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言語と非言語について 1

少し言語・言葉の力について、僕が思っていることを簡単に備忘録的に綴ってみようと思います。

** 注意 **
* 僕は言葉や哲学、宗教の研究者ではないので、その点についてはご了承ください。
* 言語、言葉というwordにあまり違いを設けずにひとまずnoteは書きます。典型的には、言語の方が抽象的、体系的なものですが、ここではノリです。

はじめに

言葉の強力さ、というのは、皆さん日常や様々な経験、体験からよくご存知かと思います。
その中で、このnoteでは次の3点を挙げてみて、それぞれについて僕が考えていることをつるつると書いてみようと思います:

  1. 概念、事象、存在の固定化

  2. 意識化と思考

  3. 想起性


1. 概念、事象、存在の固定化

これは西洋や契約社会などに伝統的だと思いますが、言語によって描かれるものが世界で、言語によって記述されるものが存在するというような考え方があります。
(逆に言えば、言語にできないものは存在しない、とも言えますね。)
言ってしまえば、言葉は概念や事象、存在を他から切り出し、この世界に固定化、存在できるようにする力があるということです。

もっとわかりやすく言えば、名付けるという行為が、宇宙からその存在を抜き出して固定化していることになります。
(もちろん、抽象度による違いなどはありますが。)
ある意味、ものを縛っている、ということですね。
これは次の2.にも関わりますが、そういうものとして縛ることで、ある意味僕たちが干渉、介入しやすくなっていると思います。

具体例として、簡単な算数を考えてみましょう。
次のような関数$${y(x)}$$に関する微分方程式を考えます:

$$
\frac{dy(x)}{dx} = y(x),
$$

これはある種の性質を表しています。
(微分しても関数形が変わらない、という性質ですね。)
このような性質を持つ関数y(x)に「指数関数」という名前を付け、それを

$$
y(x) = \exp(x),
$$

と書くことにしましょう。
これが名前をつけるということであり、そうすることで性質しからわからなかった、何か得体の知れないものが、「指数関数」という$${\exp(x)}$$という記号(言葉)で表現できる対象になりました。
こうすることで、実際、心理的なハードルも下がると思います。
これが言葉、あるいは命名の力です。

2. 意識化と思考

これは3.とも関係しますが、言葉によって表現することで、僕たちはその対象を意識に上げることができます。
そして、意識に上げることができる対象は、ある程度自分でコントロールできる対象です。

例えば、呼吸などは人間、意識に上げやすいので、ある程度呼吸のスピードなどをコントロールできます。
同様に、言語化されたものは意識にあげることができ、それによって僕たちはその対象の考察や思考などの操作を行うことができるようになります。

また、何か論理的な思考をしたり、論証を行ったり、考察を行うときも、基本的には言語によって行われます。
(数式だって言語です。)
こういうことができるのも、言葉の持つ力があるからだと思います。

上記の指数関数を例にとれば、$${\exp(x)}$$という関数の性質を知ったので、$${z(x) = \exp(a x)}$$, $${a}$$は適当な実数, というものについて考えることができます。
この関数を微分してみますと、chain ruleから

$$
\frac{dz(x)}{dx} = \frac{d \exp(a x)}{d(ax)} \times\frac{d(ax)}{dx }= a \exp(ax) = a z(x),
$$

となります。あるいは逆演算の積分だってできるわけです。
またまた、$${\exp(-x) + \exp(-2x)}$$なんて関数についても考えることができます。

3. 想起性

最後にあげるのは言葉の持つ想起性です。
これは2.の意識化とも関係すると思います。
僕たちは、言葉を与えられると、その言葉に持つイメージを自然と浮かべてしまいます。
(逆に言うと、言葉が来ると意識化せざるを得ないようなことが多いのです。)
これが言葉の想起性です。
指数関数と言われれば、$${y = \exp(x)}$$のグラフを浮かべたり、という具合です。

もっとわかりやすい具体例をあげると、例えば皆さんおそらく大好きな食べ物であろう「ラーメン」です。
このように、「ラーメン」という言葉が出ると、何かラーメンをイメージしたと思います。
それが想起性です。
そして、この想起性に関係して重要なことは、このイメージなどはある程度事前にイメージ共有等をしていない場合は、自分の過去の記憶やポジティブな情動に結びついたものがたたき台として浮かびやすいということです。
おそらくは、自分が一番好きなラーメン屋さんの美味しいラーメンが浮かんだと思います。
このとき、もう一つ重要なのは、このイメージと一緒に「美味しい」や「味」などの情動的な情報や他の関連する情報も引き出します。
これが言葉の持つ大きな力だと思います。


最後に

以上が僕が思う言語の持つ簡単ないくつかの大切な性質です。

一方、上記具体例で、「ラーメン」として僕は出汁系のものを浮かべたとします。
しかし、会話の相手は醤油とんこつを思い浮かべているとすると、かつおの出汁が~という話をしても共有できません。
言葉やそれに紐づいたイメージを用いる場合にはこういう共有と抽象度、具体性の話というのは、重要な話題だと思います。

また、密教経典などに見られますが、言葉の想起性を用いて言葉を超えたイメージに到達しようとする試みも、言語/非言語を考える上で興味深く重要なトピックだと最近考えています。
(例えば、理趣経第三段、『以蓮華面。笑而怒顰眉猛視。』などの表現でしょうか。)
こういった話題については、可能であればまたの機会に触れたいと思います。

ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

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