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飛び出せ!佐久間探検隊

第四十二回 ベイエリア3つの橋を探検! 2


ドモドモ。
佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

今回は前回の続きになります。

交差点を右折し、歩道を進んで行きます。
周囲は如何にも工場街、といった雰囲気。




そんな中、物凄く目立つ真新しい建物。
ロジポート大阪大正という、巨大な物流倉庫です。

2018年に竣工した、延床面積約117,000㎡を誇る4階建ての建物。
なんばや梅田からも近くてアクセスが便利です。
今はこの建物が建っていますが、
かつてここには(株)中山製鋼所の転炉工場がありました。
転炉というのは高炉で溶かした鉄鉱石(銑鉄と言います)から、
不純物の少ない鋼を作り出す炉です。

1939年7月の第1高炉設備竣工から2002年7月の休止までの長きに渡り、
主力工場として稼働していました。
またこの工場は1989年公開のアメリカ映画「ブラック・レイン」で、
ロケ地として使用されたのでも有名でした。

故・松田優作さんの遺作としても有名な作品ですね。
その転炉工場が今ではこういう物流倉庫になってるとは、
時代の流れを感じますね。
まぁ映画で松田さんの手下役だった國村隼さんが、
今ではボス役や社長役を演じてるのだから当たり前なのですが。




歩道の途中にあった門。
今はただの門となってますが、かつてはレールがありました。
道路を横断して、貨物が運ばれていたようです。
しかしこの風景ですが、近い日に見納めとなるようです。
設備の解体開始を告げる警告書が、門に貼ってありました。




やがて道は左カーブに。
先にも門が見えます。




門には立派な看板が。
株式会社中山製鋼所は1919年8月に中山悦治が個人経営で創業
当時の所在地は兵庫県尼崎市でした。
1923年に株式会社中山悦治商店を設立し、
1929年には船町工場が操業開始しました。
1934年に称号を株式会社中山製鋼所に改称し、
以来鉄鋼メーカーとして日本経済に貢献しています。




カーブを曲がって北へ進むと、それまでの工場街から事務の建物街に。
道路にクルマが走ってないように見えますが、
週末でもそこそこクルマの通行量はあります




やがて東船町バス停に。
屋根も接近表示もなく、シンプルな停留所ですね。




バス停の近くには、本社の事務所が。
壁面がタイル張りで、ちょっと懐かしい雰囲気ですね。




本社を過ぎると、緩い登り坂に。
かつて右手には使われなくなった工場施設がありましたが、
現在は全て解体されて綺麗な更地となってます。
趣のあるタンクとかがあったのですが。
残念ですね。




そうこうするうち、橋が見えてきました。
木津川の支流、木津川運河を渡る橋です。
木津川運河は1916年に完成しました。




橋の名前は、大船橋。
橋長が113.3メートル、幅が15.5メートルの橋梁です。
平仮名での表記が「おほふなはし」となってるのが良い雰囲気ですね。
大船橋も木津川運河と同じく、1916年に完成しました。
当時の橋は大阪最大を誇る、跳開方式の可動橋でした。
しかし航路の変更や橋の通行量の増加により、
開閉は休止したままでした。
その橋も長年の共用による老朽化により架け替えとなって、
1978年に現在の橋が完成しました。
ここで珍しいのが旧橋の下部工をほぼそのまま利用し、
上部工のみ新造のものに取り換えた
という点。
架け替えと言えば普通は全部新造のものに置き換えたと思いがちですが、
大船橋は家で言うと土台を再利用しているカタチです。
これは運河の利用状況や作業スペース、
工事中の交通処理方法などを考慮した結果
だそうです。
電車で言うと古い電車の車体だけを新しくする、
車体更新みたいなものなのかなぁ。




橋を渡っていると、川面を流れる風を心地よく感じます。
水面はそんなに綺麗とは言えませんけど。




渡り終えて少し歩くと、信号のある小さな交差点が。
信号が青になるまで、ちょっと休憩の時間です。




交差点の先にあった、道路の案内標識。
この先この道は大正区役所の前を通り、
大阪環状線の下を潜って大正橋の袂に至ります。
大正区のメーンストリートですね。
正式名称は府道173号線なのですが、
大正通と呼ばれることの方が多くなってます。




やがて辿り着いたのは、大運橋交差点です。
ここが府道173号線のスタート地点
大正区のメーンストリートだけあって、道も一気に幅が広くなります。
ひっきりなしに大阪シティバスも通ってます。
探検隊はこの交差点を右折しました




右折すると、歩道の狭い道路になります。
歩行者や自転車が多いので、通行には注意を払う必要があります。




やがてバス停に出会います。
バス停の名前は、大運橋通(東)
「(東)」となってるのは、大運橋交差点から離れているから。
歩道が狭いので、ここまで離れないとバス停を設置出来ないようです。
屋根や接近表示のない、シンプルの極みと言った感じのバス停。




バス停の先にも、細い歩道は続いています。
あ、なんか見えてますが気にしないで下さい。




そしてまたバス停が。
バス停の千本松橋西詰
その名の通り、千本松大橋の西側の玄関口です。
こちらも先程の大運橋通(東)バス停と同じく、
屋根も接近表示もないシンプルな構成です。
が、狭い歩道に設置されたプラスチックのベンチが、
ささやかな高級感を醸し出しています。




バス停本体の写真。
バスは76系統のドーム前千代崎行きと、
94系統の鶴町4丁目行きの2種類
があります。
2種類あると言っても、どちらも日中は1時間に約1本
目の前で乗り遅れたら大運橋交差点まで歩いた方が、
待ってるよりも確実に早いバスに乗車できます。




こうして見えてきた千本松大橋。
全長が1228.3メートル、幅が9.75メートルで、1973年に完成しました。
木津川を船が通行する為、桁下が水面から33メートルの高さに。
その為こちら大正区南恩加島側だけでなく、
西成区南津守側もループとなってます

そこで「めがね橋」と地元では呼ばれて親しまれてます。




橋の入口である千本松大橋西詰交差点に到着しました。
ここから先、橋の歩道はループの内側にしかないので、
探検隊は左折しました。




交差点の信号。
橋の他にも道があるので、待ち時間は長めです。




信号待ちの間に橋の方を見ると、大阪シティバスが。
さっきバス停の前を通ったんですが実際にバスを目の前にすると、
なんだかシュールなモノを感じます




信号を渡り、右折したところです。
目の前の赤信号を渡った先が、千本松大橋の歩道になります。




ふたたび信号を渡り、千本松大橋の歩道を歩き始めます。
目の前にあるゲートは、台風接近などの荒天時に橋を封鎖するゲートです。




歩道は緩やかなカーブを描く登り坂
足取りも軽く歩いて行きます。
写真の右上に見えるのは、橋の直線部。




ループ部の外側には煙筒が見えたりして、
ここが工業地帯であることを認識させられます




ループ部から見た、橋の反対側。
二つのループが川を挟んで向き合うさまは、
「めがね橋」の面目躍如ですね。




ちょうど直線部分と交差している地点。
なんだかシュールな風景ですね。




いつの間にかそこそこの高さまで上ってます。
気のせいか空が近いような気がします。




ループの内側の写真がないので気になる方もおられるでしょうが、
内側には転落防止用のフェンスが張り巡らされてます
無理矢理撮影すると、こんな感じに。
大正区側のループの内側は、少年野球のグラウンドとして利用されてます。




気が付けばループ部の頂上近くに。
さっきの写真より一段ぐらい上になります。
上り坂もあと少し。




ここら辺りでループ部は終了となります。
次は二つのループを繋ぐ直線部分に。




ふと海側を見て見れば、先程渡ってきた新木津川大橋がコンニチハ。
あそこからやって来たのだと思うと、感慨深いモノがありますね。
なんておバカな事をやってるんだ、と。




直線部はこんな感じです。
新木津川大橋と比べると、
歩道が狭くてフェンスが近いので圧迫感を感じます
写真には映ってませんが、クルマの通行量は新木津川大橋より多めです。




そんなフェンスから無理矢理撮影した木津川。
左が大正区側、右が西成区側になります。




やがて道は緩やかな下り坂になります。
遠くに見えるのは生駒山地でしょうか。




そして直線区間は終了し、西成区側のループ部に。
緩やかな下り坂の左カーブが始まります。




そんなループの途中に現れたのが、あべのハルカス
やっぱり目立つビルですねぇ。




西成側のループ部は、こんな感じです。
結構クルマの通行量が多い、というのが分かりますね。




ループの途中で見つけた看板。
カーブのRもそこそこきついし勾配も結構だから、
冬季に凍結したらスリップ注意どころじゃありませんよねぇ。




そうこうするうち、だいぶ高さも低くなってきました。
近く建物の屋上ぐらいの高さになってますね。




このゲートが現れたら、もうすぐ終点です。
このゲートも大正区側のゲートと同様に、
荒天時に橋を封鎖する為のゲートです。




ゲートの近くにあった、橋の銘板。
結構立派ですね。




ゲートを通り過ぎてそのまま行くと橋を渡り終える事になりますが、
今回はここで左折します。




左折した先には千本松渡船場があるからです。
千本松の渡しは千本松大橋と同じく、
大正区南恩加島と西成区南津守を結ぶ岸壁間230メートルの渡船です。
渡しがいつ設けられたか正確な年代は不明ですが、
大正時代中頃と推測されています。
千本松大橋の完成によって渡しは廃止される予定でしたが、
地元の強い要望によって現在も存続しています。




通路を道なりに進んで行くと、やがて橋のループ部と交差します。
交差部はあまり高さがないので、頭上には少し注意が必要ですね。




交差部を潜ると、すぐ道はT字路に。
案内看板に従い、ここは左折します。




左折して短い坂を上ります。
上った先で、右折します。




右折した先が、渡船場の入口となります。
遠くに見えるは、千本松大橋の橋脚になります。




入口の坂を上って左を見ると、千本松渡船場があります。
ちょうど渡船が停船中ですね。




また上った先から川を挟んで反対側には、大正区側の渡船場が見えます。
渡船場はループ部の近くに設けられてますね。




写真を撮影していると、渡船は出発してしまいました。
渡船自体は以前探検した
落合上渡船場や落合下渡船場と同じタイプですね。
大阪市建設局の共通仕様なんでしょうか




人や自転車を乗せて、渡船は川を進んで行きます。




ほどなく渡船は大正区側の渡船場に接近します。




無事渡船は大正区側の渡船場に到着しました。
所要時間は2分ほどでした。




次の渡船を待つ間、渡船場を色々撮影してみます。
こちらは渡船の待合所になります。




渡船が到着する桟橋。
待合所とは緩やかなスロープで結ばれています




待合所から見た千本松大橋
結構迫力がありますね。




同じく待合所から見た、河口方面の木津川。
遠くに見えるのは、新木津川大橋です。




待合所内に貼ってあった、渡船の時刻表
日中は15分ヘッド、平日朝夕のラッシュ時は10分ヘッドですね。




待合所の中に貼ってある注意書き。
単車は千本松大橋を通って下さい、という事のようです。




待合所に貼ってあった案内看板。
千本松の名の由来が記されています。



あと一番大事な注意書き。
桟橋から先、台船上も撮影は禁止です。
理由は看板の通りです。




台船上の撮影は禁止なので、一気にワープして大正区側の渡船場です。
なんか西成区側と似た風景ですが。




で、こちらが大正区側の待合所です。
時刻表や注意書きの看板は、西成区側と同じですね。




待合所からの坂を上り切った場所。
ここを左折します。




左折した先は緩やかなスロープになっており、
ループ部の傍を通るカタチとなります。




やがてループ部とは離れてまっすぐな道へ。
その先はT字路になってます。




T字路の交差点にある、渡船場の案内板。
またここは先ほどのループ部内のグラウンドの入口となってます。




T字路を左折して、道を進みます。




なんだか見覚えのある風景ですね。
もう少し進んでみます。





交差点に辿り着いたので、右折します




右折した先は、千本松大橋西詰の交差点でした。

そう、探検隊はこの地に帰ってきたのです!

探検はコレで終了と言う訳じゃなくまだ続きがあるのですが、
それは次の機会にでも。

「ベイエリア3つの橋を探検! 2」

おわり。


























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