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嘘と欺瞞

イラスト:ムツナナツ

僕は介護の仕事で利用者さんと接する。

利用者さんにはいろんなタイプの人がいる。

好きなタイプと苦手なタイプの人がいる。

でも利用者さんを差別してはいけない。 公平に接することが求められる。

すなわち、どの利用者さんのことも一定程度以上、受け入れる必要がある。


そんな話をしたら、それは「装う」でもいいのではないか、とclubhouseのサピオセクシャル部屋で言われた。

なるほど。
心の底から思っていなくても、仕事上そのように接すればいい、ということかな? そう言われると肩の荷が下り、少し救われる気がする。

こないだ認知症の人と接する介護職の人は演劇を学ぶといい、という話をワークショップで聞いた。 そのとき、真面目な介護職の人のなかには、演技をするということはなんだか認知症の利用者さんに対して嘘をついているようで申し訳ないと悩む人がいる、という事例を聞いた。

その時、ずいぶん真面目過ぎる考え方で、そういう介護職の人は苦労するだろうなと対岸の火事よろしく眺めていたが、案外自分にもそういう要素があるのかもしれないと、いまこれを書いていたら、ふと気がついた。

ある瞬間、嘘でもいいから演じることでその利用者さんが気持ちよく過ごせればそれでいいのではないか、というある種の割り切りも必要だろうな。

ついていい嘘というのもあるし、時に必要な嘘もあるだろう。
そんな話もそのうちみんなとしてみたいな。
(2023年6月25日に書きました)

イラスト:ムツナナツ

この場を訪れていただき、ありがとうございます。この記事は、つよぽんが2ヶ月前に記載したものにひろっちが追記しレイアウト編集したものをお届けています。

大学院の同期に介護職に務めている子がいて、同じ迷いから「嘘と欺瞞」を研究にしていた。
利用者さんには、夕暮れ時になると、死別した家族が帰ってくるから夕食の支度をしなくちゃいけない。だから帰ると言い張って聞かなかったり、存在しない物語の主人公になってその通りに行動したがつたり。そんな人が大勢いるらしい。それに真面目に対応していると、健常な精神の人は疲れるらしい。中には、適当に話をその場しのぎで合わせるだけの介護職者も多いらしいけど、そこは一定の筋(物語)を作って「噓も方便」といった対応をする事でいつでも同じ対応ができる。その方が、利用者さんも納得しやすく混乱に陥りにくくなるらしいよ。
学問的な知的財産を備えている職員ほど、この使い分けを心得ているといった海外の研究報告もあるって事を思い出した。

同じような事を考えている方は、一度、調べてみてはどうかしら。当時は日本より海外の方が、この分野の研究が進んでいるみたいだったけど。今は、日本の研究も発表されているかもしれないよ。


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