思いやりと想像力

多様性について考えている。常に、考えるようにしている。

多様性の受容とはつまり、本人のバックグラウンドや持って生まれた身体的・精神的な特徴など、すべてのことに関係なく、「その人はその人として幸せになる権利」を指していると、自分なりに理解している。

「受容」の主体は、社会の仕組みであったり、物理的な構造であったり(バリアフリーなど)、そして、社会を構成する一人一人だ。

多様性について常に考えるように「意識」しているのは、差別や偏見は「無意識」とともに生まれうるからだ。

私がそうやって「意識」して多様性について考えるようになったきっかけを、今日は少し書こうと思う。

-------------

息子を授かる前に、流産を経験した。

妊娠したら出産できるのだと思っていた。

流産の確率が決して低くないこと(10の妊娠があったら1流産する)もわかっていたが、自分に起こるはずがないと思っていた。

私の場合は心拍確認ができないまま8週目に出血が始まり、進行流産の診断がつき、最後は自然に出てきてくれた。

トイレで自分の手で小さなピンポン玉のような塊を受け止めたときのことは、今も鮮明に覚えている。

その日を迎えてしまうまで、祈り続けた切実な気持ち。出てきてしまった時の、身体の内側が裏返るような悲しみ。SNSで友人の妊娠・出産報告が目に入ってしまった時の、黒い感情。街で妊婦さんや赤ちゃんを直視できない、惨めさ。

本当に心がぐちゃぐちゃだった。たった8週しかお腹にいなかった、ありふれた流産であっても、自分には本当に苦しい体験だった。

そして気づいたのだ。人には言わないだけで、誰しもがこうした悲しみや苦しみを背負っている可能性があることを。

逆に30過ぎるまでそんなことにも気づけなかったのかとも思うが、本当の意味で理解できたのはこの時ではないだろうか。

いつも相手の気持ちを想像し、尊重していたつもりだった。だけど、流産を経験する前の私は、自分の価値観からはみ出すことなく、きっと色々な人に無神経な言葉がけをしていた。

痛みは自分事にならないとわからない。もちろん流産だけですべてを悟ったわけでもなく、まだまだ私は無神経な発言をして人を傷つけてしまうことがあるだろう。

そして痛みを知ったとき、振り返って過去の自分を恥じる。この繰り返しがきっと今後も続くのだろう。

だけど、諦めない。思いやりと想像力を。努力をし続けたい。

-------------

毎月必ず、流産した息子を供養したお寺に行って、手を合わせている。

日付は決めずに、どこでもいいから月に1回、とすれば、続けられる。もう2年以上続いているが、私には必要な時間となっている。

静かに、あの子のことだけを考える時間。

今もまだ確実に残る、普段は見ないようにしている心の痛みを、この時そっと開いて、優しくなでてあげるのだ。

こうして痛みと一緒に生きていくことで、優しくなれる、気がするのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?