見かけのカオス 心のカオス

あるところに、老人がいた。
その老人は、見た目はみすぼらしく、服も汚れ、
お金もなく、仕事にもつかず、家族もおらず、家もなかった。
老人は、毎日のように、なけなしの金で買った馬券を握りしめ、
競馬場に入り浸り、勝ったときには酒を飲み諾れ、廃人のような生活を送っていた。
時に怒っては公園のごみ箱を蹴飛ばし、時に自らの行いを恥じて泣いた。
それはそれはみすぼらしく、感情のまま、心のままに。。。

人はみな、彼と距離を置き、彼との交流を避け、いつも一人でいるように見えた。

ある日、老人の目の前に、弱り切った一人の青年が競馬場で路頭に迷っていた。その青年は老人に話しかけた。
”すみません、、、福岡から東京に帰りたくて、今ある500円を増やしたいんです。。。”
その老人は驚いたが、その青年のことを大変面白がった。
”おう、にいちゃん、そりゃとんでもねぇ状況じゃねぇか!”
”ここはいっちょ指南してやるから、とりあえずこの馬券、買うて来い!”

老人は、その青年の力になろうと、純粋な気持ちで、一緒に時間を過ごした。少年の勝った馬券は当たり、彼は500円を6,000円にして無事東京に帰っていった。

老人の心はいつも、ピュアなままだった。老人の見かけは、救いようもないほどにみすぼらしく、感情に任せたカオスであったが、彼の心は、一人の青年を救うことができた。


あるところに、年配の紳士がいらっしゃった。
その紳士は、いつも綺麗な衣服をまとい、朝にはスーツを着て仕事に赴き、
休みもなく人のために働き、家族のことを想い、賭け事はせず、酒もたばこもしなかった。その行動はいつも感情に振り回されることなく、正しく、いつも厳戒で、懸命だった。

周囲からは羨望のまなざしを集め、尊敬され、頼られた。

ある日、年配の紳士の、息子が自殺した。
紳士はわけがわからなかった。なぜわが子が死んだのか、なぜ死ななければならなかったのか、なぜ、なぜ、なぜ、、、
紳士はその正しさのあまり、息子に自分を重ね期待した。
より正しい自分に、より厳戒で、懸命な自分を彼に求めた。
自身の中に眠る弱い自分を、棚に上げて、見ないふりをして、
紳士は”よりよくあれ”と息子に対峙した。

息子はいった。
”どうして、どうして僕は生まれたの?”
途切れるほどにか細い声で。
”決まっているだろう、よりよく生きて立派に死ぬためだ”

翌日、彼は、自殺した。

紳士は、自身の心に向き合えなかった。心のカオスを見つめなかった。
いかに小ぎれいにしていようと、いかに立派にふるまおうと、
紳士の心が、自身の息子の心を殺した。

あとがき

このお話は、僕の友達から聞いた事実を含み、僕がフィクションに書き換えました。見かけのカオスと心のカオス、人はどれだけカオスをなくそうと努力しても、無自覚に自身のカオスにのまれることがあります。
自身の汚い、醜く、愚かな行為や感情、心の状態を把握し、カオスを見つめ続ける努力を僕は、続けていきたいと思います。

2020年年末にやっていた、”相棒SP”では、正しくあり続ける主人公と、正しくありたかった犯人の対比が描かれています。この対比を見て、本作品の原案を思いつくことができました。ぜひ一度見てみてはいかがでしょうか?
お読みいただきありがとうございました。

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