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昇進の階段はなくなった 。 縄ばしごもない 。蔦(ツタ)が生えているだけである 。 必要なのは? 9月9日 Take Responsibility for Your Career キャリアの選択

9月9日月曜日です。今日は「九」という陽の数が重なることから「重陽(ちょうよう)の節句」として、たいへんに縁起の良い日とお祭りやお祝いの神事が催されたといいます。

 平安時代の初め、唐の国では奇数を陽の数とし、陽の中で一番大きい数である「9」が重なる9月9日は大変めでたい日とされ、の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うという風習がありました。その風習が日本にも伝わり、宮中では観菊の宴が催されました。菊の節句、菊の宴とも言われています。収穫の時期にもあたるため、庶民の間では「栗の節句」としてお祝いをしていました。今も、太宰府天満宮の秋思祭(しゅうしさい)など、各地で菊を愛でる祭りや行事が催されています。

https://koyomigyouji.com/nenchugyouji-chou.htm より

ということで、「重陽の節句」の月曜日、今週も良いスタートを切りましょう。
今日の #ドラッカー365の金言 テキストは、1995年発刊『 #未来への決断 』に収録のHBR(ハーバード・ビジネス・レビュー)のインタビュー記事 #ポスト資本主義社会におけるエグゼクティブ  8ページより

9月9日今日のテーマ:
#Take_Responsibility_for_Your_Career
#キャリアの選択

今日の金言:
#階段はなくなった
#縄ばしごもない
#蔦が生えているだけである
#必要なのは鉈 (ナタ)である。

今日のACTION POINT:
#自らの責任において自らのキャリアを決めてください
#強みと弱みを列挙してください
#あなたは次にどのような仕事をしたいでしょうか

 これからのタイプは、自分に責任を持ち、特定の組織に依存しない人たちだ。そして、自分のキャリアは自分で決める人たちだ。(中略)
 明日自分が何をしているか、自分にさえわからないような時代になる。個室か大部屋か自宅か、それとも外で働いているのかさえわからなくなる。
 これからは、自分自身を知ることに責任を持たなければならない。そうすることによって初めて、自分の進歩に応じて、あるいは、家族のことを考えなければならなくなっていくのに応じて、的確な仕事を見つけることができるようになる。

同書 8ページより

ドラッカーは、30年前の1993年の段階で、すでに、

「命令されず、命令もできないという状況、つまり命令権というもののない状況で、いかにマネジメントすべきかを学ぶ必要が出てくると思う。これが基本的な変化だ。」

同書、4ページより

派遣社員や外部の専門家といった組織の命令系当外の人たちと組織内の人との協働によって成果を上げる時代の到来を予見しています。

指示命令できないならどうやってマネジメントするか。
非常に日本的で素晴らしい回答を植松努さんが答えてくれている。

https://x.com/tsutomuhokkaido/status/1500761293502160899 より

相談とお願いと感謝。
実に素晴らしいと思います。
そして、それがこれからのマネジメントと思います。

ところで、今、自民党総裁選で、何人かの候補者が「解雇規制撤廃」を訴えています。終身雇用という日本企業の長所(短所という方もいますが)が失わせたいという意志があります。解雇されたのち、彼or彼女が再雇用されるかどうかは、個人の資質、いわゆる自己責任に帰する訳です。

保証をなくし、雇用の流動性(雇いやすく、辞めさせやすく)へと人生のリスクは個人に背負わせようというのです。それが本当に国民にとって良いことなのか?自分は疑問派です。なぜなら、安定した雇用、クビにできないからこそ、その人の良さ、強みを活かせる職場へ移動させることができるし、個人が結婚し、家庭を持ち、子育てができる環境がまかなえるだけの安定収入を失えば、少子化がより一層進むと考えるからです。

また、お荷物と判断された人が再雇用できなければ、それは、生活保護などの社会保障のお世話にならざるを得ません。それは、個人の生活費を企業から国へツケ回すだけ。つまり、企業の収益性のため、国に負担を背負わせるので、社会保障費増、増税へと進む社会政策でしょう。

可処分所得を増やし、個人消費を活性化させる方向と逆行と思います。

そして、こうしたことを訴えている候補者や新自由主義者、特にアトキンソン氏などの外国人らは、「日本企業の収益性を高めよ、収益性が低いのが問題だ」と主張していますが、なぜ問題かについては言いません。彼らの本音は、収益性が上がったら、従業員に配当するのではなく、「俺たち株主に配当金を増やせ」という私欲から訴えているのです。昭和30年に「生産性3原則」を当時の経団連、組合らが合意して、生活者=労働者の生活向上目的での産業の発展に協力する、という経営側の約束は反故にされつつあります。彼ら外国人投資家と「国民誰一人も取り残さない」という長年日本社会の互譲互助の考え方とは相容れないことは、理解しておく必要があるでしょう。

「「信じる」ということは、何かへの期待ではなく、自分への決意である。」という言葉があります。あなたが信じるものを信じて、進めることを願っています。

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