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「ヴェネツィア暮らし」を読んで、京都を思う

まだまだ、インターネットの世界が普及していない頃、
旅好きな女性が、SNS上で
「一番素晴らしかった場所は、ヴェネツィアです」と語っていた。
それから、ヴェネツィアが憧れの地になったのは言うまでも無い。

映画「ベニスに死す」
マーラーの音楽と共に
美の象徴として描かれていた美少年タジオの顔も浮かんでくる。

さて、本当に暮らした著者の矢島翠さんは、どんな印象を受けたのか?

ゴンドラの色は黒だ。以前は豪華で派手なものもあったが、
国家として倹約のために黒に統一されたようだ。

ノーベル文学賞の詩人 トランストロンメルは、
ゴンドラは命を重く積み運ぶ、簡素で黒いそのかたち
悲しみのゴンドラ」で書いたが

矢島さんもあれこれと他の色を考えてはみたものの、
やっぱり黒がいいと言う。
私も黒衣という存在に徹したゴンドラを思う。

日本人矢島さんは
ヴェネツィアと京都が似ていると言う。
ここで、ちょっと後ずさりした。

過去に、文化の中心としての栄光にかがやいたのち、成り上がり者の、がさつな他の都市に、その地位を奪われるに至った二つのまちそこに住む人々がよそ者に向ける微笑の中に、まちの深層にひそむ軽蔑と、うらみとあきらめの影が、そこはかとなく浮かび上がってくるとしても、ふしぎはないだろう 
その味わいを、私は好きだった。

「ヴェネツィア暮らし

城下町あるあるだが、
京都人から京都人の本音と建前の愚痴を聞き、
矢島さんの著書で、ヴェネツィアと合体してしまった。
そして、何度も「ベニスの商人」と言う文字を読みながら
子供の頃に劇場で見た物語を思い出す。

だけど、それが好きだという逆説的な中に
ヴェネツィアの魅力、京都の魅力があるのだろう。

さて、私にとって 近くて遠い京都、
いつ行っても観光客だらけで
関西圏では良い美術展が京都にしか来ないので行きたいが
体力が持たずに諦める。

だけど、やっぱりそそられる京都。

1987年に書かれた本なので、37年も経っているが、
核の時代が始まったようで危惧されていた。
それは日本ではなく
ヴェネツィアに住んでいたから余計感じられたのではないかと思う。
その現実は、今も変わらずだ。


だが、水辺でぼーっとゴンドラの漕ぎ手を眺めていると
核の時代の暗い予感をひととき忘れても良いのでは。。
と書かれ、最後の一文に心が和んだ。 まだまだ知りたいヴェネツィア🎵

人間は、本質的にホモルーデンスなのだ。

「ヴェネツィア暮らし」より

※ホモルーデンスとは、「遊ぶ存在」




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