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トゥンダキ御嶽
下里添花切の富嶽に向かった。
富嶽と書いて、トゥンダキと読む。
内地読みなら「ふがく」だけど、富士は見えない。まあ、当て字なので資料によると、富竹と書く場合もある。
いずれにせよ、話し言葉に字を当てているに過ぎないので、瑞祥地名になりやすい。
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富嶽に来た理由は、トゥンダキ御嶽を訪れること。
はじめてではないけれど、この入口までしか立ち寄っていなかった。
綺麗に整備された参道の坂路を登る。
御嶽は集落内の小丘に位置している。低いがそれなりに登る。
![](https://assets.st-note.com/img/1711539973857-SNG1RFtGdq.jpg?width=1200)
小丘の頂上部には平地があり、広場になっていた。
そしてイビ(拝所)がいくつもある。
![](https://assets.st-note.com/img/1711540063671-tlO6WIWpSf.jpg?width=1200)
この御嶽の東側には、明治35年に隣村の新里小(上野地区)の分教場が置かれた。
そして明治41年、御嶽の南方に花切(花桐)小が出きるまで、この地に学校があったのだという。
その学校は、砂川学区(城辺)の教育発祥の地でもあったのだから、驚かされる。
現在、砂川学区の学校は、さらに南方に移り、砂川小が担っている。
ローカルな歴史は掘れば掘るほど、面白いものが出て来るから、楽しい。
そして今回のメインは、御嶽や学校の話ではなく、こちらだ(笑)。
![](https://assets.st-note.com/img/1711540511748-CiD9R9fKH3.jpg?width=1200)
ささやかな情報を元に、周囲を漁ったら大ビンゴ!今まで観測していない奴を発見した。さて、次はこの中に凸ろうかな(笑)
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