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ヨーガは体と心を識別し心が霊を自認しながら生活を営む技術

まずはじめに

前回は、チャーンドギヤ・ウパニシャッドの中に記述されているウッダーラカの思想をご紹介し、続いてブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージニャヴァルキヤの思想について触れる予定でしたが、その間に、保守本流のヨーガにてヨーガの技術についてのおさらいの意味でヨーガの技術に書いてみたいと思います。

1.身体と心を識別する為の観察

■アーサナ

アーサナとは、ヨーガの技術の中での座位と立位であり、アーサナが実習の中心となるヨーガのスタイルはインドの「伝統」にはなく20世紀初頭に初めて登場したものです。

アーサナの目的とは何か?を試しに今習っているインストラクターに尋ねてみてください。アーサナをすることによって心が静められるとか穏やかになるなどのようにという答が得られると思います。今風の言葉で言えば、マインドフルネスの状態を得ることができるかもしれません。

題名や画像に示したように、ヨーガは自らを霊(アートマン:真我)であると認識することです。ですので、まず、自らを体であるという認識、すなわち、名前は○○○○で生業は△△でとかの体に結びついたもろもろのモノ(立場)を含めて、体と心を識別することが前段階のヨーガの実習として必須となります。

その手段として、アーサナの座位や立位を通して、体と心を識別するのですが、つまり、それは体を心で観察することにて実習します。

たとえば、座位であるパシチモッタンアーサナにおいて、今、その時に、体がどのような状態になっているのか?どの部位が緊張して弛緩しているのか?どの位置に重心がおいておるのか?固いところがあるのはどこか?もしくは、その体の状態について心が良い悪いの判断ではなくどのように捉えているのか?どのように感じているのか?などなど

難しい言葉を使うならば、主体である心で客体である体を観察します。気づきを与える。気づくということは、気づく主体は心であり、気づく対象は体となるので、結果的に、心と体が識別されることとなります。

そして、まさにそのときどきの心の状態が大切で、心が体と強く結びついている時には、体は善い意味でも悪い意味でも欲で作られています(欲に反応するように作られている)が、三大欲求として「睡眠欲」、「食欲」、「性欲」がありますが、それらの欲望に仕えている、もしくは、暴走している(コントロール不能状態)に陥っていることがあります。

アーサナというヨーガの実習をしていない時も、主体である心が客体である体の三大欲求とどのように関わっているのか?結びつきはどのようになっているのか?客体として心が客観視できているのかできていないのか?などなどのように、気づくこと、すなわち、できうる限りの時間において、心と体を識別することになります。

また、この実習は、心の客体である心が観る世界とどのように結びついているのか?関わっているのか?もしくは、心が抱く欲望について暴走させているのか?させていないのか?ある程度はコントロールできているのか?できていないのか?などなどになります。

これらの気づきは、日々の生活の至る所で気づくことができますが、習慣化されるまでは、一日の内に一度、瞑想して振り返ることが必要でしょう。

■プラーナヤーマ(呼吸法)

プラーナヤーマとは、呼吸法・調気法ですが、アーサナが体という肉体五蔵説で言うところの食物鞘の観察つまり気づきと同じように、食物鞘よりも微細な生気鞘の観察つまり気づきになります。

これもアーサナ時以外において、日々の生活の至る所で世界に観る状況の変化での体の反応によって変わる微細な気の状態、つまり、生気鞘の有様の変化に気づくことができます。

初期の段階においては、アーサナと同じように、体の三大欲求に関わること、または、その他の欲求や欲望について、心の客体である心が観る世界とどのように結びついているのか?関わっているのか?もしくは、心が抱く欲望について暴走させているのか?させていないのか?ある程度はコントロールできているのか?できていないのか?のような観点でいろいろと気づきを与えてくれると思います。

■瞑想(ディヤーナ)

ここでは、『ヨーガ・スートラ』に述べられている「八支則」である「ヤマ」「ニヤマ」「アーサナ」「プラーナヤーマ」「プラティヤハーラ」「ダーラナ」「ディヤーナ」「サマーディ」という8段階のすべてには触れずに、「ディヤーナ」つまり瞑想について一部に関してごく簡単にお話しします。

できれば、朝起きて一番始めに。というのは、既にお話しさせていただいていますが(誰しも熟眠時に神様の元へ還っている?)、深い睡眠時にトゥリヤと呼ばれる第四の意識状態にて、ブラーフマン(神様)の元にて安らいでいるので、寝起きが一番想念が清らかであることもオススメの時間(日の出前)となります。

もしくは、一日の終わりに、今日の出来事を振り返る、または、再観察する時間として瞑想することも前段階のヨーガの実習として必須だと言えます。

2.心を調べるまたは身調べ

■内観

心を調べる瞑想なのですが、目を瞑り座って心の中を調べると言ってもなかなかに難しい方が圧倒的に多いでしょう。ですので、あえて、一週間かけて自主性を重んじて強制的に座って身調べする内観がオススメです。

内観療法とは、本来修養法として開発された吉本伊信の内観法を医療、臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)です。

内観についてはこちらをクリック

内観研修所にて内観ができます。研修所によっては一日内観もあるようです。ご興味のある方々は、下記に全国内観研修所をご覧になって選んでください。私は米子内観研修所でした。食事がとっても美味しかったです。それしか楽しみはないです。

全国内観研修所ガイドはこちら

■心を調べる(瞑想)

一週間の内観にて、身調べをする習慣を継続していけたならば、たとえば、朝一の瞑想は、神様との合一感をより深める瞑想として、一日の終わりの瞑想は、一日を振り返って、何に対して心が動揺したのか?もしくは、動揺しないでいられたのか?より踏み込んで、なぜ、心が動揺したのか?なぜ、動揺しないでいられたのか?などを調べても良いでしょう。

3.霊を自認しながら生活を営む

■霊を自認する

先生から「ヨーガを始めてもしあなたが優秀ならば十年すれば、わかるかな」とおっしゃった。しかし、私は十年たってもわからなかった。

いろいろな経緯をたどって、今現在は、霊を自認はしているが心が霊を自認したままに生活を営んでいるとは言えません。ですので、心を調べる瞑想は継続しつつ、できうる限り、霊と心を合一したままに世界と関わることに努めています。

■霊(アートマン:真我)を自認したまま生活を営む

完全に「霊を自認したまま生活を営む」ことができていないので、何とも言えませんが。しかし、このことを想像するならば、ヴェーダーンタ哲学において、この世界は幻想であり悪夢を見ているようなモノだと言われていますが、悪夢ではなくブラーフマン(神)の愛についての「幸せな夢」を見ている状態に夢が移行し、夢を観ている主体となる心は自らが霊であることを自認するための手段、もしくは、課題となる客体である間違った心の状態や体そして世界が必要なくなることで、いわゆる、解脱となるのではないかと考えています。

最後に

最近、若い頃にとてもお世話になったご夫婦にヨーガを教える機会があり、ご主人様が認知症となり奥様が鬱状態の症状が出始めていることから、セラピー的に週に一度、出張して通っています。

その時に、「ヨーガとは何か?」についてお話したことを少し膨らませてみたのが今回の投稿となります。

次回は、予定通り、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージニャヴァルキヤの思想について触れる予定となります。

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