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苦楽一体

 私は昨年、朝 6:30 に友人と新宿駅を出発し、20:05 に八王子駅まで歩きました。前半戦は周りを眺めて「ああだ、こうだ」言いながら歩くのですが、後半戦になると周りよりも自分を眺めることになります。私はこの状態を勝手に「歩行禅」と称しています。後半戦では自分の足が悲鳴を上げていることに目を向けざるを得なくなるのです。普段生活していると、周りに目移りするものが多々あるので、どうしても自分ではなく周りに目を向けてしまいます。これが迷いを生む原因なのではないでしょうか。私にとっては自発的引き起こした苦痛を伴う「歩行禅」が「坐禅」よりも自分に向き合うのに良い方法だと感じます。
 また、友人と歩いていることの良さも感じます。一昨年は山手線を一周歩いたのですが、その時友人は 2/3 周辺りで脱落してしまいました。その後は一人で歩き、勿論ゴールした時の達成感は大きかったのですが、昨年のように友人とゴールした時の悦びの方が大きかったです。それは人間は心のどこかに誰とも共有できない一人の世界を生きているという孤独感があるからではないでしょうか。これを乗り越えるために、人は読書をし、友人と遊び、家族と生活するのだと思います。
 苦しみを乗り越えた時に苦楽一体の境地が味わえます。皆さんもチャンレンジしてみませんか。

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