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チャーチルは本当にドラッカーを激賞したのか? 4月13日 Churchill the Leader チャーチルのリーダーシップ

今日のテキストも1969年版の「経済人の終わり」の序文から、ということで、内容的にも昨日の続きとなります。

今日も #ドラッカー #365の金言  よりスタートしましょう。
本日 #4月13日  土曜日のテーマは
#Churchill_the_Leader
#チャーチルのリーダーシップ
#チャーチルが与えてくれたものこそ道義の権威#価値への献身#行動への信奉だった
#あなたの組織の価値観とリーダーの価値観とを照合してください
#
両者をすり合わせ行動に具体化する方法を考えてください 。

 ドラッカーは、チャーチルのリーダーシップをかなり高く評価しています。それは、チャーチルがドラッカーの処女作「経済人の終わり」を絶賛したことも関係しているかもしれません。

チャーチルは第二次世界大戦中(ダンケルクから撤退する直前)、ドラッカーの処女作『経済人の終わり』(1939)を読み、すぐさま書評を書いて絶賛したという。

『経済人の終わり』は、当時世界を覆っていた「全体主義(ファシズム)」について克明に記した本である。本書の中でドラッカーは、全体主義は“大衆の絶望”を利用し、現状の社会を“否定”することで成り立つイデオロギーであると喝破した。

その内容が反ナチス・反共産主義の姿勢を貫くチャーチルの心に深く響いたのだろう。その後チャーチルは、イギリス陸軍の幹部候補生に、『経済人の終わり』を全員分プレゼントしたという。

上記webより

ファシズム全体主義はなぜ生まれたか。経済のために生き、経済のために死ぬという経済至上主義からの脱却を説く本書は、時の大英帝国宰相ウィンストン・チャーチルの激賞を得た。本書で浮き彫りにした社会問題の多くは、世紀をまたいで今なお、未解決のままである。ドラッカー29歳のときの処女作であり、偉大なる思想の原点となった歴史的名著。

https://www.diamond.co.jp/book/9784478001202.html 

ドラッカーの処女作にして、いきなり、英チャーチル首相が激賞。
なんてコピーが踊れば一般消費者は「これは読まなければ!」となること必至。この本自体は、経営とは関係がなく、資本主義とは、とか、全体主義が、とか、マルクス主義が、といった概念論が語られる内容なので、どっちかといえば、とっつきにくい内容です。

さて、かつては、伝聞しかなかったチャーチルの「経済人の終わり」書評ですが、実際には以下のテキストのようです。インターネット時代、万歳ですね。

Mr. Drucker is one of those writers to whom almost anything can be forgiven because he not only has a mind of his own, but has the gift of starting other minds along a stimulating line of thought. There is not much that needs forgiveness in this book, but Mr. Drucker tends to be carried away by his own enthusiasm, so that the pieces of the puzzle fit together rather too neatly. It is indeed curious that a man so alive to the dangers of mechanical conceptions should himself be caught up in the subordinate machinery of his own argument. His proof, for example, that Russia and Germany must come together forgets the nationalism which has developed in Russia during the last twenty years and which would react very strongly against any new German domination of Russian life. But such excesses of logic are pardonable enough in a book that successfully links the dictatorships which are outstanding in contemporary life with that absence of a working philosophy which is equally outstanding in contemporary thought.

In his approach to totalitarianism Mr. Drucker brushes aside the familiar contention that it is the last refuge of Capitalism in desperation. It is not only Capitalism that is desperate. Marxian Socialism is in equally bad case. Our concern here is with Capitalism as a philosophy; Capitalism as a means of producing goods in constantly increasing volume at a constantly diminishing cost is by no means a failure. Where Capitalism has failed is in its exhibition of the Economic Man as a social ideal. In the heyday of industrialism it was argued that the competitive system gave a free and equal chance to everybody. Freedom and equality are the central ideas of European civilization, but people are now ceasing to believe that competition is a means to their attainment. Hence our present social bankruptcy.

The Marxians offered the alternative of a classless society. But that has lost its attractions also, because it is clear that Socialism in practice creates a new and highly organized class structure of its own. The present social order having thus lost its theoretical justification, the average man is no longer prepared to tolerate its twin evils of war and unemployment. They have become demons which haunt him, and his last hope is that they will be exorcised through the miraculous intervention of a demi-god. That is the hope which the dictatorships satisfy. Men seek refuge in them not because believe in them but because anything is better than the present chaos.

As a matter of principle, therefore, it is enough for totalitarianism to condemn the orthodox social order without offering anything in its place except the organization which is the visible opposite to chaos. Mr. Drucker is thus led to ask whether totalitarian economics are really as gimcrack as orthodoxy tends to represent them. He finds that the dictatorships offer social compensations for economic restrictions, and that the worst restrictions are imposed on those who were formerly members of the upper and middle classes. More than that, the dictators have been able to finance the production of capital goods out of the sums saved by restrictions on consumption.

That the consumption goods produced should mainly take the form of armaments does not justify us in pointing horrified fingers at wastefulness; for if guns exhaust their usefulness in a few years, so, for example, do radio sets. The totalitarian system can, in fact, function for a long time so long as it is self-contained, though the diversion of consumption goods to pay for imported raw materials constitutes a heavy strain. But the real weakness of totalitarianism is that it offers the Heroic Man as an ideal in place of the Economic Man. >From the individual's point of view it may be all very well to have something to die for, but it is impossible to build up a society on a basis of lives, which are meant to be sacrificed. That way lies anarchy, and it is because the organization which the dictators offer stands in the last resort for nothing that it will eventually fail.

https://www.druckerforum.org/retrospective/2016/druckersociety.at/index.php/peterdruckerhome/commentaries/winston-churchill.html より

(機械訳)

ドラッカー氏は、自分の頭脳を持っているだけでなく、他の頭脳を刺激的な思考回路に導く才能を持っているため、ほとんど何でも許される作家の一人である。本書には許すべき点は多くないが、ドラッカー氏は自身の熱意に流されがちで、パズルのピースがきれいに収まりすぎている。機械的な発想の危険性をこれほどまでに認識している人物が、自分自身の議論の従属的な機械に巻き込まれてしまうのは実に不思議なことである。たとえば、ロシアとドイツは一緒にならなければならないという彼の証明は、この20年間にロシアで発展したナショナリズムを忘れている。しかし、このような論理の行き過ぎは、現代の生活において際立っている独裁と、現代の思想において同様に際立っている実践的哲学の不在とをうまく結びつけている本においては、十分に許される。

全体主義へのアプローチにおいて、ドラッカーは、全体主義は絶望に陥った資本主義の最後の砦であるというお馴染みの主張を一蹴する。絶望的なのは資本主義だけではない。マルクス主義の社会主義も同様に悪い状況にある。資本主義は、絶えず減少するコストで絶えず増加する商品を生産する手段であり、決して失敗ではない。資本主義が失敗したのは、社会的理想としての「経済人」の展示にある。産業主義の全盛期には、競争システムは誰にでも自由で平等なチャンスを与えると主張された。自由と平等はヨーロッパ文明の中心的な考え方だが、今や人々は、競争がそれらを達成するための手段であると信じなくなっている。それゆえ、現在の社会は破綻しているのだ。

マルクス主義者たちは、階級のない社会という選択肢を提示した。マルクス主義者たちは、階級のない社会という選択肢を提示した。しかし、社会主義が実際には、新たな、高度に組織化された階級構造を生み出すことは明らかであるため、それもまた魅力を失っている。こうして、現在の社会秩序は理論的な正当性を失ったため、平均的な人間は、戦争と失業という双子の弊害を容認する用意がなくなった。戦争と失業は彼を悩ます悪魔となり、彼の最後の望みは、半神の奇跡的な介入によってそれらが祓われることである。それが、独裁政権が満たす希望なのだ。人々が独裁政権に帰依するのは、独裁政権を信じるからではなく、現在の混沌よりは何でもマシだからである。

したがって、原理的な問題として、全体主義にとっては、正統的な社会秩序を非難するだけで十分であり、その代わりに、混沌とは正反対の目に見える組織を提供するだけでよいのである。こうしてドラッカーは、全体主義経済学が本当に正統主義が表象しがちなほどギムクラックなものなのかどうかを問うことになる。ドラッカーは、独裁政権が経済的制約の社会的代償を提供していること、そして最悪の制約は、かつて上流階級や中流階級の一員であった人々に課せられていることを発見する。それ以上に、独裁者は消費制限によって節約された金額から資本財の生産を賄うことができた。

生産された消費財が主に軍備の形をとるからといって、浪費に憤る私たちを正当化することはできない。銃が数年でその有用性を使い果たすのであれば、たとえばラジオセットも同様である。全体主義体制は、それが自己完結している限り、長期にわたって機能することができる。しかし、輸入原材料の代金のために消費財を流用することは、大きな負担となる。しかし、全体主義の真の弱点は、経済的人間の代わりに英雄的人間を理想として提供することである。>個人の視点から見れば、死ぬべきものを持つことは非常に良いことかもしれないが、犠牲となるべき生命を基盤に社会を構築することは不可能である。独裁者たちが提供する組織は、最後の手段として無に等しいからこそ、結局は失敗するのである。

deeplによる機械訳

この「書評」を読むと、従前伝わっていた「チャーチルがドラッカーを絶賛」とは言えないように感じました。例えば、以下の部分は絶賛とは程遠く、むしろ、皮肉を込めた表現でしょう。

ドラッカー氏は自身の熱意に流されがちで、パズルのピースがきれいに収まりすぎている。機械的な発想の危険性をこれほどまでに認識している人物が、自分自身の議論の従属的な機械に巻き込まれてしまうのは実に不思議なことである。

一方で、好意的な評価に感じる部分もあります。

全体主義へのアプローチにおいて、ドラッカーは、全体主義は絶望に陥った資本主義の最後の砦であるというお馴染みの主張を一蹴する。絶望的なのは資本主義だけではない。マルクス主義の社会主義も同様に悪い状況にある。資本主義は、絶えず減少するコストで絶えず増加する商品を生産する手段であり、決して失敗ではない。資本主義が失敗したのは、社会的理想としての「経済人」の展示にある。産業主義の全盛期には、競争システムは誰にでも自由で平等なチャンスを与えると主張された。自由と平等はヨーロッパ文明の中心的な考え方だが、今や人々は、競争がそれらを達成するための手段であると信じなくなっている。それゆえ、現在の社会は破綻しているのだ。

 この点、2000年代の小泉内閣のもとでの竹中平蔵氏、2022年の菅内閣でのデヴィッド・アトキンソン氏や維新の会などの新自由主義経済思想者らが唱える「競争システムは誰にでも自由で平等なチャンスを与える」という主張に対して、現在の世論が必ずしもグローバル主義者が唱える新自由主義経済のメリットに対して懐疑的に感じている部分と共通していると感じました。

チャーチルが1939年に記した書評は、

今や人々は、競争がそれらを達成するための手段であると信じなくなっている。それゆえ、現在の社会は破綻しているのだ。

「失われた30年間」を過ぎ、アフターコロナの2024年の現在にも共感できる概念のように感じました。

 さて、ドラッカーは、1939年にデビューしたての自分を評価してくれたチャーチル氏を約50年後の1991年「非営利組織の経営」でも「真のリーダー」と讃えています。

リーダーにとって最悪のことは、辞めたあと組織がガタガタになることである。それはリーダーが単に収奪するだけだったことを意味する。何も作り上げなかったことを意味する。管理人としての仕事はしたかもしれないが、ビジョンは何も持たなかったことを意味する。ルイ14世は「朕は国家なり」と言ったそうだが、彼が死んだ後のフランス革命への道のりは早かった。
 リーダーたる者は、献身しつつも個たり得なければならない。その時仕事もうまくいく。自らを仕事の外に置かなければならない。さもなければ、大義のためとして自らのために仕事をすることになる。自己中心的となり虚栄の虜になる。とりわけ焼き餅を焼くようになる。
 チャーチルの強みは、どこまでも後進の政治家を育て、後押ししたことにあった。それこそ、人の強みに脅かされることのない真のリーダーの証だった。これに対して、ローズヴェルトは自立の兆しを見せる者は全て切り捨てていた。

「非営利組織の経営」23〜24ページ

ドラッカーさん、義理堅いですね。だからこそ、評者としても名声を得続けているのかもしれません。信用は1日ではならず。今日もやってきましょう。

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