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人の金や公金を使って事業を行なうcolaboのような非営利組織は成果を定義して責任を持つべき、とドラッカー。まずは会計報告しっかりやろう。 1月17日 Management: The Central Social Function 企業以外のマネジメント

#1月17日  
#Management :
#The_Central_Social_Function (中心的な社会的機能)
#企業以外のマネジメント

おはようございます。このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言  を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。

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さて、

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さて #公金チューチュースキーム  とSNSを賑わす #colabo問題 。ドラッカーはNPOのような非営利組織の経営問題に対してどのように記しているだろうか?

 ドラッカーは、今日のテキスト『 #すでに起こった未来 』(1994年) 6章 #マネジメントの役割  116−117ページですが、このテキストの初出は、1969年の第15回CIOSの国際マネジメント会議における講演です。

 この講演で、彼は、マネジメントの新しい問題よりも新しい役割、すなわち、次世代の個人・コミュニティ・社会のために、新しい多元社会における諸々の新しい組織を生産的な組織にすることを論じていました。そして、企業では利益がその活動成果と評価を表わしやすい一方、非営利組織では活動評価する基準を自らが持たなくてはならない、としています。

 その後、1990年に ドラッカーは『 #非営利組織の経営 』をリリース。企業以外のマネジメント=非営利組織の経営の成果と評価について次のように記しています。

 あらゆる組織にとって成果こそが判定基準である。非営利組織はすべて人と社会を変えることを目的にする。しかるに成果こそ、非営利組織にとって最も扱い難い問題である。(中略)
「我々は大義を奉じている。神の仕事をしている。人の人生をより良いものにしている。従って仕事そのものが成果である」という。
 だが、それでは良い仕事はできない。企業が成果のあり得ないところで資源を浪費すれば、失うのは自社の資金である。ところが非営利組織では失うのは人の金である。寄付してくれた人の金である。したがって非営利組織といえども、寄付した人に寄付金の使途を説明できなければならない。

 金は成果のあるところに投入しなければならない。したがって成果の問題は非営利組織にとって厄介な問題である。よき意図だけでは転落の道をたどる。(中略)
 成果は1種類ではない。直ちに得られる成果もあれば長期的な成果もある。いかなる成果があるかを正確に把握することは難しい。しかし我々は、「事態は良くなっているか」「成果があるところに資源を投じているか」は問わなければならない。(中略)

 非営利組織は成果を明らかにして初めて目標を設計することができる。そのとき初めて「なすべきことをしているか。活動は正しいか。ニーズに応えているか」を判定することができる。何よりも「優れた人材に見合う成果を上げているか」を考えることができる。そうしてようやく、次に大切なこととして「我々は今も正しい分野にいるか。変えるべきではないか。今やっていることは廃棄すべきではないか」を考えることができる。(中略)

 非営利組織は活動分野ごとに成果を定義しなければならない。主な活動分野を1つひとつ精査していく必要がある。(中略)


 よき意図、政策、意思決定はすべて行動に転換させなければならない。「これが我々のミッションである」とのミッションステートメントだけでは不十分である。「これが我々のやり方である。我々の起源である。我々の責任者である。我々が責任をもってやることである」と続けなければならない。

 プランだけでは仕事は行われない。方針だけでも行われない。仕事として行なって初めて行われる。生身の人間が行なって初めて行われる。期限を切られた者が行なって初めて行われる。トレーニングを受けた者が行なって初めて行われる。評価される者によって行われて初めて行われる。成果に責任を持つ者が行なって初めて行われる。

 非営利組織に働くあらゆる者が何度も何度も繰り返すべき究極の問いは「自分はいかなる成果について責任を持つべきか、この組織はいかなる成果について責任を持つべきか、自分とこの組織に何をもって憶えられたいか」である。

『非営利組織の経営』(2007年版)、155〜159ページ 太字は私。

ドラッカーは、企業であれ、政府であれ、病院など非営利組織であれ、あらゆる組織にとって成果こそが判定基準である。組織の中の人に成果を上げてもらい、成長してもらうこと、と成果の重要性を強調しています。

 救世軍は1862年、ロンドンに売春婦用の保護施設を作ることからスタートした。大半は田舎出の無学な少女たちだった。救世軍は今日でも売春婦のためのプログラムをもっている。しかし彼女たちを保護する施設は持っていない。昔と違い、もはや彼女たちは何も知らない無学な少女ではない。だから救世軍は、この創立時の活動は廃棄した。

同書、158ページ

“「我々は今も正しい分野にいるか。変えるべきではないか。今やっていることは廃棄すべきではないか」を考えることができる“ と記している通り、かつては保護施設が必要だった活動も成果が上がらなければ廃棄する。それによって非営利組織の活動をより社会的に成果の上がる活動へと移すことができる、と記しています。

 余談ですが、Colaboというのは、この19世紀の救世軍が行なっていた活動を現在新宿で行なっている、ということなのかな?

 「あらゆる組織にとって成果こそが判定基準である。」ドラッカーなら言うでしょう。

 19世紀のロンドンならば少女を保護する施設が必要だったでしょうが、現在の新宿や渋谷において、そのような施設が本当に必要なのか?
何千万も何億円も公金や赤い羽根募金等を得た寄付金を使って、それに見合う成果はあるのでしょうか。

#困難女性支援法 」という法律を作り、公金を流すスキームを作り、他の非営利組織が入らないよう障壁を作り、公金を独占的に消費するほどの大義と成果があるのでしょうか。

 成果が上がらぬ活動ならば廃棄すべきでしょう。

「福祉制度を全てやめて、直接お金を振り込むと、人々は学び働き出す」「貧しい人だけを支援するシステムは、彼らと他の人々との間に深い溝をつくる。それは逆効果だ」とルドガー・ブレグマン氏は『 #隷属なき道 』の中でフリーマネー制度=普遍的かつ無条件のベーシックインカム導入の有効性を記しています。

 1つの一社法人の会計処理の問題から大きな陰謀があることを調べ、そして、成果の上がらぬところへ公金を流そうと企む組織と闘っている #暇空茜 氏に敬意を表します。


#企業以外の組織は企業の利益に相当する評価基準を必要とする

 今日、企業以外の組織が、マネジメントを学ぶために企業を学ぼうとしている。病院、軍、司教区、行政がビジネススクールに人を派遣している。
 このことは、企業以外の組織が、企業のマネジメントをそのまま移植できることを意味しない。それどころか、それらの組織が企業から学ぶべきことは、マネジメントは目標の設定から始まるということであり、大学や病院などの非経済的組織には、企業のマネジメントとは異なるマネジメントが必要だということである。
 しかしそれらの組織が、企業に必要なマネジメントの基本を見出そうとしていること自体は正しい。企業は、例外としてではなく同じ種の第1号として最も集中して研究されてきた。企業以外の組織も、企業にとっての利益に相当する尺度を必要とする。言い換えるならば、利益とは、組織のマネジメントに不可欠な尺度の手本たるべきものである。

(『すでに起こった未来』)

ACTION POINT
#直接関係している企業以外の組織で
#あなたにとって最も重要なものは何ですか
#そこでは活動の評価基準をもっていますか
#その組織は成功していますか

まずは帳簿つけて、会計報告からやってきましょう。
事業をおこなう誰もが行なっていることです。
会計士さんに言われてないのかな?
弁護士さんらも確定申告しているでしょうに。
もしかしてしてなかったりして?知らんけど。

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