親を亡くして思うこと

前回の更新で、父親が癌になった話を書いた。
あれから病状は転がるように悪くなり、年を越せずに逝ってしまった。
本当に驚くほどあっという間だった。

癌は怖い病気ではあるが、何年も闘病する人も大勢いる。
だから、まさかこんなに早く逝ってしまうとは想像していなかった。
癌の発覚からたったの3ヶ月。
12月頭に初めての余命宣告を受けたときにはその時点でもう「年内いっぱいもたないかも知れない」。
そして医師の見立て通り、年末に息を引き取った。

素直に悲しいと思えた自分に、息を引き取る直前から火葬が終わるその時まで、たくさん泣くことができた自分に、少しホッとしている。
父と私は個人的にはうまく行かなかったが、遠くで幸せでいて欲しかったと心から思う。

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コロナ禍の折、自由に面会に行くことはできなかったものの、重篤な状態の患者の家族と言うことで、最後の1ヶ月の間に3度会うことができた。
最後となってしまった臨終の前日には、1歳半の息子の同席も許可され、久しぶりに顔を見せてあげることができた。

そして、もうきっとこれが最後になるとお互いに感じていたであろうあの日、ずっと心に引っかかっていたことを謝った。

20歳のときの話。
成人式のあと、一緒にお酒を飲みに行こうと約束をしていたのに、その約束を簡単に破って友人達と遊びに行ってしまった。
「みんなで遊びに行くことになったー」と気軽に伝えた私に父は、「おおそうか」とだけ答えた。
でも実は、行きつけのお店を予約してくれていたこと、私が外出したあと、寂しそうにキャンセルの電話をしていたことを、後に母から聞いた。

何度も書いているとおり、父親とは折り合いが非常に悪い。
それでも、この出来事については完膚無きまでに自分に非があり、ずっとずっと、申し訳なく思っていた。
別件で父に腹を立てても、この人の子供に生まれたくなかったと泣いても、そうした思いとは別に、ずっと罪悪感がしこりのように残っていた。

そのことを謝ると、息も絶え絶えになりもう話すこともできなくなってしまっていた父は、眉を動かして頷いてくれた。
少し、笑ってくれたようにも見えた。
許してくれたと、思っていいだろうか。

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まだいなくなってしまったことに実感はわかない。
しかし生前から疎遠にしていたため、自分の生活に影響は全く無い。
また、やはり生前の折り合いの悪さもあり、もう父を偲んで泣くこともない。

ただただ、不憫だ。
悔しかっただろう。辛かっただろう。
まだまだ60代前半、これからというところだったはずだ。
やりたいことをやりきれなかったのはもちろん、大好きな人たちにお別れを言うこともできなかった。
こんなに早く逝ってしまうなんて。


ただ、ただ。
早く亡くなってしまったからといって、私の過去の痛みがチャラになる訳じゃない。
私はこれからもこの痛みを抱えて生きていく。
この痛みとどう折り合いをつけるか、未来を見ることはできる。
でも、過去を振り返って、都合良く解釈し直すことは絶対にできない。

だから、家族、特に母と兄の言動に時々心が固くなる。
これまでも敢えて疎遠にしてきたのに、「見守っててね」なんて気持ちになれるわけがない。
とはいえ、故人を貶めるつもりも2人の気持ちに水を差すつもりもないので、ただただ流している。


それでも不思議なことに、今思い出すのは快活な笑顔の父ばかりだ。
豪快に笑う人だった。社交的な人だった。
友人や同僚に囲まれて、楽しそうに笑う姿。
あの笑顔ばかりが、ずっと心に浮かんでいる。

圧倒的に辛い思い出の方が多いはずなのに。
嫌というほど目に焼き付けられた、不機嫌な顔や怒鳴りつける顔は、今は不思議と浮かばない。

遺影は、私の結婚式で撮った写真を選んだ。
私と腕を組んで微笑む父の顔だ。
とても、優しい顔をしている。

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どうかどうか、安らかに。
それだけをただ願っている。

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