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1月23日 Private Virtue and the Commonweal 私徳と公益

おはようございます。 

今日も #ドラッカー

#365の金言  を学び

#人生#経営 を楽しんでいこう。

本日 #1月23日  のテーマは、、、

#Private_Virtue_and_the_Commonweal  

#私徳と公益

#私人の徳を社会の福利の基盤としたとき徳のある社会が実現される

 社会にとってよいことを企業にとってよいことにするためには、懸命な仕事、優れたマネジメント、高度の責任感、大きなビジョンが必要である。それは完全を追求することである。その実現には、鉄を金に変える賢者の石が必要である。
 しかし、マネジメントが社会のリーダー的存在であるためには、この原則を行動の原理とし、意識して遵守し、現実に実行していかなければならない。なぜならば、優れた社会、徳ある社会、永続する社会は、私人の徳を社会の福利の基盤にしたとき、実現されるからである。
 リーダー的存在であるためには、公共の利益が自らの利益を決定するといえなければならない。この確信だけが、リーダーとしての唯一の正統性の根拠である。これを実現することが、リーダーとしての第一の責務である。(『現代の経営』)

ACTION POINT 

#商品やサービスのうち

#公益を重視しなかったために失敗したもの

#あるいは失敗しそうなものを3つあげてください

本日の提言は、『現代の経営』1987年版だと下巻の263〜264ページあたり?

 経営者の公共的責任とは「真の公共の利益を、企業の利益と一致せしめる」ことである。(中略)実に公共の利益と事業の利益とを一致させ、社会的利益と私的利益との調和を図ることこそが、指導的集団としての経営者の責任なのである。(中略)社会の利益を企業の利益とすることは、優れた経営手腕、高度の責任、広い視野を必要とする困難な仕事なのである。(中略)道徳的で、永続性のあるよき社会では、公共の利益は必ず個人の善徳に基づいているからである。(中略)むしろ、どの指導的集団も、社会の福祉が自己の利益を決定することを、進んで要求するようでなければいけない。この要求こそが、指導者たることの唯一の正当な根拠である。そしてそれを実現することこそが、指導者たる者の第一の義務であると言っても過言ではないのである。(同書、下巻263〜264ページより)


 社会の利益が企業の利益となるように企業は経営されなければならない、という考え方が、ともかくも主張されるようになってきている。(中略)アメリカの経営者が日々の行動にこの新しい考え方をより一層取り入れることをもって自らの責任とするようになることが、我々の社会、ひいては西欧社会の将来にとって、最大の希望なのである。この主張を単に口先だけに終わらせることなく、何人も否定しえぬ厳然たる事実となすことは、現代社会の指導的集団としての経営者の最も決定的な責任である。つまりそれは、単に経営者自身に対する責任であるばかりではなく、企業に対する、我々の社会に対する、そして西欧社会の伝統である民主主義生活に対する責任なのである。(同書、下巻265〜268ページより)

 起業して、己の実現を目指し行動し始め、組織を率いた時から、経営者は、権力を同時に、社会の多くの人々に対して権力を持つこととなる。それは同時に経営者に対して、1つの責任を課すこととなった。

 つまり、私的な責任を超えた社会的責任である。私利の追求が公益にも資するといった安易な考えではない。公益に対して積極的な関心を持つべきこと、倫理的な規範に則って行動すべきこと、企業活動が社会の安全や個人の自由を侵す場合には、進んで私利の追求と権力行使を差し控えるべきこと等々を、当然要求する(同書 下巻「経営者の責任」 253~254ページより)

 我々、日本人は儒教の精神を習慣的に学んでいるからか、私利の追求よりも、公益性を重視する意識の方が大きいように感じています。

 大地震、台風災害、疫病が多いからか、己の事ばかりを優先する人物よりも、地域社会や公益性を重視する人を尊ぶ価値観が浸透しています。

 今ではとても信じられないかもしれないが、かつての日本企業経営者たち、指導者たちは、国益第一で考えていたという。

慣行として日本の世界経済における競争力検討を始めるにあたって、「何が国にとって良い事であるか」と問いかけることから始まる。

とドラッカーは記している。(HBR 1981年1〜2月号寄稿「日本の成功の背後にあるもの」より)

 80年代、当時の日本企業達は、同業者団体、経済団体を作り、偽善的かもしれないけれど、まずは国益、公益を考え、そして、自分たちの利益になることを、国民が必要とすること、国民的目標、あるいは国民的な願望や価値観の枠組みの中にはめ込むことで、支持を得てきました。

行動を起こすに際して、まず公を考える。

己の行動に大義があるかどうか、を検討することは、日本武士団の行動様式の伝統ですが、それが、現代社会にも続いてきた結果が90年代の日本経済の最盛期を迎えたことになったのでしょう。

あれから30年。

今日の自分はどうなのか。

今日を変えていこう。

愛を込めて。


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