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6ヶ月「めっちゃ」「やばい」「普通」を禁止して生活してみた | 週末エッセイ

私は半年間「めっちゃ」「やばい」「普通」の3つのワードを禁止にして生活をしていた。
きっかけは仕事で自分の表現力が乏しいと思い改善したかったからだ。
日常で使う言葉を変えれば、言葉の選出に普段から気を配れると思いやってみたが、思ったりよりも取り組み自体が面白かったため、記事にしてみようと思う。

僕はこの実験を始める前は「めっちゃ」「やばい」「普通」を毎日頻繁に使っていた。
共感できる人がいるのではないでしょうか。

日常の様々な場面で使い、もはや相槌として使う人もいると思う。

そんな日常で使う言葉を禁止にすると、コミュニケーションにどんな変化がでるのか、感想と考察を書いていこうと思う。

「めっちゃ」「ヤバイ」「普通」の3つを禁止にした理由

まず、なぜ「めっちゃ」「やばい」「普通」の3ワードを禁止したのかを簡単に説明する。

理由はそれぞれある。

「めっちゃ」
形容動詞?で、形容詞を強めていうときに使う単語だ。
頻繁に使う人はわかると思うが、クセになると全ての単語につけてしまう。
また、大人の方と話すときに「めっちゃ」という表現はあまり適さないため、癖を治したかった。

「やばい」
WEBで検索すると形容詞と感動詞と分類されている。
私は本来の「やばい」は感動詞として使われていて、どこかのタイミングでveryの意味で捉えられるようになってから使用頻度が高まり、今では相槌にもなっている。
この取り組みをしようと考えたとき最初に「やばい」を禁止しようと思った。
なぜなら、「やばい」を多用している自分は、表現力が劇的に低下していると気づいたからだ。

・ホラー映画をみて驚いたとき
・美味しいご飯食べたとき
・綺麗な景色をみたとき
・YouTubeで面白い動画を見たとき

これら全ての場面で無意識に「やばい」は使用される。
この言葉を禁止しないと、自分の感情を正確に人に伝えることはできないと思い禁止にした。

「普通」
形容動詞、名詞、副詞として扱われ、物事の度合いを表すときにすごく便利な言葉だ。

「普通」だよね
「普通」の人
「普通」は〇〇

私は周りでよくこういう表現を聞く。
しかしそのたびに、

「普通」ってなんだよと心の中で思っていた。
面倒なやつだと思うかもしれないが、「普通」のことなんてないのだ。形容詞の使い方は人それぞれだが、「普通」という言葉ほど意味を為してない言葉はないと思っていた。

そう思いながらも無意識に使ってしまう自分がいたため、今回を機に禁止することにした。

上記が「めっちゃ」「やばい」「普通」を禁止した理由だ。
全てに共通しているのは、無意識に多用していたワードであるということだ。
無意識だからこそ、禁止にすると効果はすぐに現れると思っていた。

禁止して大変だったこと

言わずもがな、毎日のコミュニケーション全てが大変だ。
無意識の癖を変えるということは、全てに意識を向けなければならないからだ。

例えばみなさんは

・お風呂で体を洗う際の順番を覚えているか
・毎日階段を上るときに、左右どちらの脚から昇るか
・普段歩くときになにをみていますか

と言われたときにすぐにそれが頭に浮かぶでしょうか。

おそらく全て無意識だから、なんとなくはわかるけど正確には思い出せない。
そういうことを毎日意識することは想像以上に大変だとわかると思う。

ちなみに私がこの実験を初めて1ヶ月の間は日常の会話が10分に一回止まっていた笑
「あー言ってしまった」
と思い、言い換えて話し始めたりする。
LINEでメッセージを打つときにも使ってしまうため、何度打ち直したか覚えていない笑

実験をして3ヶ月が経った頃には日常会話の中に「めっちゃ」「やばい」「普通」が出てくることはほとんどなくなる。
相槌で「やばっ」となってしまうことがあるが、それ以外の文章の中で出てくることはなくなった。

そのまま続けていると、相槌や驚きで「やばっ」となる頻度は減ったが0になることはないことがわかった。
感動詞の「やばい」は反射的に出てしまうため制御できないことがわかったのも興味深かった。

なにか突然ものがぶつかったときに「いたっ」「痛い」と言ったり、危険が迫ったときに「危ない!」と反射的に叫ぶことと同じだと思う。

この反射は改善しなかったが、それ以外の日常会話で「めっちゃ」「やばい」「普通」はなくなった。

3つのワードを禁止してから気づいたこと

「めっちゃ」「やばい」「普通」この3ワードを禁止して気づいたことは2つある。

・周りが禁止ワードを頻繁に使っていることに気がつく
・他の表現で癖がつきやすくなる

まず、周りが禁止ワードを頻繁に使っていることに気がつくについては、カラーバス効果と同じ原理だと思っている。

カラーバス効果とは、ある1つのことを意識することで、それに関する情報が無意識に自分の手元にたくさん集まるようになる現状のこと。

とかかれている。「めっちゃ」「やばい」「普通」を意識しているから周りがどれだけ使っているかを無意識にわかるようになる。

周りの人が頻繁に使っているの聴くと、自分も同じくらい使っていたことがわかる。改善した自分は言葉遣いが大きく変わったのではないかと思った。
しかし周りに、
「「めっちゃ」「やばい」「普通」を使うことが無くなったよね」
と言われたことがないため、やはりそれを変えても周りには伝わらないこともわかった。

他の表現で癖がつきやすくる
もはやオチなのではないかと思う現象が起きた笑
それは、「めっちゃ」「やばい」「普通」この3ワードに変わった癖ついた言葉を多用するようになっていたからだ。

「やばい」「普通」に変わるもの少ないため特に変化はなかったが、「めっちゃ」の代わりに「本当に」「すごく」というのを多用している自分がいることに気づいたのはびっくりした。

最初の目的としての
「表現力を豊かにする」を叶えるためには、もう少し実験が必要であると思えた。

まとめ

この実験で私は、言葉というものをどれだけ無意識に使っているかを実感することができた。

言葉遣いをどこで習うかはわからないが、一度身についた言葉遣いを直すことはすごく難しいため、インプットするときから言葉遣いは意識しようと思えた。

・言葉一つ一つの意味や使い方を理解すること
・無闇やたらに汎用性が高い言葉を使わない
・言葉については常に意識を向けておくこと

という教訓を胸に、今後も自分の表現力を鍛えるトレーニングを見つけていこうと思う。

もし、私の書いている文章を読んで、この言葉を直したほうがいい等の声がありましたら教えてください。
すぐに直そうと思います。

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