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人生には「セーブポイント」が多すぎる

人生に「セーブポイント」が欲しいと思ったことは一度ではない

「あぁ、あの頃に戻れたら…」

そんな妄想を、もう何度抱いたことだろう


しかし最近気がついたのだ

「人生にはセーブポイントが無い」のではなくて

むしろ「セーブポイントが多すぎる」のではないか、と


例えばあなたが何かを「やらかした」とする

するとそのことを、まず自分が記憶する

次いで周りに人がいれば、その人もきっと記憶する


もしそれが、あまりにも「衝撃的」であれば

その場にいただれかが、うっかりSNSへ投稿してしまうだろう

するとそれがタイムライン上に流れ

何人もの他人の目にさらされることになる


こうなるともう手がつけられない


あなたの及ばないところまで

果てしなくどこまでも

あなたの失態が「セーブ」されていることになる


そうなると、例えあなたが忘れようとしても

周りからことあるごとに「話題」にされて

何度もそれがあなたの記憶に蘇ることになるだろう


まるで周りのあなたの環境が

あなたに忘れさすまいとしてくるように


そう。「セーブポイント」はいかなる場所にも偏在していて

いつでも「あなたの人生をセーブするチャンス」を伺っているのである

そして一旦セーブされてしまったが最後

「それより前の世界」には戻すまいと

何度も何度も、世界にリマインドを強制してくるのだ


この「セーブポイント」を逃れたければ

「保存媒体」になりうる存在を、広がる前にみな消してしまうか

人里離れた奥地に住むかしか無いわけだが


不思議なことに、長い目で見ると

「悪いセーブポイント」よりも「良いセーブポイント」が多ければ

「悪いセーブポイント」もやがて

その人の「人間味」というものに変わるらしい


あの人はそういうところがダメなんだから...

こう言って笑ってくれる人が、やがてはたくさん出来るように

今日からまた「良いセーブポイント」を積み重ねていきたいと思った所存である

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