な運搬ルートとなってる川があります

そんな川に掛かる橋って、どーなってるのでしょう?

「百聞は一見に如かず」

古から言われている言葉です。
行かないでウダウダ言ってるよりも、実際に行ってみるのが一番です。
そこで探検隊は大阪メトロ四つ橋線の、北加賀屋駅に降り立ちました。




北加賀屋駅には改札口が2つあるのですが、西改札の方を出ます
次の電車まで時間があるので、改札口は閑散としていました。




改札を出たら、4番出口へ向かいます。
ここの出口はエレベーターもあるので、便利ですね。




4番出口を出たところ。
南港通の西北側ですね。
そのまま西へと歩いて行きます。




すぐに到着したのが、北加賀屋交差点
南港通と新なにわ筋との交差点です。
流石にかなりの交通量。
ひっきりなしにクルマやバイクが交差点を行きかいします。




横断歩道に到着しました。
新なにわ筋を渡ります。
もちろん信号が青になってからですよ。
信号無視をして赤信号で渡ろうものなら、
次の瞬間にクルマに撥ねられて空を飛ぶことになる
でしょうね。




青信号になったので、無事渡り終えて左を向いたところです。
次の角を右折します。




南港通を再び西へと進みます。
人通りはぐっと減って、穏やかな道に。




やがて見えてくるのが、阪神高速の案内看板
湾岸線の看板ですね。
まだ結構距離があるように思えますが。




歩いて行くうち、人影は更にまばらに。
工場が目立つようになり、一軒の場所も大きめ。
準工業地域といった感じです。
道路の反対側は、団地のようですが。




そんな風景の中、突如として現れるバス停。
そう、ここは大阪シティバスのバス路線なんです。
とはいえ主流になりつつある接近表示があるタイプのバス停じゃなく、
昔ながらのバス停
というのが、ローカルな雰囲気を醸し出してます。
しかも市バスのマークだった場所に、なんか貼ってあるし。




歩いて行くと、更に過疎化は進みます。
とうとう道路の反対側もこちらと同じような風景に。
心なしか道行くクルマのトラックの比率も、高めのように思います。




次に現れたバス停は、大阪シティバスの標準的なバス停でした。
接近表示もちゃんとあるし。




バス停の名前は、柴谷2丁目
とはいえ日中は発車時刻を意識しないと使えないくらい、
本数は多くありません。
朝夕の本数を見るに、通勤通学輸送に特化した路線のようです。




バス停の先の交差点を渡ります。
なんだか風景の中に鉄塔が増えたような気が。




そんな風景の中に現れた、案内標識。
これから向かうのは南港ではなく、大正橋・大運橋方面です。
しかし道が見慣れないような感じに見えます。




やがて到着する交差点。
名前の表記はありませんが、「柴谷交差点」という名前のようです。
2連の紅白鉄塔が目印ですね。




交差点では南側へ分岐する道路がありますが、
歩行者や自転車は通行出来ません。

この道は結構通行量があります。
やっぱりトラックの比率は高め。




交差点を過ぎると、道は築堤の為か上り坂になります
あれ、なんか上を跨いでいる道路がありますね。

ここが今回の目的地、

新木津川大橋


です。

この橋はここ住之江区柴谷2丁目と大正区船町1丁目を結ぶアーチ橋で、
1994年に完成しました。
中央部の橋長は495メートルでスパンは305メートル、
総延長は2.4キロメートルで完成当時は世界最長のアーチ橋でした。
橋の高さは下を流れる木津川を船舶が通行するため高く、
通行路の高さは50メートル以上になります。
その高さを稼ぎ出す為に住之江区側の通行路は距離のあるアプローチ、
大正区側はアプローチがループ橋となっています

その為、「眼鏡橋」とか「片メガネ」と呼ばれてますね。
1994年には社団法人土木学会より、
優れた橋梁等を表彰する田中賞が授与されてます。




やがて南港通の方も、敷津運河を渡るべく高架へとなって行きます。
新木津川大橋の歩行者や自転車のアプローチは、
側道を行った所
になります。




側道はクルマも少なく、人もいません。
今は日中なので平気ですが、夜ともなるとかなり寂しい雰囲気でしょうね。
頼りの照明も、橋についてるのしかありませんし。




側道から新木津川大橋を眺めると、こんな風景になります。
いやー、眺める分には良いですね。

これからあの上まで徒歩で上るんですけど。





やがて側道は小さな交差点に。
先に階段がありますが、これは敷津運河を渡るアプローチの階段。
新木津川大橋のアプローチへは左折します。




南港通の下を潜ると現れる、怪しそうな雰囲気の施設。
どうやら渡船の事務所のようです。
以前書いたように大阪には渡船が現在も健在で、
地域住民の足として活躍してます。




その隣にあるのが、木津川大橋へのアプローチ。
ここが入口になります。




アプローチがどういう風になってるかちょっと分かりにくいので、
引いて全景を撮影してみました。

なんかオブジェみたいな階段がありますが、

階段を全部上ることになります。


体力持つかなぁ。




ウダウダ言ってても始まらないので、覚悟を決めて上り始めます
階段の仕様は歩道橋によくある、
真ん中が自転車用のスロープになったもの。




最初の踊り場に到達しました。
高さ的には普通の歩道橋ぐらいでしょうか。
まだまだ序の口ですので、疲れや恐怖感などは微塵も感じません。




踊り場から見た敷津運河
いたってフツーの高さです。




2つ目の階段を登り始めます。
ここも歩道橋によくある感じです。




二つ目の踊り場です。
「川をきれいに」の看板がありますが、川は背後になります。




3つ目の階段。
今気づいたのですが、照明の数が少ないような。
夜は道路灯の明かりだけが頼りになりそうです。
ちょっと不安ですね。




3つ目の踊り場に着きました。
まっすぐ伸びてるのは、南港方面の歩道
新木津川大橋へは、もう少し上ります。




踊り場で左折すると、4つ目の階段が。
高さの関係で他より短くなってます。




4つ目の踊り場から見た、敷津運河。
ちょっと恐怖感を感じる高さになります。
最初の踊り場からの風景と比べると、かなり上ってる事が分かりますね。




踊り場で更に左折し、5つ目の階段を上ります。
ここも4つ目同様、長さは短めになってます。




5つ目の踊り場から見た風景。
上にあるのが新木津川大橋、少し下が南港方面の橋になります。
新木津川大橋に近いので、圧迫感がしますね。




正規(?)の長さに戻った、6つ目の階段。
ここまで来るとかなり疲れを感じます。




6つ目の踊り場に着きました。
上を遮るものがないので、開放感に溢れてます。




6つ目の踊り場から見た風景。
かなりの高さを上ってきた事が分かります。
新木津大橋の車道は緩やかな傾斜で90度にカーブし、
先程の交差点へと続いています。




7つ目の階段を上ります。
こちらの階段もミニサイズですね。




7つ目の踊り場からの風景です。
あと少しですね。




やっと到着しました。

ここが新木津川大橋の歩道です。


いやー、かなり歩きました。
まだこれからも歩くのですが。




柵に網がついてるので見づらいのですが、南港通です。
さっき見上げてた南港への高架を、今では見下ろすカタチに。
歩道の傾斜は緩やかですが、賽の河原の石積みのように先が見えません。




反対側の西を向いたところ。
鉄塔が低くなってます。
もちろん鉄塔の高さは変化してないので、
コッチがそれだけ上ったという事なんですが。




暫く歩道を歩き続けると、緩い右コーナーになります。
気のせいか空が近いように思うのですが。




南港方面を見てみます。
ひときわ高い建物は、大阪市役所(の分室)ですね。




やがて右カーブは終わりを告げ、直線区間になります。
照明灯は心もとないように思えますが、夜間は唯一の明かりに。
あとはたまに走るクルマのライトぐらい。
ここからの夜景は綺麗なのかも知れませんが、
暗いので見物に行かない方が無難ですね。




ここで次回予告なのですが、あそこに見えてる千本松大橋へ行きます。
橋の両端がループになってるのが特徴で、
一般には「めがね橋」とも呼ばれてますね。




ようやく橋の中央部、アーチになっている部分に辿り着きます。
写真では写ってませんが乗用車より大型車の方が沢山通行するので、
橋自体は結構揺れます。




アーチ区間でこの橋の目的、木津川を渡ります。
「絶景かな、絶景かな」
石川五右衛門みたいなことを思わずつぶやいてしまいました。




ここはアーチ部のほぼ中央なのですが、この橋の最高点のようです。
今まで見えてなかった、北側の風景が見え始めます。




そしてアーチ部の終わりが近づくと、歩道は下り坂へとなります。
長かった坂との苦闘も、終わりを告げようとしています。




下り坂になると見えてくるのが、巨大なループ部。
船町側のアプローチは狭い土地で高さを稼ぐため、
三層のループとなっています。

その長さは約880メートル。




そしてアーチ部の終端に到達し、ループ部へ。
傾斜も急になって行きます。




アーチ部の終端近くから見たループ部。
重なり具合がよく分かります。
ループ部の先に見えてる白い建物は、ロジポート大阪大正。
かなり巨大な物流倉庫です。
それもその筈、かつてここには中山製鋼所の転炉がありました。
映画「ブラック・レイン」のロケ地として有名でした。




アーチ部をぐるぐる回りながら、降りて行きます。
小さく映ってる青い橋は、千歳橋
大正区の鶴町4丁目と北恩加島2丁目を結ぶ、
橋長944.2メートルのブレース撮り部アーチ橋です。
2003年に完成しました。




ループ部の内側は、船町緑地という公園になってます。
外側に見えるのは、中山製鋼所。




外の風景の高さが低くなってきました。
かなり降りてきているのが分かりますね。




そのうちアーチ部も見えてきました。
さっきまであの上にいたんだと思うと、
我ながら何やってるんだろうと思ってしまいます。




そして上へ通路が合流し、2週目になります。
背景の工場の高さで。かなり低くなってきたのが分かりますね。




完全に空は覆われたカタチとなりましたが、それほど圧迫感はありません
大型車が通行出来るようになってるから、当たり前なんですけど。




再びループ部の内側を見てみます。
なんか見たことあるなぁと思ったら、
トミカのタワーパーキングってこんな感じだったような気が。
記憶違いかもしれませんが。
ループ部の外に見えるのは、中山製鋼所の酸素工場。
かつての雰囲気を今に伝えています。




この橋を支えている橋脚。
かなりごっつい感じです。
まぁそれでないと不安になりますけど。




地上が近づいてくると、こんな標識があります。
出口には信号のある交差点があり、
赤信号の時にはそこそこクルマが並びます。

しかしループ部という構造上、前のクルマが見えにくいんです。
気付くのが遅れてクルマの列に突っ込んでしまう、なんて事故も。
それを防ぐためにこの標識で注意を喚起してる
のでした。




もう終盤に近くなりました。
ほぼ地面と同じ高さです。
酸素工場がかなりの大きい建物だという事が分かります。




ここで船町緑地の方を見ると、何やら石碑と案内板が。
石碑には「木津川飛行場跡」とありますね。




石碑のアップ。
かなり立派な石碑です。




説明板のアップ。
木津川飛行場は1929年に供用開始された、大阪初の陸上飛行場でした。
早い話、ここは元祖大阪空港だったのです。
この土地が飛行場に選ばれたのは、
木津川河口に水上機用の飛行場があったからでした。
開設費用が安く済むので、当時の飛行場は水上機用が主流だったのです。
航空機用エンジンが非力だったからという一因もありました。
しかし水上機は構造上頑丈にする必要があるので重くなったり、
フロートの重量があるので多くの荷物を運べませんでした。
航空需要が増えてきた当時、このままでは都合が悪くなってきました。
そこで木津川飛行場が開設されたのです。
1938年には720メートルの滑走路を備え、
国内航空輸送の一大拠点となる飛行場となりました。

しかし地盤が軟弱で雨天時の離着陸に問題があった事と、
工場が周辺に増え煙突などの障害物が増えたのが原因
となり、
1939年に大阪第二飛行場(現在の伊丹空港)に任を譲り、
残念ながら閉鎖されたのでした。




飛行場跡を過ぎると、交差点が見えてきます。
写真にあるゲートは、台風などの時に橋の通行を規制するゲートです。




交差点の案内看板。
何も書かれてない左側ですが、しばらく行くと行き止まりになってます。




交差点に到着しました。
これで新木津川大橋を渡り終えたことになります。
感想としてはとにかく高くて見晴らしが良いですね。
あと階段が難敵です。
途中で心が折れそうになりました
まぁ折れた人やハナから諦めてる人むけに、
近くに木津川渡船が大阪市建設局によって運行されてます
このまま帰るならそれを利用するのもアリですね。
探検隊は次の目的地へ向け、進みましたが。

「ベイエリア3つの橋を探検! 1」

おわり。

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