【ネタバレあり】フォードVSフェラーリを見に行ったという話

 筆者が小学生の頃の話だ。テレビでル・マン24時間レース(以降ル・マンと書く)を3つか4つの時間帯に分けて中継していたことがある。その途中にこのル・マンに参戦し、優勝を経験したメーカーについて特集するミニコーナーがあった。

 フォードについても例外なく紹介され、1964年から参戦し、66年に初優勝する過程を簡単に説明していた。加えてその時のフォード参戦の経緯に関して筆者は小学生ながら面白いと思うエピソードも披露されていた。

 それは、フォードはモータースポーツを自社の宣伝に利用しようと考え、それを楽に行う方法として当時の(今もか)モータースポーツの象徴であり、ル・マンでも優勝実績のあるが、経営危機にあるフェラーリを買収してしまおう、というものだった。

 実際に買収の計画は進んでいたが、フェラーリのオーナー、エンツォと考えがあわず、買収は失敗してしまう。この結果、当時のフォードの社長、ヘンリー・フォード2世は、ならば自分たちで彼らを打ち負かそうと決心をしたそうだ。

 この経緯を踏まえつつ、レースの現場で奮闘する2人の人物に焦点を当て、映画向けに脚色を加えたものが今回感想を述べていく「フォードVSフェラーリ」である。

 二人の人物について紹介しておくと、一人はアメリカ人で数少ないル・マン優勝経験者であり、レースへの情熱も未だにあるが、心臓の病でレーサーを引退し、カーデザイナーに転向したキャロル・シェルビー。

 もう一人はドライバーとしての実力は申し分なく、車に対しても実直。だが、性格に難があり、自身の整備工場も差し押さえられてしまったケン・マイルズである。(以降、シェルビー、マイルズと書く)

 話の展開について簡潔に書くと、序盤、アメリカ国内のカーレースに身を投じる二人の姿が描かれる。このシーンは実に軽妙ではあるが、この映画が今後どのように展開していくかを簡単に紹介しているようにも見える。

 例えばこのレースの前、自身がレースで乗る車のトランクの規定に激昂するマイルズをシェルビーが諭しているし、その後のレースシーンではマイルズの圧巻ともいえるレーサーとしての才能を車の挙動や実況、静観するシェルビーと対照的に熱狂する観客が引き立てている。

 この流れをこのレースを除いた3つのレース、65年ル・マン、66年デイトナ24時間(以下デイトナ)、66年ル・マンを舞台にスケールを大きくしながら展開していく。そこにシェルビーとマイルズ、さらには自社の宣伝活動のためならば協力を惜しまないが、無理難題を押し付けてくるフォードの重役の思惑がドラマ的に重なる演出がなされている。

 さて、これらを踏まえて筆者の感想を述べていく。

 筆者はこの映画を最近主流の4DXとかIMAXなどでは見ていない。それこそ昔ながらのスクリーンと音響で観賞したが、それでも十分に楽しむことができた。

 何より、この映画の登場人物、マイルズやシェルビーにしても、二人に協力的な関係者、彼らに対時しているともとれるフォードの重役にしてもキャラクターがしっかりとしている。

 たとえばマイルズはル・マン向けのレーシングカー、フォードGTの改良を進めていくうえで作中で最もそれを理解しているということ、レースに対する情熱も半端なものではないという二点である。

 例えば、改良のシーンにおいて、マイルズは問題点について躊躇することなく指摘をしていて、それはフォードが優勝を決めた66年のル・マンの後でも変わっていない。そして何よりも、マイルズが改良によって進化を遂げたフォードGTをどのように呼んでいるかというところも注目である。

 マイルズのレースへの情熱は序盤こそ兵役と高齢を理由に小さいものだったが、フォードGTの改良を進めるうち、物語序盤のどこか熱いマイルズが戻ってくるように思えた。実際66年デイトナ、66年ル・マンの彼のドライビングシーンは手に汗握る感覚を覚える。

 続いてもう一人の主人公、シェルビーだが彼もまた、マイルズ以上にレースへの情熱を持つ男である。正直に言えば、アメ車に疎い筆者(作中だとマスタングとかフォードGTくらいしか知らない)がこの映画を通じて最も好きになったのが彼である。

 シェルビーは実際に1959年のル・マンで優勝を経験している正真正銘のレーサーであるが、心臓の異常を理由に引退を余儀なくされてしまう。その後、スポーツカーを売るビジネスを始め、大成功を収めていた。

 だが、フォードからのル・マン挑戦の誘いがあった際の彼の話しぶりからみるに、筆者はこの時のシェルビーは、レースの世界にどこか未練でもあるように思えた。どうせフェラーリが勝つ、なんて言ってはいるものの、立場が変わったとはいえまた、ル・マンに挑めるのだ。しばらく考えたのち、先ほど述べたマイルズの加入を条件にフォードへ協力することになる。

 ところが、シェルビーはフェラーリだけではなく、協力的だったはずのフォードとも戦わざるを得なくなる。せっかく引き入れてフォードGTの開発に貢献したマイルズの態度を重役が気に入らなかったのだ。

 幸いなことにこの部分ではマイルズがシェルビーに理解を示しており、物語の中盤、ル・マンの前哨戦と言えるデイトナの結果次第でマイルズを連れていく約束をフォードの社長、ヘンリー・フォード2世から取り付けた。

 そしてこの約束を取り付けるシーンは、シェルビーがある意味で心臓が普通に動いていたら俺もフォードGTに乗り込んでル・マンに出ていたぞと言わんばかりの圧巻のドライビングを披露する。はっきりと言おう。レビューを書いている今でも鳥肌が立ってしまうほどの強烈なシーンだ。

 そういう意味でもここでのシェルビーはレースへの未練があるのではないかと筆者は思わなくもなかったのだ。

 そして、66年ル・マンでは優勝経験者らしい振る舞いをする。隣のピットがフェラーリなのをいいことに狡猾なことをさらっとやってのけるのだ。正直に言えば、このころのモータースポーツを調べ、ある程度知っている人なら、もっとえげつないことをやっていてもおかしくはないと思う。だが、限られた上映時間の中でこれを入れたのはとても立派だと思うし、筆者は思わずにやけてしまったほどだ。

 このほか、マイルズの息子ピーター、妻モリーはマイルズのよき理解者で、マイルズがル・マンへ挑戦することに協力的だし、今までのアメリカの映画なら敵役としてもっと凶悪に表現されてもおかしくないと思っていたエンツォ等のフェラーリの関係者もその当時のレーシングチームらしい雰囲気をちゃんと残していた。

 そして、この映画の何よりも素晴らしいのはシェルビーのところで少しだけ言及した車のドライビング及びレースのシーンである。ほとんどのシーンを実際に当時の車両を借りたり、レプリカ等を駆使して再現しただけあって、画面越しからでも当時のレースの怖さも面白さも疑似体験したような気分だった。

 特にフォードGTの7リッターV8のエンジン音は気合いが入っており…… 本当にうるさいのだ(褒めている)。そしてそのエンジン音だけではなく、フェラーリの甲高いV12エンジンもまた引き立て役ではなくちゃんとライバル役として扱われているように思えた。

 また、フォードの重役についても、全員が全員、ル・マン挑戦にイエスとしていない、どこか自分のメンツを考えてしまっていそうなところも、この映画を引き立てる要素になっている。これは当時のフォードだけではなく、レースに挑むメーカーの殆どが抱えている問題を分かりやすく表現している。

 正直に言えば書きたいことはまだまだたくさんあるのだが、筆者の現状の文章では伝わらない部分も多くなってしまうので感想はここまで。こんな文をここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 最後に、50年以上前の実話に文字どおり、臆することなく挑んだこの映画について一つだけ言いたいことがある。

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