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14歳の私と両親の理解

私の人生初ライブは14歳、宮城で行われたBUMP OF CHICKENのライブ「ホームシップ衛星」だった。

当時中学2年生だった私はクリスマスプレゼントにBUMPの最新アルバム「orbital period」をもらい、毎日のように聴いていた。アルバムに入ってたツアー日程を見ると、どうやら3月に宮城でライブがあるらしい。

「行きたい」

そう思った私はギリギリ一般発売でチケットを取ることができた。どうやっていくのか、誰と行くのか、何も決めていなかった。

そこから何時に開演するのか、グッズはどれを買うのか、時間があればBUMPに全て費やした。当時は青森県に住んでいたので、宮城までは車移動することになる。(たまたま会場からおばあちゃんの家が近かった)

これは一人暮らししてから気づいたことだが、私の両親は自分のやりたいことであればやらせてくれた。ただし、自分の力でどうにかすることが条件。この時は何時に家を出るのか、交通費はどうするのか(この時は運転してくれた父に1万円払った)、まず自分で企画書のようなものを作って両親にプレゼンした。

ライブではメンバーが登場したところで涙が溢れた。本当に生きているんだと実感した。当時は3〜4年に1度しかライブもしなかったし、今ほどメディアへの露出もなかったからPONTSUKA!とたまに更新されるたかちゅー日記しか生存確認が出来なかった。

BUMPを好きになって間もないライブだったから、知らない曲もあった。でもその後の私の人生を変えるほど、その日のライブはかけがえのないものになったのだ。

その頃から私はBUMPと仕事をするぞ、BUMPのように感動を届けたいという一心で就職先までイメージして過ごしてきた。今、その頃思い描いた未来になったかといえば少し違うが、未だにその頃についた火は消えていない。

「微かでも 見えなくても 命の火が揺れてる」

あの日から私の人生はものすごい輝いている時もあれば、微かに光っている時もある。それでもあの日があったから今の自分が居ることは間違いない。

14歳でまだ自分の足で宮城に行けない私を、快く送り出してくれた両親に感謝している。