親だって人間…だけど、だけど。

私は、私の理想の親になりたい。
そう思うあまり、苦しくなることがある。

同じ悩みを持つ人に声をかけるとき自分で選ぶ言葉を、
自分にはかけてあげられない。

今日はそんなことを少し整理してみようと思う。

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我が家の家事育児分担は、7:3くらいで私に負担が高い。
夫婦で試行錯誤して時には話し合いながら、お互いのキャパや得意不得意も踏まえての今の形なので、今の時点でそれ自体に不満はない。

ただ、7:3なので当然ワンオペになる時間、なる日が多い。
息子は可愛い。それはもう文字通り命に代えても惜しくないほど大切だ。
でも、どうしてもストレスが溜まってしまうこともある。
相手は言葉が通じない、それでいて意思表示がハッキリしてきた1歳児。
そりゃ四六時中一緒にいれば、癇癪も起こされるし訳も分からず泣かれるし、ご飯をぶちまけられることもしょっちゅうある。

笑って流せるときもあるんだ。
でも、どうしても笑顔が作れないときもあるんだ。

今日、フォークを投げつけて皿をひっくり返そうとした息子に、大きな声を出してしまった。
大きな声で名前を呼びつけて制止した。
その声を自分の耳が聞き終わる頃にはショックに打ちのめされていた。

イライラしてしまったのは初めてじゃない。
もちろん手を上げたことはないが、イライラを隠さない声掛けをしたり乱暴に食器を片付けたりしてしまった。
その時もショックを受けた。

ショック?
私のイライラや大声にびっくりしたのは息子なのに、なぜ自分がショックを受けているのか?

耳に届いた自分の大声を聞いて、何がこんなにショックなのか、今日はっきり分かったのだ。
自分の虫の居所次第で子供への態度を変えてしまう自分に、父を重ねてしまうのだ。
それが、生理的に受け入れ難く、自分を悍しく感じるのだ。

わかっている。
息を吸うように当然の権利のように私達を虐げてきた父と、こうして爆発させてしまったことを反省してもがく私は、違う人間だと。

相手が自分ではなかったら、親だって人間なんだから、未熟な部分もあるよねと優しく笑える。
大人でも間違えるということを子供に学んでもらうことも大切だよねと励ませる。

なのに、自分は許せない。
過去に私を傷付けた父の所業と重なってしまうような行動を取る自分が許せないのだ。
頭でわかっていても、心が、許すことを拒否する。
私は、穏やかな、子供を怯えさせない母でいたいのだ。
私のキャパの狭さが、息子の心を傷つけてしまうのが怖くてたまらないのだ。

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子供に対して、少なくとも自分の思う理想の態度を取りたい。そうする努力をしたい。
間違えてしまったときは自覚して反省して、親として成長していくしかない。

だけど、そのたびに地の底まで自己嫌悪してしまう癖からは、すぐには抜け出せそうにない。

自分がモラハラ父の元で育ち、自己肯定感が欠片もないので、不安なのだ。
自分を愛せる子供の育つ家庭で育っていない私には、何が正しいのかわからないのだ。
だから、安易に自分を許していいのか、わからないのだ。

夫には、これは正しいこれは正しくないと何もかも決めて自分を縛ると、苦しくなるよと言われた。
大まかに進む方向だけ決めて、そこにどう辿り着くかはその都度一緒に悩みながら決めていこうよと。

夫は、とても穏やかで優しい。そして自己肯定感がとても高い。
私は息子に夫のようになってほしいと思っている。

だから、こうして潰れそうなほど自分を責めてしまう時は、きちんと夫婦で問題を共有しよう。
夫は私を決して否定せず、次にどうすればいいか一緒に考えてくれる。
そして話し終わる頃には、私はまた笑うことができるのだ。
一つだけ間違いないことがあるとすれば、私が笑っている方が、息子も嬉しいのだ。

お母さん、頑張るよ。
君の前でいつも笑っていられるように。

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